17世紀のイギリスで活躍した「女性スパイ」の歴史とは?
「女性スパイ」といえば第一次世界大戦中にスパイ容疑で捕らえられたマタ・ハリや、第二次世界大戦時に日本軍の工作員として諜報活動を行ったとされる川島芳子の名が挙がります。イギリスでは近代の戦争よりはるか昔、17世紀に王と議会が対立して激しく争った清教徒革命前後に女性スパイが暗躍した歴史があるとのことです。
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清教徒革命とは、宗教問題が原因で1639年に発生した主教戦争をきっかけの一つとして、イングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦です。広義では主教戦争から1660年のイングランド王政復古までを含み、イングランド王のチャールズ1世・チャールズ2世を支持する騎士党(王党派)と、議会による行政組織の支配を目指す円頂党(議会派)に分かれて激しく争いました。
そんなイングランドで議会派のスパイとして活動したと伝えられているのが、「議会派のジョーン」とも呼ばれたエリザベス・アーキンです。アーキンはイングランド内戦の初期に王党派の手で処刑されたフランシス・アルキンの妻であり、議会派の有力な軍人であったロバート・デヴァルー、ウィリアム・ウォラー、トーマス・フェアファックスにスパイとして雇われたとのこと。
アーキンは1645年、王党派に金属を提供していた鉄商人のジョージ・ミンネスの活動を明らかにして議会派から報奨金を受け取ったほか、王党派を支持する内容を訴える出版物の版元や関係者の発見を行ったとされています。1649年にはアーキンの動きに気づいた王党派の出版物「Mercurius Pragmaticus」が、アーキンのことを「議会派のジョーン」と書き立てました。
17世紀の女性スパイについてまとめた「Invisible Agents: Women and Espionage in Seventeenth-century Britain」の著者であるネイディーン・アッカーマン氏によると、議会派を勝利に導いたオリバー・クロムウェルやそのスパイマスターであるジョン・サーローに雇われた17世紀の女性スパイは、主に「看護師」として報酬を受け取っているケースが多かったとのこと。
議会派の有名な女性スパイとしてはアーキンの他に、カーライル伯爵夫人であったルーシー・ヘイがいます。ヘイは「チャールズ1世が5人の下院議員を捕まえようとしている」という情報を議会派の夫・第3代エセックス伯デヴァルーに伝え、チャールズ1世と議会派の対立を深める要因を生み出しました。
一方、騎士党の側について活躍した女性スパイもいます。たとえばジェーン・ワーウッドは騎士派の女性スパイを管理したり騎士派の資金密輸を調整したりしたほか、アン・ハルケットは議会により捕らわれていたヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)を助け出し、女装させてヨーロッパ大陸に亡命させました。また、議会派との争いに敗れて軟禁されたチャールズ1世も掃除婦を通じて外部にメッセージを伝えるなど女性スパイを活用したといわれています。
スパイとして活動した女性は他人の目をかいくぐるため、政治的な言葉を別の日常的な単語に置き換えた文書で雇い主に情報を伝えていました。アッカーマン氏によると17世紀のイギリスでは女性がスパイだと疑われる可能性は低く、一般的にスパイだと露見しても男性より寛大に扱われたそうですが、上流階級に保護されていない女性スパイは暴力や処刑の危険があったとのことです。
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