PlayStation Vitaがゲーム業界に与えた影響とは?
by Pete Slater
2012年に登場した「PlayStation Vita(PS Vita)」は、有機ELディスプレイや3G通信対応など、当時としては先駆的な機能を多数備えた携帯型ゲーム機でした。そんなPS Vitaがゲーム業界に残した遺産について、IT系ニュースメディアのThe Vergeが解説しています。
‘The little handheld that could’: examining the Vita’s impact a decade later - The Verge
https://www.theverge.com/2021/6/24/22545198/playstation-vita-10-year-anniversary-sony-handheld
PS Vitaの開発が始まったのは2007年、当時はまだPlayStation Portable(PSP)がまだまだ現役の時代でした。この頃のソニーは「携帯ゲーム機には大きなチャンスがある」と考えており、据え置き機のようなハイクオリティなゲームを携帯機でプレイできるようにすることこそがPlayStationに適した戦略だと認識していたそうです。こうした理由から、Vitaは外出先で据え置き機クオリティのゲームをプレイしてもらい、帰宅後は本物の据え置き機でゲームをプレイしてもらうという想定のもと開発が進められました。しかし、The Vergeによると、PS Vitaは当初の想定を超えるほど、さまざまな側面で先駆的なハードだったとのこと。
PS Vitaのハードウェア面で特に印象深い点として、元ソニーのマーケティング担当ヴァイスプレジデントのジョン・コラー氏は「有機ELディスプレイ」を挙げています。初代PS Vitaはマルチタッチに対応した5インチの有機ELディスプレイを搭載しており、その解像度は960×544ピクセル、表示色は約1677万色。携帯ゲーム機で有機ELディスプレイを採用したのは史上初のことでした。なお、2021年秋に登場予定の新型Nintendo Switchが有機ELディスプレイ搭載ではないかとウワサされています。
しかし、PS Vitaは時代に翻弄されることとなります。当時はPS3・Xbox 360・Wiiが並び立つ時代で、ソニーは「携帯機と据え置き機を統合する」という構想を抱きながら、PS Vitaの初期シリーズとして3G/Wi-Fi対応モデルの「PCH-1100」と、Wi-Fi対応モデルの「PCH-1000」をリリースします。しかし、ほとんどの消費者が3Gのコストと使用率を嫌い、Wi-FiモデルのPCH-1000を購入。これに伴い、ソニーも戦略の軸をWi-Fiモデル中心のものに変更せざるを得なくなります。
by Tommy He
さらに追い打ちとなったのが、スマートフォンの登場でした。ソニーの元シニアディレクターであるクリスチャン・フィリップス氏によると、ソニー社内では「スマートフォンはゲームができればいい程度の存在で、たかだかコーヒーのできあがりを待つ間や空港での待ち時間に使うくらいのもの」という考えが横行していたとのこと。2010~11年頃のiPhoneやiPadの台頭に危機感を覚える社員もいましたが、PS Vitaの戦略に「対スマートフォン」が組み込まれることは結局なかったそうです。その結果、PS Vitaにはコラー氏いわく「時代を先取りしているが、タイミングが間違っている」機能が多数組み込まれることになりました。
「時代を先取りしているが、タイミングが間違っている」機能の代表例が、デジタル配信。PSPは「ユニバーサルメディアディスク(UMD)」という小型の光ディスクを採用していましたが、PS VitaはPlayStationシリーズ初となる「カートリッジ」を採用。ただしこのカートリッジもデジタル配信の踏み台という扱いで、PlayStation Networkのマーケティングおよび運用チームはPS Vitaで100%デジタル配信にするようにこだわっていたそうです。100%デジタル配信というのはPlayStation 5 DigitalEditionやXbox Series Sで達成されたため、この2機種が登場した2020年時点でみると合理的な決定と言えますが、PS Vitaの「2012年」という時代にはそぐわないものでした。当時のPS Vitaでは、ゲームをダウンロードするためにかなり長時間待つ必要があったそうです。
PS Vitaの開発時には「ゲームのダウンロードを実店舗で行えるようにする」という案もあったそうですが、この案は消費者に優しくないという理由からすぐに却下され、「UMDの再利用」という案もUMDの価格と容量の限界から却下されました。こうしてPS Vitaは物理カートリッジとデジタル配信の2本立てという設計になったそうです。
また、当時最も議論が活発に行われたのは、「PS Vitaに独自メモリーカードを採用すべきなのか」という内容だったとのこと。PSPでは暗号化エンジンがハッキングされた結果、ゲームデータがファイル共有ソフトウェアなどに流出してしまったため、次世代のPS Vitaでは何らかの海賊版対策が求められていたというわけ。こうした状況から物理メディア・デジタル配信・メモリーカードに関して多岐にわたるオプションが検討された結果、結局は独自メモリーカードを採用する流れになったとのこと。
by Mohamed Zahid
こうした点をうまく処理したゲーム機として挙げられているのが、2017年に登場したNintendo Switchです。Nintendo Switchが世界でも人気を博した要因としてThe Vergeが解説しているのが、「ブロードバンド普及率」「自社タイトルへの取り組み」「任天堂の熱心さ」の3点。PS Vitaが登場した2012年にはブロードバンド普及率は低く、ゲームのダウンロードとオンライン対戦は達成困難でしたが、Nintendo Switchが登場した2017年にはブロードバンド普及率ははるかに高くなっていたため、状況はまるで異なっていました。そしてソニーは据え置き機と携帯機のクロスプレイやクロスセーブなどに取り組み、果ては据え置き機のゲームをVitaになんとか移植するという挑戦に挑みましたが、任天堂は据え置き機にも携帯機にもなるゲーム機を開発し、別の道を行きました。
コラー氏によると、「任天堂はゲーム開発に組織全体で取り組んでいた一方、ソニーはそうではなかった」とのこと。具体的には、ソニー傘下のゲームスタジオはいずれもPS4のタイトル開発を優先したいという理由から、PS Vitaのタイトル開発を後回しにしていました。そして、PS4とPS Vitaでは売上規模に大きな差があったことも、この問題に拍車をかけました。
そしてコラー氏が強調しているNintendo Switchの成功要因が、「任天堂の熱心さ」です。どのようなゲーム機においても、リリース直後の6カ月間が一番重要とされており、この時期における「本体の初動売上」「タイトルの販売本数」の2点でパブリッシャーやデベロッパーは当該ゲーム機でゲーム開発を行うかどうかを判断します。6つのPlayStation機の立ち上げに携わったというコラー氏にとってもNintendo Switch発売当時における任天堂の熱心さは見事だったとのことで、コラー氏は「古くからあるゲーム業界の格言ではあるが、ゲーム機の立ち上げは本当に難しい」「時間を戻せるのならばPS Vitaにできる限りの全てをしてあげたい」と述べ、「PS Vitaは非常に困難な市場で戦いを挑んだという経緯から、私のお気に入りのゲーム機です」と語りました。
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