140人近い子どもが殺され神に捧げられた儀式の詳細が明らかに、心臓が取り除かれた可能性も
ペルーの北西部にある15世紀の遺跡の発掘調査を行っている国際的な考古学チームが、140人近い子どもたちと200頭ものラクダ科動物が生け贄(いけにえ)に捧げられた事実を明らかにしました。人間や動物を神への供物として捧げる生け贄は、過去に世界各地で文化として行われていましたが、これほど大量のいけにえが一度に捧げられた痕跡が発見されるのは珍しいことです。
A mass sacrifice of children and camelids at the Huanchaquito-Las Llamas site, Moche Valley, Peru
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0211691
Study of The Largest Child Mass Sacrifice in The Americas Reveals Chilling New Details
https://www.sciencealert.com/largest-mass-sacrifice-of-children-in-the-americas-slaughtered-over-140-victims
15世紀に捧げられた大量の生け贄が明らかとなった発端は、2011年にペルー北岸の住民が、道ばたの砂丘から人間とラクダ科動物の骨が突き出ているのを発見したことです。骨の発見現場付近はHuanchaquito-Las Llamasという発掘現場となり、最初の発掘調査によって43人の子どもと74頭のラクダ科動物の遺体が発掘されました。ラクダ科動物はラマかアルパカのいずれかと考えられていますが、どちらなのかは特定されていません。
研究チームはその後も発掘調査を行い、2014年と2016年の発掘調査によって生け贄に捧げられた子どもや動物の数は3倍にまで膨れ上がりました。記事作成時点では137人の子どもと3人の成人、そして200頭のラクダ科動物の遺骨が発見されています。まだ発見されていない生け贄が存在する可能性も十分に考えられるため、今後の調査でさらに生け贄の数が増えるかもしれないと研究者は述べています。
テュレーン大学の考古学者であるJohn Verano氏は、「この考古学的発見は、研究チーム全員にとって驚くべきものでした」と語っています。「私たちはこれほど大量の生け贄をこれ以前に見たことがなく、ペルー北岸でここまで大規模な子どもと動物の生け贄が捧げられていたという歴史的、民俗学的資料もありませんでした」とVerano氏は述べ、一連の発見が予期せぬものだったと主張しました。※画像をクリックするとモザイクが外れます。
遺体を放射性炭素年代測定法によって分析したところ、一連の生け贄が1450年ごろに捧げられたものであり、およそ700平方メートルにわたって生け贄が埋まっていたことがわかりました。また、遺体のDNAを分析した結果、生け贄にされた子どもは男女両方が含まれており、殺された時の年齢は5歳~14歳だったことは判明しています。
ペルーの北西部は9世紀から15世紀にかけてチムー王国が支配しており、首都のチャン・チャンを中心として月を信仰するチムー文化が栄えていました。時期的に考えて今回発見された生け贄も、チムー文化の影響を受けたものだとみられているとのこと。
いったいなぜ子どもたちが生け贄に捧げられたのかという理由については明らかになっていませんが、研究チームは「古代の文化において子どもの体は『神と人が混ざった状態』であるとみなされることがあり、神への贈り物やメッセンジャーに適していると考えられていました」と説明しており、そういった子どもの性質が理由で生け贄に選ばれた可能性を示唆しています。また、生け贄が埋葬された地点がチムー文化における神の怒りを表しているともいわれており、神の怒りをなだめる役割を儀式が担った可能性もあります。
また、「子どもや動物が埋葬された地点が厚い泥の層になっていること、泥に人々や動物の足跡がある点を考慮すると、生け贄の儀式は豪雨や洪水といったイベントの後に行われたのかもしれません」とも研究者は述べており、乾燥した地域で極端な大雨が降ったことが原因で、神に生け贄を捧げて怒りを鎮めようとした可能性もあるとのこと。
by sourabhkrishna806
子どもたちの遺体には肋骨が切断された痕跡があり、心臓が取り除かれた可能性もあるそうです。さらに、子どもたちは殺された後に海へ面する形で、動物は山に面する形で埋葬されたことも判明しています。遺体の周辺に残った遺物から、殺された子どもたちはフェイスペイントが施され、綿の頭飾りをかぶっていたことも示唆されています。
また、研究チームは子どもの頭蓋骨の変形具合や炭素および窒素同位体比の不均質さを考慮すると、単一の地域集団に属する子どもだけではなく、さまざまな地理的・民族的集団から集められた子どもたちだったかもしれないと指摘。チムー文化に属する広範囲の集団が協力して子どもたちを集め、同一の目的をもって生け贄に捧げた可能性があるとのこと。
今回の発見は恐ろしいものに思われますが、古代文化を理解するための考古学的・人類学的に重要な手がかりとなり得ます。「遺跡を完全に発掘することが可能かつ、学際的な研究者とラボが結集したチームを作り上げることができたので、私たちは非常に幸運でした」とVerano氏は述べました。
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