18億円もの価値がつけられたレオナルド・ダ・ヴィンチの「失われた絵画」はなぜ本物だとわかったのか?
フランスのオークションハウスに持ち込まれた絵画がレオナルド・ダ・ヴィンチの失われた絵画であり、その価値が18億円を超えると見積もられたのは2016年のこと。何百年も前に描かれた絵画が複製でも贋作(がんさく)でもなく、ダ・ヴィンチ本人の作品だと判断されるには、どのような経緯があったのかを、美術史家のNoah Charney氏が解説しています。
Why the expert eye still rules the game of art authenticity | Aeon Essays
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2016年3月、引退した元医師がパリの「タジャン・オークション」に1枚の絵画を持ち込みました。聖セバスティアヌスを描いた絵画は医師の父親が額に入れずに収集していた14枚のうちの1枚で、メトロポリタン美術館の学芸員を含む複数の専門家によって鑑定が行われたところ、なんとルネサンス期の画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品だと結論づけられました。
当時のニュースは以下から読むことが可能です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの長らく失われていた絵画を発見、約18億円もの価値に - GIGAZINE
この作品の表側には、木に身を縛り付けられた聖セバスティアヌスが描かれており……
裏側には光と影に関する略図が、ダ・ヴィンチのものだと見られるメモと共に描かれています。
フランス政府はこの絵画について「国の宝」「希少なアイテム」と述べ、作品がダ・ヴィンチの描いたものであることは議論の余地がない、とする専門家の意見に同意しました。では、なぜ何百年前に描かれた作品であるのに、ダ・ヴィンチのものであると断言できるのでしょうか。
タジャン・オークションに持ち込まれた絵画は、まずオールド・マスターの専門家であるThaddée Prate氏に、その後に地元の専門家であるPatrick de Bayser氏に見せられました。de Bayser氏は一瞬ミケランジェロの作品だと考えたのですが、テクニックが初期のダ・ヴィンチを思い出させたこと、そして影の描き方から画家が左利きであると判断できたことから、ミケランジェロではなくダ・ヴィンチの作品だと思い至ったそうです。そして裏側に光や影についてのスケッチと、左手で書かれた文章を見て、de Bayser氏は興奮したとのこと。ダ・ヴィンチは左利きですが、弟子の中に左利きの画家は含まれなかったためです。
その後、de Bayser氏はメトロポリタン美術館に在籍するイタリア・スペイン絵画の学芸員であるCarmen C Bambach氏に連絡を取りました。Bambach氏は2003年にメトロポリタン美術館で行われたダ・ヴィンチの展示会のカタログを編集した人物です。ダ・ヴィンチについては、学術的にはオックスフォード大学の美術史家であるMartin Kemp准教授が著名ですが、絵画に関してはC Bambach氏の方が専門的であったので、Bayser氏は連絡を取る相手にBambach氏を選んだとのこと。Bambach氏は絵画について「疑う余地がなく」ダ・ヴィンチのものだという考えを示しました。
これまでも、オークションにダ・ヴィンチの作品が突然出品されたことはありました。「サルバトール・ムンディ」という絵画は1958年にオークションに出品されたところ複製と判断され、わずか45ポンド(現代の価格で約15万円)で落札されました。その後、2005年にニューヨークの美術商がこの絵画を1万ドル(約100万円)たらずで入手し修復したところ、ダ・ヴィンチの絵画であることが判明。2013年にはロシア人の富豪であるドミトリー・リボロフレフが1億2750万ドル(約140億円)で買い取り、2017年にはオークションで手数料を含めて4億5031万2500ドル(約508億円)で落札されています。
一方で、ダ・ヴィンチの弟子が描いたと判断された絵画は、その技術が素晴らしいものであっても、ダ・ヴィンチの作品ほど高い価値が付けられることはありません。ダ・ヴィンチの弟子であるジャン・ジャコモ・カプロッティが描いたサルバトール・ムンディは2007年に65万6000ドル(約7100万円)という価格がつきましたが、それでも金銭的にはダ・ヴィンチが描いたサルバトール・ムンディの686分の1ほどの価値です。これには、ダ・ヴィンチの作品が15~20作品ほどしか見つかっておらず、非常に希少価値が高いことも関係しています。
2016年に発見された聖セバスティアヌスの絵画は2017年6月にオークションに出される予定でしたが、最終的にはオークションではなくルーブル美術館が引き取ることとなりました。オークションにかけられていれば法外な値段になったであろうと見られています。
聖セバスティアヌスの絵画は、科学的分析の結果についても多くの専門家を納得させるものだったと言われています。しかし一方で、匿名ではあるものの、著名なダ・ヴィンチの専門家は「絵画がダ・ヴィンチのものだという説明の全てに納得しているわけではない」という見方を示しているとのこと。
これには、絵画の世界がエリートによって構成されているということが関係しています。聖セバスティアヌスの絵画が発見されたタジャンのオークションハウスは調査の結果を完全には公表しておらず、美術の世界の「私たちは専門家であり、一般の人々が持たない知識を持ち、何が本物であるかどうかをあなたたちに伝えることができる」という姿勢が伺えます。絵画が本物であるかどうかの判定には鑑識・出どころの調査・科学的分析という3つのステップがあり、聖セバスティアヌスの絵画についてもこの3ステップが踏まれていますが、その情報はほどんど公にされていません。
聖セバスティアヌスの絵画は完成作品ではなく、何を書こうとしていたのかも不明瞭です。美術評論家のJonathan Jones氏はこの絵に対し「人物が上げている手やへその影にインクの染みがあり、このインクだまりはレオナルド特有のものです。私にとっては、これは大きなヒントです」とコメントしています。これは事実ではあるものの、「私にとっては」という部分も非常に重要になってきます。つまり、美術品の判断は非常に主観的なものなのです。
とはいえ絵画の鑑識・出どころの調査・科学的分析という3ステップには、それなりの理屈があります。
絵画の鑑識ではまず、使ってるペンや筆の種類が見られ、次に筆跡がどのように動いているかが見られます。そしてその後にインクがどこに溜まっているかなどが調べられ、それら全てを比較することで誰が描いたのかということが調べられます。たとえオリジナル作品を前にして複製が描かれたとしても、インク溜まりにまで気を使う画家は少ないだろうと考えられることから、インク溜まりの形は本物か偽物かを特定する上で大きな手がかりとなります。
鑑識を終えた絵画は、次に出どころが調査されます。出どころの調査では絵画の所有に関する歴史的な文書と絵画の存在が一致するかが調べられます。聖セバスティアヌスの絵画について言えば、ダ・ヴィンチは自身のノートに、未完作品の準備として8枚の聖セバスティアヌスのスケッチを描いたことを記していました。このうち1枚は既に発見されており、2016年に発見されたスケッチは2枚目だと考えられました。
また絵画がどのような所有者を経てきたのかは公開されていませんが、タジャンのオークションハウスは、絵を持ってきた医師に詳しい話を聞いたはずです。絵が盗まれたりねつ造されたものではないことや、バックグラウンドがより明確であるほど、絵への信頼性は高まるためです。de Bayser氏は全ての話を把握しているわけではありませんが、「聖セバスティアヌスの絵画と共に持ち込まれた13枚の絵画は、オールド・マスターのもので、いくつかは複製でした。2~3枚すぐれた品質ものがありましたが、作者は不明です。興味深いのは、全て1900年頃に作られた額縁に入れられ、額縁には手書きの文字が刻まれていたこと。紙には切り取った跡があることから大きなアルバムに入っていたと見られます」と一部のバックグラウンドについて語っています。
そして、3つ目のステップは科学的分析。非侵襲的な科学的テストによって、絵が描かれた年代を明らかにすることができます。ただし、このテストでは絵の作者が誰かということまではわかりません。
実は、科学的分析が絵画へのアプローチとして取られることはまれです。高価な絵画であっても、多くが鑑識と出どころの調査を終えた段階で販売されていきます。科学的分析が行われるのは、鑑識や出どころの調査の結果に疑念が生じた時や、絵画の所有者に疑わしい部分があることが明らかになった時などがメインです。ただし聖セバスティアヌスの絵画の場合は、国内に絵画を置いておきたがったフランス政府が、絵画が確実にダ・ヴィンチのものであるということを確かめるために2016年11月にテストを行いました。つまり、今回は疑いが持たれたわけではなく、またテスト結果もダ・ヴィンチが所有していても妥当だと見られる年代が示されたとのこと。
ただし、専門家の目をもだます模造品も存在します。ハン・ファン・メーヘレンはフェルメールの贋作で専門家を巧妙にだましたことで知られており、メーヘレンの描いた「エマオの食事」は「長い間失われていたフェルメールのコレクション」だと研究者たちに認められていたことがありました。後にメーヘレンは自らが贋作を製作したことを、法廷でフェルメール風の絵を描くことで証明しています。
科学的分析の詳細は公表されませんが、近年は作品の出どころについての情報などを公開し、透明性に配慮するディーラーや絵画所有者も出て来ています。しかし、2018年現在において、ダ・ヴィンチが本物であると一般の人々が信じることができる証拠は「ルーブル美術館が引き取ったから」だと言えます。
一度は「複製」と判断されたサルバトール・ムンディが「本物である」という評価を得た際にも、専門家の働きがありました。この時は芸術の分析と調査を行うArt Analysis & ResearchのNica Gutman Rieppi氏が何年もかけて調査を担当し、科学的分析を行うなどして学者と潜在的バイヤーを安心させました。しかし、この時、絵画が本物であるということを人々に信じさせるに至らしめた1つの要素は、ロンドンのナショナル・ギャラリーで展示が行われたという事実だったとのことです。
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