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「太陽王」ルイ14世の絶頂期と晩年の衰えとは?


わずか4歳で即位し、約70年にわたってフランス国王として君臨し続けたルイ14世は17世紀のフランス・ブルボン王朝の最盛期を築き、「太陽王」とも呼ばれています。そんなルイ14世の生活と晩年を、YouTubeチャンネルの「Nightshift – Kurzgesagt After Dark」がアニメーションで解説しています。

The Final Days of Louis XIV - YouTube


ルイ14世の朝は朝食と排便から始まり、医師が便を調べていたとのこと。身体の細部までが統治の一部として公開され、ルイ14世の身体が国家の象徴でした。ミサでは音楽と入場の演出が整えられ、日替わりの曲がルイ14世のために用意されます。神が天にいるとしても、ルイ14世が神の代理人として崇められたというわけです。


11時になるとルイ14世は私室へ戻り、書簡、財政、戦略を閣僚とさばきました。国の意思決定がルイ14世の手を通って行われていたというわけです。特にルイ14世は自身の壮大さを証明するため、領土拡大に精力を注ぎました。


異国との外交もまた見せ物として扱われ、豪華な品々がルイ14世に贈られました。2年かけて到着したシャム(現在のタイ)の使節からの贈り物は現在の価値で約200万ドル(約3億1000万円)とされ、それもルイ14世の威厳を示すために使われたそうです。


1682年、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿を恒久の住まいとしました。宮殿は未完成でも他の宮殿を凌ぐと誇示され、栄光の象徴であると同時に、政治の装置として機能しました。


ヴェルサイユ宮殿の広大な庭園と建物の規模は圧倒的で、豪奢さそのものがルイ14世の正当性を語る道具になります。黄金に包まれた光景は、見る者に服従を学ばせる舞台となります。


宮殿は香水と蝋燭と食べ物を温める湯気で満ち、贅沢の象徴となります。庭園は24000本のロウソクで照らされたそうです。


ヴェルサイユ宮殿にはフランス各地から貴族が集められ、故郷から切り離された生活を強いられます。宮殿は社交の中心に見えて、実際は貴族の力を奪う監禁の仕組みでもありました。ルイ14世は称号や特権で貴族の虚栄心を満たし、彼らに重要人物であるという錯覚を与え、結果として国家の資金が宮殿に吸い寄せられ、ルイ14世の統制がいっそう強まります。


晩餐では楽団が演奏し、廷臣たちがルイ14世と食事を共にしました。なお、ルイ14世は食器に頓着せず手づかみで食べることを好んだといわれています。


しかし、その煌めきの外側では、ヨーロッパの諸国がフランスの急成長を恐れていました。


ルイ14世はライン川やアルプス山脈、ピレネー山脈を「自然国境」と捉え、星形要塞を100以上整備し、40万人の兵と1万3000門の大砲で防衛線を固めます。在位72年の間に主要な戦争を5回戦いました。


イタリア有数の港湾都市ジェノヴァはフランスから10日間砲撃され、市街の半分が破壊されたとされ、抵抗すれば火が降ると脅迫されました。こういった戦争でベルギー、ロレーヌ、アルザス、ストラスブールなどがフランスに取り込まれていきます。


しかし、領土拡大を積極的に行った結果、平時でも軍が国家財政の半分以上を消費しました。戦時中には国庫が枯れ、重税で農民の不満が高まり、暴動には軍事弾圧で応じました。また、勝利を誇張し国内問題を小さく見せるプロパガンダも行われていたとのこと。


ルイ14世は慈善のように見える施策も採りました。しかし、慈善事業として建てられたパリの病院は不潔で、治療より隔離の場に近いとされ、「医療は痛みに耐える訓練に等しい」と言われていました。


当時は「体から悪いものを排出する」という考えのもと、瀉血(しゃけつ)が主な治療法で、近代的で科学的なものとはいえませんでした。フランスの医学が大きく進歩するには、18世紀まで待つ必要があります。そんな中、ルイ14世は「歯はすべての病気の温床である」という侍医の主張に基づいてすべての歯を抜いてしまいました。当時は麻酔がなかったため、すべての手術は麻酔なしで行われ、抜歯後は焼けた鉄棒で歯茎を焼いて消毒したそうです。


しかし、衛生的には不十分な処置だったため、やがてルイ14世の口と鼻は穴が開いてつながってしまったとのこと。飲み物が鼻へ抜けて食べ物がたまり、ルイ14世からは常に腐敗臭が漂っていたそうです。閣僚たちはその腐敗臭に耐えるため、香水を染みこませたハンカチを鼻に当てて会議を行っていたといわれています。その後、医師は穴を焼いて塞ごうとし、ルイ14世は数日まともに食べられない状態になりました。


さらに肛門近くの腫れが悪化した時は、刺す、焼く、薬を注ぐといった処置が行われました。前例がない手術だったため、外科医は死刑囚に手術を試してからルイ14世に臨んだそうですが、失敗したとのこと。肛門に刃が入る瞬間、ルイ14世は大臣の手を握り、短く祈ったそうです。3時間後に手術は終わりましたが、手術は秘密で行われたはずなのに宮廷では尻に包帯を巻く流行が広がったそうです。


60代になってもルイ14世は戦争を続けますが、痛風や関節炎によって前線から遠ざかります。瀉血や浣腸は効かず、歯を失ったルイ14世にとって饗宴も過去の記憶。そんなルイ14世朝を守りたい時期に麻疹(はしか)がルイ14世家を襲い、息子や孫など後継者が相次いで亡くなります。そしてルイ14世自身も、ある夏の日に寒気が走ってから、左脚の痛みと黒い斑点から壊疽(えそ)が広がっていることに気付きます。


腐敗臭が寝室を満たしていく中で、ルイ14世はそれでも政務を続けようとしますが、閣僚はルイ14世に死相を見出していたとのこと。


1715年9月1日、ルイ14世は壊疽の悪化によって亡くなりました。ルイ14世はひ孫だった5歳のルイ15世を呼び、「近隣と平和を保て。戦争を愛しすぎた自分にならうな」と伝えたそうです。なお、重税と圧政に苦しんだフランス国民はルイ14世の崩御を知り歓喜したと伝えられています。


Nightshiftは「72年という長期統治で、1人が国家であるという観念をルイ14世は体現しました。ですが、その仕組みは高コストであり、1人の巨大な自我と身体に依存しすぎていました。かつて権力の源だった身体が崩れるにつれ、完璧なイメージは剥がれ落ち、歯のない苦しむ人間が残りました。ヴェルサイユの夢は模倣され続ける一方で、人間の身体こそが影響力の限界です」とコメントしています。

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in 動画,   メモ, Posted by log1i_yk

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