Appleはイノベーションを生み出す企業ではなくなった?マーケティングの普及学から見るAppleの今と昔
By Kārlis Dambrāns
新しいアイデアや技術が社会に普及していく様子を説明する理論が「普及学」です。この普及学とマーケティングにおけるさまざまな手法を交え、「Appleの今と昔」をパウエル・トカチャク氏が分析しています。
What People Who Demand Innovations From Apple Don't Get?
http://paweltkaczyk.com/en/apple-innovations/
1991年、テクノロジー企業が革新的なIT技術を売り出すためのマーケティング手法の提案を行う「キャズム」という書籍がアメリカで出版されました。キャズムの副題は「主流顧客を対象としたハイテク製品の市場調査と販売」というもの。同書籍の著者はジェフリー・ムーア氏で、シリコンバレーのテクノロジー企業であるMcKenna Groupでコンサルタントとして働いていたという経歴を持つ人物です。ムーア氏はシリコンバレーで働く中で、イノベーションを実現した際に生じる「特有の規則性(キャズム)」に気づき、これを書籍として公表しました。
Amazon.co.jp: キャズム 電子書籍: Geoffrey A. Moore, 川又 政治: Kindleストア
しかし、この「キャズム」について述べる前に、もう一冊の書籍を紹介する必要があります。なぜなら、「キャズム」にとって必要不可欠なアイデアを、もう一冊の書籍が含んでいるからです。そのもう一冊の書籍というのは、新しいアイデアや技術がなぜ社会に普及したりしなかったりするかや、どのように普及するかを説明しようとする、普及学の草分け的存在である「イノベーションの普及」です。同書籍は「キャズム」が出版されるちょうど29年前に、エベレット・ロジャーズ氏により書かれたものです。
イノベーションの普及 | エベレット・ロジャーズ, Everett M.Rogers, 三藤 利雄 | 本 | Amazon.co.jp
ロジャーズ氏の考えは「プロダクトライフサイクル」として知られるもので、イノベーションの普及プロセスを「導入期」「成長期」「成熟期」「衰退期」の4段階で区切り、消費者を5つのグループに分けることでアイデアの普及段階をわかりやすく示しています。
5つの消費者グループは以下の通り。上から順番に新しいアイデアをより早く受け入れていく消費者層となっています。
◆イノベーター
新しいアイデアや技術を最初に採用するグループ。リスクを取り、年齢が若く、社会階級が高く、経済的に豊かで、社交的、科学的な情報源に近く、他のイノベーターとも交流する。リスク許容度が高いため、のちに普及しないアイデアを採用することもある。
◆アーリーアドプター
採用時期が2番手のグループ。オピニオンリーダーとも言われ、他のカテゴリと比較すると周囲に対する影響度が最も高い。年齢は比較的若く、社会階級は比較的高い。経済的に豊かで、教育水準は高く、社交性も高い。イノベーターよりも採用選択を賢明に行い、オピニオンリーダーとしての地位を維持する。
◆アーリーマジョリティ
このカテゴリの人は一定の時間が経ってからアイデアの採用を行う。社会階級は平均的で、アーリーアドプターとの接点も平均的に持つ。
◆レイトマジョリティ
このカテゴリにいる人は、平均的な人が採用した後にアイデアを採用する。イノベーションが半ば普及していても懐疑的に見ている。社会階級は平均未満で、経済的な見通しは低く、社会的な影響力は低い。
◆ラガード
最も後期の採用者。他のカテゴリと比較すると社会的な影響力は極めて低い。変化を嫌い、高齢で、伝統を好み、社会階級も低く、身内や友人とのみ交流する傾向にある。
そして、ムーア氏提唱の「キャズム」というのは、特にアーリー・アドプターとアーリー・マジョリティーの間のある大きな溝(キャズム)のことを指しており、これを乗り越えられるかどうかがその製品やアイデアが普及するか、一部の新製品マニアに支持されるだけにとどまるかを決める、とされています。
「あなたの携帯電話に搭載されているチップの名前を知っていますか?」と質問したとします。「はい」と答えた場合、相手はガジェットマニアであり、その人にとってスマートフォンを選ぶ際に重要なポイントは「端末が何GBのRAMを積んでいるかやSDカードを挿入可能かどうか」などになるでしょう。しかし、「いいえ」と答えた場合、相手にとって重要なポイントは「単に動作するかどうか」になります。
iPhoneがリリースされた当初、5つの消費者層で言うところの「イノベーター」は、iPhoneがまだ端末からMMSを送信できなかったにも関わらず、よだれを垂らして同端末を欲しがりました。しかし、キャズムを超える、つまりはプロダクトライフサイクルのメインストリームに入りアーリーマジョリティやレイトマジョリティに受け入れられるようになると、「より大きな2つの変化が起きる」とトカチャク氏。
大きな2つの変化ひとつは、「プロダクト自身を変えなければいけない」というもの。破壊的なイノベーションを引き起こした製品は、新しい世代に進化する度、徐々に変化を引き起こしていく必要があります。そして2つ目は「ターゲットの顧客が変わる」という点。これは経営者が直面するであろう最も困難な経営的意思決定のひとつでもあり、既存の顧客を全て捨て去る必要に迫られることもあるとのこと。なお、現時点での企業を支えてくれている人たちを捨ててでも新しい顧客層にリーチしなければいけないとのことで、これはひとえに「既存の顧客層では企業がより成長するのに不十分だから」だそうです。
By Gonzalo Baeza
キャズムを超えようと四苦八苦している企業は多くありますが、その多くが上述の「変化」を起こせていません。例えばTwitterの場合、他のソーシャルネットワーキングサービスのように根本的な仕様の変更をサービスにもたらすことが難しいという事情があります。なぜなら、それを行うことで、長年Twitterを使用しているハードコアユーザーを刺激することに繋がるからです。実際にTwitterが140文字制限を撤廃することを発表した際、多くのコアユーザーがこれに反対し、Twitterは140文字制限の撤廃を撤回しています。このように、大きな市場シェアを持っているからこその悩みもあるわけです。
対して、うまく変化を取り入れることに成功したソーシャルネットワーキングサービスがInstagramです。Instagramがスタートしたのは2010年10月のことで、当初の同サービスはその他の写真共有ソーシャルネットワーキングサービスと変わりありませんでした。しかし、3つの独自の機能で他サービスと自身を差別化することに成功しています。その3つの機能というのは「iPhoneでしか使用できない」「カメラロールから写真を追加できない」「正方形の写真しかアップできない」というもので、この制限的な仕様がInstagramユーザーに「自分は他とは違う」という意識を植え付けることになったとのこと。
しかし、この制限的な仕様は長く続かず、2012年3月にAndroid版のInstagramが登場。さらに、プロの写真家がカメラで撮影した写真をシェアできるように、カメラロールから写真をアップすることも可能になりました。早くからInstagramを使っていたユーザーの中には「裏切りだ!」と叫ぶものもいましたが、Instagramがより大きく成長できたのはこれらの変化を取り入れていったから、とトカチャク氏。なお、これらの変化を取り入れた後、Instagramは2012年4月にFacebookになんと10億ドル(約1100億円)で買収されます。
Instagramの事例をみると、イノベーターを捨ててでもプロダクトライフサイクルのメインストリームに入ることが、サービスや製品の普及にとっては非常に重要なことであるとわかります。
Instagram
過去にスティーブ・ジョブズ氏は「企業は素晴らしいプロダクトを作ることが何を意味するか忘れてしまった」と語りましたが、彼の死後も専門家たちはこの言葉とAppleの現在の状況を比較します。そして、これがまさにキャズムを表すものでもある、とトカチャク氏。
「スティーブ・ジョブズがいないAppleはまったく別の企業だ。彼らは情熱とビジョンを失った。現在のティム・クックCEO率いるAppleは、多方面に手を出してはいるものの、テクノロジー企業のリーダーとしてふさわしいだろうか?」といったテーマがしばしばニュースをにぎわします。この質問に対する答えは心理学者のピーター・ロバートソン氏のHBDIと呼ばれる分析手法と、ロジャーズ氏のプロダクトライフサイクルを掛け合わせることでその答えを導き出すことができる、とトカチャク氏。HBDIは各個人の「利き脳」を測定するための分析方法で、「Logic」「Vision」「People」「Control」という4つのタイプに脳を分類可能です。
ジョブズ氏は明確なビジョンに加えて、対人スキルの欠如と自身に関する逸話をいくつも持っていました。ロバートソン氏によると、これは新しいアイデアを広めるタイミングで必要とされる要素とのこと。Appleのスマートフォン市場における市場占有率は、自動車業界におけるBMWやメルセデスよりも大きなものです。しかし、PC業界で言えば、Appleの市場占有率はBMWやメルセデスのそれに非常に近しいです。そして、ジョブズ氏の脳タイプは自動車業界でいうBMWのようなブランドを作り上げることに秀でていた、とトカチャク氏。
対して、現在のティム・クックCEOは市場の声をよく聞き、需要に基づいてプロダクトを作り出します。ジョブズ氏のように明確なビジョンや直観はありませんが、現在のキャズムを超えた段階にあるAppleにとっては適した人材とのこと。ジョブズ氏のようなビジョンを持つリーダーではなく、クックCEOのような堅実なリーダーが現在のAppleを率いていることは、現在のAppleにとっては適した人材配置なのかもしれません。
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