2Dアクションゲームの古典的傑作「プリンス・オブ・ペルシャ」の開発秘話を開発者が語る
1989年にApple II専用タイトルとして発売された「プリンス・オブ・ペルシャ」は2Dアクションゲームの傑作として知られており、スーパーファミコンやメガドライブ、ゲームボーイなど数多くのゲーム機にも移植されました。そんなプリンス・オブ・ペルシャのオリジナル版を開発する上で、Appleが1977年に発売したApple IIに存在した「メモリの制限」がゲームデザインにどんな影響を与えたのか、制作者であるジョーダン・メックナー氏本人が開発秘話を明かしています。
How Prince of Persia Defeated Apple II's Memory Limitations | War Stories | Ars Technica - YouTube
プリンス・オブ・ペルシャは、アラビアンナイト風の世界の中で、主人公がギロチンやスパイクなどのトラップをかいくぐって姫を助け出すというアクションゲーム。「走る」動作の始動時や停止時に発生する遅延などに代表される独特の操作感や、制限時間内に最終レベルをクリアしなければバッドエンドになるというシステムが特徴です。
そんなプリンス・オブ・ペルシャはXbox 360やPlayStation 3、iOSなどでもリメイク版が発売されていますが、オリジナルはApple II版でした。Apple II版のゲーム画面はこんな感じ。
ムービーを見ると、キャラクターの独特のモーションがApple II版の時点で完成されていたことがよくわかります。
こちらがプリンス・オブ・ペルシャを制作したジョーダン・メックナー氏。
プリンス・オブ・ペルシャ制作の経緯について、DCコミックスなどのコミックや映画に慣れ親しんでいたメックナー氏は、Apple IIという機器の登場によって「自宅でゲームをプレイできる」ことに感動したと語ります。
メックナー氏はApple IIでゲームをプレイするだけにとどまらず、しだいに「Apple IIのゲームを開発する」ことに熱中。当時はプログラミングを学ぶ雑誌などが発刊されていたことも追い風となりました。
プリンス・オブ・ペルシャの下敷きとなったのが1984年に発売されたメックナー氏の処女作である「カラテカ」というアクションゲーム。カラテカについてメックナー氏は、「ゲームにストーリーを持ち込みたかった」と語ります。
カラテカのストーリーは非常にシンプル。敵のアクマ将軍によって誘拐された姫を、主人公が「空手」で救い出すというものです。
敵との戦闘は1対1で行われます。カラテカは「敵に対してお辞儀をしないと、敵AIが超高難易度設定になる」という「礼儀重視」のゲームシステムも特徴の1つでした。
メックナー氏によると、「カラテカの作成時点ではApple IIが世界一のゲーム開発プラットフォームだった」とのこと。しかし、そんなApple IIですら、「表示色は4色」「解像度は280×192ピクセル」「最大メモリーは48KB」という制限が存在しました。この制限について、メックナー氏は「かなり厳しいものだった」と述懐します。
カラテカ作成時にぶち当たった最初の問題はグラフィックでした。当時はピクセルごとに色を1つ1つ当てはめたコードを書くという手法しか存在しなかったため、「出来上がったキャラクターのアニメーションは、頭の中のイメージとかけ離れていた」とメックナー氏。
そんなメックナー氏が着目したのは、ディズニーが使っていた「モデルの動きをカメラで撮影して、それをトレースしてアニメーション化する」という「ロトスコープ」という技法。
メックナー氏は自身が師事していた空手の師範に依頼して、カラテカのキャラクターの基礎となる動きを撮影。
この動きを2次元化して、ピクセルアートに変換しました。
1984年に発売されたカラテカは、ビルボードのセールスランキングで1位を獲得するほどの人気となります。当時メックナー氏は大学を卒業したばかりで、1位を獲得したことはゲーム開発を続ける動機となりました。
そんなメックナー氏が2作目であるプリンス・オブ・ペルシャのインスピレーションとしたのは、インディー・ジョーンズシリーズ第1作である「インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク《聖櫃》」の冒頭の10分間。
主人公であるインディアナ・ジョーンズが穴を飛び越えるシーンや、壁から突き出してくるスパイク、目の前で閉まるゲートなどは、「ロードランナー」「The Castles of Dr. Creep」のようなプラットフォーム・ゲームに最適だと思えたとメックナー氏は語ります。
しかし、ロードランナーなどの初期のプラットフォーム・ゲームはキャラクターの動きに「自重」が感じられず、足場を踏み外して落下してしまった際のキャラクターの痛々しさが描写し切れていなかったとメックナー氏は感じていました。
そのため、メックナー氏は、「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」を見たときの興奮が伝わるように、「走る」「ジャンプする」「懸垂する」「落下する」などの動作がスムーズなアニメーションを作成すると決意します。
1985年にプリンス・オブ・ペルシャを制作していたメックナー氏の追い風となったのが、当時の新技術だったVHSでした。メックナー氏は自分の弟が駐車場で走る姿をVHSで撮影して……
「映像を画面に1フレームごとに出力する」という手法で映像を画像化しました。
そして、その画像を1枚ごとに油性マーカーで塗りつぶして抽象化して、「1フレームごとのキャラクターの動き」に変換。
こうして完成した「キャラクターの動きの原案」を、アニメーションツールでピクセルアートにしました。
しかし、このアニメーションに立ちはだかった壁が「メモリの制限」です。Apple IIは、「48KB」という、現代のメール1通よりも小さいサイズのメモリしかなく、この48KBの中に画像・背景・アニメーション・ゲームシステム・SE・BGMなどの全てを詰め込む必要がありました。
開発から2年が経過した1988年の6月、メックナー氏はプリンス・オブ・ペルシャをほとんど完成させていましたが、「理想まで何かが足りない」と思い悩んでいました。同時に1977年に発売されたApple IIというプラットフォームは時代遅れになりつつあることもメックナー氏の焦りを助長していました。
初期のアイデアでは、プリンス・オブ・ペルシャはスパイクや落下床などの罠をかいくぐるというだけのゲームで、「戦闘」は存在しなかったとのこと。このことは、「主人公以外のキャラクターを入れる容量がない」ということも原因でした。
ところが、当時同じオフィスで別のプロジェクトを進めていた同僚のトミ氏は、メックナー氏のデスクの横を通りかかるたびに「Combat!(戦闘!)」と必ず声を掛けていたそうで、初期バージョンのプリンス・オブ・ペルシャに必要な要素は「戦闘」だとハッキリ見抜いていたとのこと。
メックナー氏は初期のアイデアに従って「戦闘の存在しないプリンス・オブ・ペルシャ」の作成を続けていましたが、出来上がったものについて「自分でも面白くなかった」と述懐。初期バージョンのプリンス・オブ・ペルシャは、メックナー氏の1作目であるカラテカに存在したような「シンプルな戦闘」が生み出す面白さが存在しませんでした。
そんなメックナー氏とプリンス・オブ・ペルシャの運命が変わった日が1988年6月に訪れます。いつものようにメックナー氏のデスクを通りがかったトミ氏が、「戦闘よ!」と発言。その発言に対してメックナー氏がいつものように「初期コンセプトに戦闘は存在しないんだ。それに、もうメモリー容量がないよ」と反論したところ、トミ氏は「カラテカだったら、敵キャラクターは主人公と全く同じ見た目だったけど、そうしないの?」と返したことがきっかけでした。
メックナー氏は最初は「主人公は好ましい見た目であるべきだけど、敵キャラクターはそういう見た目であるべきじゃない」と言い返しましたが、トミ氏は「敵キャラクターの色を変えたら?」と提言。この提言を受けて、メックナー氏は「.EOR.」というコマンドの存在を思い出します。「.EOR.」は2つのビットが同じ場合は0を出力、2つのビットが異なる場合は1を出力というコマンドです。メックナー氏はこの「.EOR」を上手に使った場合、主人公の輪郭だけをキラキラと輝く幽霊のように表示させられることに気づきます。
その瞬間、メックナー氏の脳裏に沸いたアイデアが、主人公の輪郭だけを抜き出して残りの部分を黒塗りにした「シャドー」というキャラクター。シャドーは走る・ジャンプ・懸垂などの各種動作は主人公と共通で、メモリにも負担を掛けませんでした。
「これこそが、ゲームに必要な敵キャラクターでした」
シャドーは「影」という存在から、「鏡に入った主人公から生まれる」という登場の仕方や、「主人公が飲むポーションを勝手に使う」「扉を勝手に閉めて妨害してくる」などの要素も自然にアイデアが出たとのこと。
「シャドーを傷つけると自分が傷つくが、シャドーは主人公の動きをまねるため、自分が剣を納めればシャドーも剣を納める。そうして戦闘を回避することが唯一の解決法」というギミックも、シャドーの存在から思いついたものだとメックナー氏は解説。
シャドーの発案でプリンス・オブ・ペルシャが良い方向に行きだしたと確信したメックナー氏は、敵キャラクターの追加を決断。最終ステージでは12KBもの容量を捻出して敵キャラクターに割り当てました。
しかし、敵キャラクターの追加によって、「敵キャラクターのモーション」という新しい問題が生じます。主人公のモーションを担当したメックナー氏の弟は、当時3000マイル(約4800km)離れた位置に住んでおり、さらに「剣劇」をしたことがなかったそうです。そのため、当初はメックナー氏や同僚のロバート氏が「敵キャラクターのモーション」を担当する予定でした。しかし、この試みは上手くいかなかったとのこと。
そんな中、メックナー氏が着目したのは、1938年の映画「ロビンフッドの冒険」でした。この作中には、約6秒間の「フェンシングシーン」が存在しました。
メックナー氏はこの6秒間のシーンをフレームごとに分割して、自身が開発した手法を使ってアニメーション化。
こうしてプリンス・オブ・ペルシャの剣劇が生まれました。
この剣劇から、「剣劇でキャラクターを押し込んで落下させる」などのプリンス・オブ・ペルシャを彩る派生的な仕掛けも出現しました。
プリンス・オブ・ペルシャの制作過程から得られた教訓は、「2つの相反し合うアプローチやアイデアが頭の中に存在するとき、その2つを調整しなければならない」ことだとメックナー氏は語ります。
プリンス・オブ・ペルシャの制作時は、最初のアイデアは素晴らしかったものの、アイデア自体に縛られてしまっていたわけです。シャドーというアイデアは、「ロビンフッドの冒険」や「インディー・ジョーンズ」に登場したアクションを上手に昇華できた点が素晴らしかったとメックナー氏はコメント。
Apple IIはプラットフォームとして時代遅れになりつつありましたが、1989年に発売されたプリンス・オブ・ペルシャは人気を博し、メガドライブ版やスーパーファミコン版、ゲームボーイ版などの移植作が多数登場。
PlayStation 2の「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」などのプリンス・オブ・ペルシャの世界観を継ぐゲームも登場しています。
初代プリンス・オブ・ペルシャの制作から30年以上が経過した今、作成時に使った資料を見返して「ローラーコースターみたいにゲームが良くなったり悪くなったりしてるけど、それをどうやって解決したかがわかる。すごく面白いよ」とメックナー氏はコメントしています。
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