突如「ゲーム産業のシリコンバレー」に躍り出たトルコでは何が起こったのか?
2021年3月時点で、アメリカのApp Storeにおいてトップ10に入ったゲームのうち、6つがトルコのスタジオで制作されたゲームという状態になりました。トルコの首都であるイスタンブールは近年「モバイルゲーム産業におけるシリコンバレー」という位置づけにありますが、なぜトルコがモバイルゲーム産業で大きく栄えることができたのか、その背景にはトルコの歴史と経済にあるとして、ニュースサイト・Rest of Worldが真実に迫っています。
How Istanbul became the Silicon Valley of the mobile gaming industry - Rest of World
https://restofworld.org/2021/turkey-gaming-peak/
トルコの首都であるイスタンブールでは、モバイルゲーム産業における隆盛を表すように、モバイルゲーム開発スタジオのオフィスが多く立ち並んでいるとのこと。また2020年にはアメリカのソーシャルゲーム開発最大手・Zyngaがトルコのゲーム会社・Peakを18億ドル(約2000億円)で買収しており、2021年6月30日に設立されたDream Gamesは最初のゲームであるRoyalMatchをリリースしてからわずか4カ月で評価額が10億ドル(約1100億円)を超えるユニコーン企業となるなど、その勢いは増す一方です。
トルコでモバイルゲーム産業が一大ムーブメントとなっている背景には、トルコの経済崩壊と通貨危機が存在します。経済が大きな打撃を受ける時代の中で、カジュアルゲームの開発は一種のアメリカン・ドリーム、あるいは中流階級から上流階級に上がるための手段になったと考えられています。
実は、もともとトルコではゲーム産業がさかんでした。トルコでは男性が喫茶店などで集う「kıraathane」という文化があり、kıraathaneではバックギャモンやベジーク、ドミノなどが行われるのが一般的だったとのこと。
1980年代には世界的にゲームへの関心が高まりましたが、トルコでは家庭用ゲーム機を購入できない人が大半だったことから、コイン式ゲーム機を備えたkıraathane施設が増加。2001年には、当時コーディングの教師だったİhsan Karagülle氏がゲームのオンラインサロン「Hakkarim.net」を開設し、多くの人が自宅やkıraathaneから、遠隔地にいる人々とゲームで繋がれるようになりました。インターネットの普及に伴いHakkarim.netは広まりを見せましたが、モバイルゲームの流行と共に衰退していったとのこと。
これと時期を同じくする2001年に、トルコ版Yahoo!として人気だったポータル「Mynet」が、「トルコ人の多くはオンラインチャットとボードゲームに費やしている」ということに気づき、無料ゲームプラットフォームを開設。深刻な金融危機のさなかにスタートしたMynetの無料ゲームプラットフォームは大ヒットし、2012年までに月間アクティブユーザーが1200万人に達する、Google・Facebookについでアクセスされたウェブサイトとなりました。
このような流れの中で、Buğra Koç氏は2010年にモバイルゲーム会社「Peak」を立ち上げました。Mynet成功の鍵はFree-to-play(F2P)モデルにあると考えたKoç氏は、「安価な広告を大規模に販売することで収益を上げる」というビジネスモデルで収益化を試みました。
以下の画像の男性がKoç氏。
F2Pゲームの構築について全く知識を持たなかったKoç氏は、中国でゲーム内購入と仮想商品の研究を1年間行っていたというSidar Şahin氏と手を組むことに。そしてPeakのセールスポイントを「信頼性」と定め、ユーザーの99%が何も支払っていないにもかかわらず、年中無休のカスタマーサービスを提供し、「ゲームプラットフォームにおけるIBM」のような立ち位置を得たとのことです。Peakが2010年に農業シミュレーションゲーム「Komşu Çiftlik」をリリースすると、100万人以上がそのFacebookページをフォローしたとのこと。
「私たちの強みは、ゲームのソーシャルな性質でした。アニメーションも技術も完璧ではありませんでしたが、その時期の人々のニーズを満たしたのです」とKoç氏は語っています。実際に、同時期、多くの開発者が収益化に苦労する中で、Peakは大成功を収めました。
その後、Peakはカジュアルゲームを軸として複数のゲームをリリースしていきました。2010年後半までには社員を100人にまで増やしたPeakは、従来のトルコの職場環境と異なることでも注目を浴びました。Peakではそれぞれの開発者に独立性を認めた上で、アジャイルベースで開発が進んだとのこと。政治的に抑圧されたトルコ国内において、このような職場環境は若い開発者にとって大きな魅力となりました。
このようにゲーム産業が発達していったトルコですが、一方で「現時点でカジュアルゲーム産業は繁栄しているものの、『超高速の消費』に基づいており、持続不可能である」という指摘もあります。開発者はヒットするゲームを作ることができれば大きな収益を得られますが、ゲームの作り方を本格的に学ぶには高額な資金が必要になり、ほとんどの開発者は安価なゲームを大量に作ることが求められるためです。特に週1ペースでの新作発表を求められるカジュアルゲーム業界では、常に新しいアイデアを求められ、搾取構造が生まれているとのこと。これは前述のKoç氏も懸念する事態となっています。
トルコのゲームスタジオへの投資は依然として続いています。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行で、映画館やカフェテリアといった従来の娯楽施設が営業を制限され、モバイルゲーム産業に有利に働いたことも1つの理由です。
しかし、モバイルゲーム開発が不安定な状態にあることを念頭にいれると、kıraathaneやHakkarim.netが衰退していったように、F2P開発のブームも衰退していく可能性があるとRest of Worldは指摘しています。
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