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ハドソンゲームスクールの貴重な卒業制作やエニックスの初期ゲームプログラマーにインタビューした貴重な映像集


Game Developer MagazineやGamasutra、Retro Gamerなどさまざまなゲーム媒体で記事を執筆してきたジャーナリストのジョン・スチェパニアック氏によって書籍化された、語られなかった日本のゲーム史と題された書籍「The Untold History of Japanese Game Developers: Gold」と「The Untold History of Japanese Game Developers Volume 2: Monochrome」から、ハドソン北海道ゲームデザインスクールの貴重な卒業アルバムソフトや、エニックスの初期ゲームプログラマーにインタビューした貴重な映像などがYouTubeで公開されており、ゲームに携わる人は必見の内容になっています。

Heisei 3rd Year (1991) Hudson Computer Designers School Graduation Album - YouTube


ハドソン北海道ゲームデザインスクールの貴重な卒業制作は、ハドソンのオフィスをRPGに仕立てたゲームで1991年卒業の生徒たちによって作られました。プレイヤーはさまざまな部署を訪れたり、当時のハドソンの社員に話しかけたりなどができたとのこと。


ゲーム自体は卒業制作プロジェクト用に作られたため、販売などは行われていないのですが、スチェパニアック氏は秋葉原で発見したそうです。


ゲーム「卒業アルバム」には学校のPRやアルバム、クイズなど複数のコンテンツが収録されています。


サイバーダインC62型・グラジュエイター3と名乗るロボットが登場。未来からやってきたグラジュエイター3が、真のクリエイターを育て上げたハドソンスクールにタイムスリップして、スタッフや学生の生活を探ってみようというのがストーリーになっています。


ハドソンスクールの5階に登場したグラジュエイター。


オフィスでは開発者たちが作業中で、「話す」「調べる」といったコマンドが表示されます。


当時の取締役をRPGのステータス風に紹介。


ハドソン創業者の工藤裕司氏の弟であり、副社長の工藤浩氏は、怒ると少しこわいとのこと。


4人そろったスタッフの一番左にいるのは……


マンガ「コブラ」の著者である寺沢武一氏です。


また、「天外魔境」シリーズのプロデューサーである広井王子氏も登場。


PCエンジン用ゲーム「シムアース」を夫婦で開発したというシーボーン夫妻。


PCエンジンの「ボンバーマン」を手がけたゲームデザイナーの藤原茂樹氏やゲーム音楽作曲家の笹川敏幸氏、ハドソン執行役員の和気正則氏、といった豪華講師陣がアニメーションで描かれています。ムービーにはこのほかにも言わずと知れた人物が登場するので、気になる人は要チェックです。


また、エニックスで「ジーザス」シリーズを手がけていたプログラマーで、昨今は次世代のプログラマーの育成に力を注いでいる日高徹氏の自宅に招待され実施したというインタビューの様子は以下から確認できます。

An Interview with Enix programmer Toru Hidaka - YouTube


1985年に発売されたPC88用ゲーム「コズミックソルジャー」のコードをリバースエンジニアリングしてプログラミングを勉強したという日高氏。


ムービーでは日高氏がどのようにしてコズミックソルジャーのコードをリバースエンジニアリングしたかを説明しています。


日高氏はコズミックソルジャーのサブルーチンを紙に書き出して、その紙を貼り付けて冊子を作るようにして解析したとのこと。そして、解析した情報を各ルーチンごとにフローチャートにしてまとめあげたそうです。


これが日高氏が作成したフローチャート。この作業を当時に就いていた仕事の合間をぬって、3カ月かけて行ったというのは衝撃です。


「毎日深夜まで作業を行いヘトヘトになったのですが、この作業があったからこそ、ゲームというのはこのように構成されているんだ、というのが理解できた」と話す日高氏。


ムービーには日高氏がてがけてきた作品を収録した貴重な資料が登場します。


PC88およびMSX2用ゲームの「ガンダーラ 仏陀の聖戦」の開発用マップ。地図上に表示されている数字は敵が出現する場所を示しており、2016年現在ではなかなか見られない貴重な映像です。


ムービー中には「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽を手がけたすぎやまこういち氏によるガンダーラの楽譜が登場。当時のゲーム音楽は、作曲家が楽曲を作り、それをプログラマーがコードに変換してコンピューターに手入力で打ち込んでいたとのこと。


当時のゲーム開発では、アーティストが作成したグラフィックや作曲家が作った音楽など、ゲームを構成する要素をゲームに落とし込むのがプログラマーで、ゲーム開発における中心的な存在だったというわけです。そもそも、グラフィックアーティストや作曲家がゲームに携わる以前は、グラフィックや作曲など全ての作業をプログラマーが行っていました。


この他にもアーケード・ファミコン向けゲーム「ソロモンの鍵」のゲームデザイナー・鶴田道孝氏や、「イース」シリーズや「世界樹の迷宮」シリーズの作曲を手がけた古代祐三氏などなど、日本のゲーム産業の発展に貢献した人たちのインタビュームービーが公開されており、ゲーム業界に興味があるのであれば、非常に勉強になります。

An Interview with Michitaka Tsuruta, creator of Bomb Jack and Solomon's Key - YouTube


A Look at Yuzo Koshiro's Studio - YouTube


A Visit to Westone's Office and Meeting with Ryuichi Nishizawa and Kouichi Yotsui - YouTube


A Visit to the BEEP Warehouse in Saitama - YouTube


A rare look at the Data East Deco cassette tape arcade system - YouTube


Meeting with a Book Collector - YouTube


An Interview with 8ing and developers from Compile and TechnoSoft - YouTube


A chat with Hifumi Kono, Masaki Higuchi, Masatoshi Mitori of Human Entertainment - YouTube

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in 動画,   ゲーム, Posted by darkhorse_log

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