動画

世界でも類を見ないほどの爆速で発展した電脳都市「深セン」の過去・現在・未来に迫るムービー


中国の深圳(深セン)は、世界中からスマートフォンやPC関連商品が集まり、活発な取引がされる世界最大の電脳都市です。数十年前まで中国の一地方都市で、世界でも最も貧しい地域の一つだった深センが、いかにして急発展したのかについてWiredが取材しています。

Shenzhen: The Silicon Valley of Hardware | Future Cities | WIRED - YouTube


小店と人であふれる深センの街。


深センのマーケットを案内するアンドリュー・フアン氏はカメラマンに向かって、「カメラは肩にかけて、まるで電源が入っていないかのように装うんだ。深センのマーケットは厳格な『ノーカメラ(カメラ禁止)ポリシー』だから」と話します。


小店が密集するマーケットへ。


ガラスケースごしに商談する人たち。カメラを見つけた人からは、鋭い視線が注がれます。


売り物はiPhoneのバックパネルや……


Samsungのバッテリーなど。本物、偽物が入り乱れています。


フアンさんが指さす先には金庫。「中には現金が入っているよ」とフアンさん。


iPhoneの空箱を売るお店。


束になったiPhone用の液晶パネル。


スマートフォンを修理している様子も確認できます。


スマートフォンやPCを直すための器具をそろえる店もあり。


男性が荷物をテープでぐるぐる巻きにすると取引成立のサインとのこと。


歴史上、他に類を見ない速度で発展した深セン。


元来、半導体産業で発展したアメリカのシリコンバレーが今ではソフトウェア産業で急激に成長することとの比較で、深センは「ハードウェアのシリコンバレー」と呼ばれています。


深センの急成長の要因は「ムーアの法則」だとフアンさんは考えています。


ムーアの法則は、Intelのゴードン・ムーア氏が提唱した、「半導体のトランジスタ数は2年ごとに2倍になる」という経験則。


半導体産業は、ムーアの法則に従うように集積回路を開発してきました。


これは、たとえるならば、同じ文字を印刷するときに……


どんどんとフォントサイズを小さくしていくようなもの。同じ紙面に印刷される文字数が2倍になるように、半導体回路は同じシリコンウエハーから多くのチップを得られるようになりました。


もはや半導体製造ではんだ付けされることは少なくなりましたが、ムーアの法則に従って半導体の集積率が高まったことは、コンピューターの低価格化を実現しました。


そして、1990年代にWindowsが登場し、PCは一気に普及しました。


C言語などの難しいプログラミングスキルなしで、誰でも簡単にコンピュータを使える時代が到来したからです。


やがて、さまざまな形のコンピュータ機器が誕生し……


現代社会では、ポケットに入れられるコンピュータのスマートフォン全盛の時代を迎えました。


そして、IoTやロボットなど、新しい技術が芽生えようとしています。


このようなハードウェアの進化と共に急発展してきたのが深センだというわけです。


マシンを相手に卓球をする男性。


ピンポン球を送り出すのは「Trainerbot」というマシン。


Trainerbotの開発者たちは、深センで製品開発を行っています。


ハードウェアスタートアップの製品開発からリリース、販売戦略までをコンサルティングするハードウェアアクセラレーターHAX(旧名:Haxlr8r)のダンカン・ターナー氏。HAXは深センに拠点を構えているとのこと。


その理由は、深センが世界で最もハードウェア開発に適した場所だから。人材や材料がそろっている深センでは、どこよりも早いスピードで製品を開発できるとのこと。スピード勝負のスタートアップにとって、世界で最も製品開発環境の整った場所が深センなのです。


HAXと製品開発を行うRovensoのトーマス・エスタイアー氏。


これは開発中の特殊なジョイスティック。ネット越しに行う手術で使われるロボットを操作するパーツのようです。


HAXでは大きなロボットの開発のために、プロトタイプとして小さなサイズのロボットを作って実験を行うとのこと。


「深センではどこよりも早く、どこよりも安く製品開発ができる」とターナー氏は語ります。


HAXでは、10台の3Dプリンターを使って異なるパーツを一気に作り出すこともあるとのこと。アメリカで学んだというチェン氏は、「アメリカで開発しようとは思わない」と述べています。


今朝注文した部品が翌日の昼には完成して手に入る、というスピード感が魅力だと言うエスタイアー氏。「(故郷の)スイスで9カ月かかるものが、深センだと3カ月です」と話します。


肥大化し続ける深センの町並み。


香港大学のジュアン・デュー教授は、「歴史上、深センほど早く発展した都市はありません」と驚きを隠しません。


もはや、深センに今、どれくらいの人口がいるのかもはっきり分からないほどだとのこと。


しかし、かつての計画経済の下では、深センも貧しい農村でした。


深セン博物館に展示されている、1977年当時の香港と深センの経済規模を比較した図。当時の深センは香港の10分の1未満の経済規模だったそうです。


そんな深センを大きく変えたのが鄧小平。鄧は、海外資本に門戸を開いた経済特区の一つに深センを指定しました。


この結果、深センはものづくりの場として発展することになりました。


計画経済では、人々は食料品や衣類などあらゆるものを政府から供給されたクーポンを使って手に入れていました。しかし、深センでは稼いだお金で好きな物を買えました。この『自由』に惹きつけられた多くの人が、中国全土から深センに集まったとのこと。


これはNanyang Electricの工場で働く人たちの写真。みな、自由なスタイルで仕事に取り組んでおり、当時の深センの気風が分かります。


深センの人に、「鄧小平なしでは今の深センはなかった」と言われる恩人の鄧は、1992年に深センを訪問しています。深セン博物館には鄧の人形が展示されたり……


そのとき宿泊したホテルが今も保存されたりしています。


深センに与えられたものは、「技術」「知識」そして「外の世界へ開かれた窓」だったとのこと。


深センの成功物語は、いまだに開発から取り残された中国の地方都市の手本になります。


「鄧小平は経済政策について『渡り石を探りながら川を渡る』と表現していました。深センは、その川を渡るのに必要な石だったのです」と深セン博物館の館長は述べています。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
スマホ・PC・ドローンなど秋葉原30個分の規模であらゆるガジェットが手に入る深センの魔窟・電脳エリア「華強北路」に行ってきました - GIGAZINE

iPhone 6を1万1000円に値切れたニセモノ・コピー品まみれの羅湖商業城 - GIGAZINE

偽物iPhoneから人毛まで販売する中国の「アンダーグラウンド・マーケット」とは? - GIGAZINE

iPhoneの容量を16GBから128GBにたった7000円でアップグレード - GIGAZINE

LEDはどうやって作られているのか、LED工場に潜入 - GIGAZINE

中国のウォルマートに売られていた独特の食品あれこれ - GIGAZINE

ガイドブックでは触れられない中国の本当に安い宿をまとめてみました - GIGAZINE

in ハードウェア,   動画, Posted by darkhorse_log

You can read the machine translated English article here.