アート

旧ソ連時代のエストニアで発行されていた伝説的ファッション誌「Siluett」


ソビエト連邦では「商業的で、退廃を招く幼稚なもの」としてハリウッド映画やロック、ヘヴィメタルなどが禁じられていました。ソビエト連邦に支配されていたエストニアも同様に文化が規制されていたのですが、その中で、ファッション誌「Siluett」は大きな人気を博し、ついにはロシア語まで出版されるほどに。エストニアの古本屋で当時の雑誌を見つけたJonathan Bousfieldさんが、写真とともにSiluettの特殊さについて説明しています。

Stray Satellite
http://straysatellite.com/siluett/

「Siluett」は1958年にTallinn Fashion Houseによって発行された雑誌で、エストニアがソビエト連邦に占領される中で正式に発刊された、おそらく唯一のファッション誌とのこと。非常に人気が高く、ピーク時にはエストニア語だけでなくロシア語版も発行されました。


Siluettが発刊された当時、ソビエト連邦は消費財の製造や市民の余暇といった側面に注意を向けていました。ソビエト連邦の中でも特に西洋化された場所だと認識されていたエストニアの首都・タリンで、このような雑誌が現れたのは不思議ではありません。タリンはソビエト連邦の主流からかなり外れており、ポップカルチャーの実験場所として比較的自由な雰囲気があったそうです。

Siluettではエストニア人モデルが採用され、エストニア人カメラマンが撮影を行いましたが、デザインの多くの点で西洋のスタイルが取り入れられました。その一方でニットや帽子、ブラウスなど、現地の民族衣装からもインスピレーションを受けています。

以下が1968年に出版されたSiluettの表紙。


60年代らしい幾何学なシルエットのドレスが見て取れるモノクロ写真や……


大きな花柄のワンピース。


多色刷りのイラストも。


おおぶりなサングラスやイヤリング、ヴィダル・サスーンが考案したサスーンカットなど、当時の雰囲気が感じられます。


色もカラフル。


そして、見逃されがちな点ですが、読者への訴え方にも特徴があったとのこと。Siluettは全ての刊において、読者が自分で服を作れるようにパターンを付属させていました。ソビエト連邦の占領下だったエストニアでは、衣服が十分にそろったお店は少なく、流行りの服を手に入れるためには作るしかなかったためです。

「何でも可能だし、発展することが当然だと考えられた」1960年代にSiluettは絶頂期を迎えます。その後、1970年に入ると雑誌のレイアウトはさえなくなり、カラー印刷の質が落ち、デザインも保守的になっていきます。

以下が1972年に出版されたもの。モノクロ写真からカラー写真に変わったものの、落ち着いた色合いです。


民族衣装を取り入れたファッション。


イラストの雰囲気も、1960年代から1970年代で変化しているのがわかります。


全体的に見るとSiluettは、ソビエト連邦のあり方が西洋の近代性やスタイルとマッチすることができる、と示しました。しかし一方で、エストニアの人々のアートとデザインの才能・技術がいかにモスクワを越えているかを示すことで、エストニア人の自尊心を切り開くことにもつながったとのことです。

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in デザイン,   アート, Posted by darkhorse_log

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