映画の世界を文字どおり救ってきた知られざるポップコーンの歴史とは

By Joakim Wahlander

映画館を訪れた際には売店で買うバケツたっぷりのポップコーンが欠かせないという人も多いと思いますが、実はそれ以上に映画とポップコーンには切り離せないつながりがあるようです。ポップコーン誕生の歴史と映画との切っても切り離せなくなった関係についてまとめたムービー「The Science & History of Popcorn - The Snack that Saved the Movies」が公開されています。

The Science & History of Popcorn - The Snack that Saved the Movies on Vimeo


ポップコーンの科学と歴史について解説するのは、映画の作り方や背景を解説するFilmmakerIQ.comのジョン・ヘス氏。ムービーでは、ヘス氏の表情豊かな解説具合にも思わず目がいってしまいます。


まずは「何がポップコーンをポップ(破裂)させるのか?」について。


ポップコーンの元になるのは、言わずとしれたトウモロコシの実ですが、ポップコーンに使われるのは限られた一部の品種だけです。


ポップコーンに使われるのは、トウモロコシの中でも「爆裂種」と呼ばれるタイプのもの。爆裂種は「Zea mays everta(Z.m.L.var.everta)」という学名を持っていますが、これは「トウモロコシ属(Zea)」「トウモロコシ種(Z. mays)」に分類されるという意味を持つもの。


トウモロコシの粒は、外殻をなす果皮の中にデンプンが凝縮された内胚乳を含んでおり、約14%の水分を含んでいます。


この粒を加熱し、100度を超えると内部の水分が気化して膨張しようとしますが、爆裂種の粒は果皮が非常に硬いために内部の圧力がグングンと高まります。


そのまま、内部の温度がセ氏180度、圧力が930キロパスカル、つまり約9気圧にまで高まると……


「パンッ」とおなじみの音をたてて粒が弾け、ポップコーンになるというわけです。


興味深いことに、ポップコーンの弾け方には大きく分けて2つの種類があるとのこと。1つは「バタフライ」と呼ばれるタイプで、ウィングと呼ばれる突起部を持つもの。食べた時のボリューム感があるので、映画館などで食べられる一般的なポップコーンによく用いられます。もう一方の丸いタイプは「マッシュルーム」と呼ばれ、輸送時に壊れにくい特徴があることから、袋詰めのスナックや、キャラメルポップコーンのようなソースを絡めるタイプのポップコーンに用いられるとのこと。


「ポップコーンの起源」


ポップコーンは世界で最も古いスナック菓子と考えられており、紀元前3600年ごろの洞窟の遺跡からその痕跡が発見されているとのこと。詳細な起源そのものは不明ですが、南アメリカを起源として世界中に広がっていったものと考えられています。


「コーン」と聞くと「トウモロコシ」と結びつける人が多いはずですが、実は「Corn」という単語は、もとは穀物全般を指す言葉として使われていました。


「Corn」の本来の意味は、それぞれの文化で最も広く食べられる穀物を示しているとのこと。例えばイギリスやスコットランド、アイルランドでは麦などの穀物を指す言葉です。その後、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達し、そこで最も多く食べられていた穀物が「Maise(トウモロコシ)」だったことから、アメリカではトウモロコシのことを「Corn」と呼ぶようになったとのこと。この成り立ちの名残りは現在でも残っており、イギリスではトウモロコシを「メイズ(meize)」と呼び、穀物全体を「コーン(corn)」と呼ぶことが普通であるとのこと。


アメリカではコーンが広く食べられてきた歴史があり、1621年に初めて行われた感謝祭(Thanksgiving Day)はイギリスから移住してきたピルグリムが近隣に居住していた先住民族のワンパノアグ族にトウモロコシなど育て方を教わったお礼として始まったと言われています。しかし、この時代にはまだ現代のような「ポップコーン」はアメリカ大陸には存在していなかったと考えられています。


ポップコーンが現在のように食べられるようになったのは、南米チリのバルパライソから北米にやってきた船によって「バルパライソコーン」が持ち込まれたことによると考えられています。記録によると、初めてバルパライソコーンが北米に上陸したのは1820年ごろ。


当初の呼び名は「ポップしたコーン」を意味する「Popped corn」でしたが、この言葉が変化して……


現在のような「Popcorn」という名前が生まれたとみられています。その後、アメリカでは急激にポップコーンが広まっていったとのこと。


1893年に開催されたシカゴ万国博覧会では、ポップコーンの歴史において重要な進化が起こりました。


その1つは、チャールズ・クレトス氏が発明した世界初の移動式ポップコーン製造マシン。それまでのポップコーンは固定の機械を使って製造されていましたが、クレトス氏はピーナッツ売りの台車を改造してスチームエンジンを取り付け、ポップコーンをどこでも作ることを可能にしました。また、ドイツ移民のリュックハイム兄弟は糖蜜をかけたポップコーンとピーナッツをパッケージに入れた「クラッカージャック」と呼ばれる商品を考案。これこそが「世界初のキャラメルコーン」と言われています。


「ポップコーンと映画の結びつき」


前述のようにして人々の間に広まったポップコーンは、スポーツ会場やサーカス会場、お祭りやバーなどありとあらゆる場所で食べられるようになりました。しかし、唯一の例外としてポップコーンが食べられていなかったのが、今では考えられない「映画館」だったとのこと。

当時の映画館は「高級感」を前面に打ち出したイメージづくりに傾倒していたため、豪華なロビーやきらびやかなシャンデリアなど、ゴージャスな内装のデザインが取り入れられていました。そんな雰囲気に「合わない」とされていたのが、庶民の味覚であるポップコーンでした。特に、床に散らばるポップコーンのかすや場内に漂う匂いに映画館のオーナーが難色を示していたとのこと。


そんな状況を変えた要因の一つが、映像と一緒に音声が再生される映画「トーキー」の登場でした。トーキーの登場により、それまで映画を見なかった貧しい層の観客や子どもたちが映画館に足を運ぶようになったとのこと。


さらに大きな要因となったのが、1930年代に発生した世界恐慌だったとのこと。不景気により多くの映画館が閉鎖に追い込まれ、残った映画館も生き残りをかけて必死の取り組みを迫られます。そんな中で生活の苦しい庶民から支持され、生き残り続けていたのが街角のポップコーンスタンドでした。コートの中に街角で買った安いポップコーンを隠し持って映画館に入り、ポップコーンを食べながら映画を観るというのが、当時の庶民に残された娯楽の1つだったとのこと。


そんな中で才覚を示したのが、家族のために高校を中退して仕事に就いていた青年、ケモンズ・ウィルソンでした。ウィルソン氏はメンフィスにある映画館との交渉に成功し、映画館の外でポップコーンを来場者に販売する契約を結びました。


ウィルソン氏のビジネスは大成功を収め、週あたり50ドルの売上をあげるようになります。その中から25ドルが映画館側に支払われる契約だったのですが、この成功を疎ましく思った映画館のオーナーがウィルソン氏を追い出し、自らポップコーンを販売するという暴挙に出たほどの成功っぷりだったとのこと。


ウィルソン氏はその後、一大ホテルチェーンの「ホリデイイン」を成功させるというサクセスストーリーの人物となりました。ウィルソン氏はさらに、もう2度と映画館を追い出されることのないように、自らが映画館のオーナーとなったというエピソードが残されています。


また、アメリカ西部で映画館チェーンを展開していたR.J.マッケナ氏は、ポップコーンスタンドを建物の中に作り、ロビーで販売するという現代に通じるスタイルを取り入れた人物と言われています。ポップコーンの販売だけで映画館は20万ドルという大きな収益をあげるようになり、大きな収益源としてのポップコーンが確立されるようになります。マッケナ氏はポップコーンを売るために映画のチケットを値下げして多くの人を映画館に呼び寄せるという戦略を成功させ、映画館の収益改善に大きな功績を残したと言われています。


小規模な映画館にのみポップコーンを販売を許可した別のケースでは、ポップコーンを取り扱っている映画館だけが黒字を生み、従来型の高級志向の映画館は軒並み赤字に転落したという結果も出ているほど。


その当時のエピソードを表すのが「まず、ポップコーンを売るのに適した場所を探し出せ。そしてそのまわりに映画館を建てろ」という言い回し。このようにして、ポップコーンは不況にあえぐ映画館を文字どおり救う存在となったのでした。


「ポップコーンが家庭にも」


第二次世界大戦が勃発し、砂糖の供給が制限された時代にもポップコーンの人気は広まり続けます。そんな時代に「ポップコーンの脅威」として台頭したのが、1950年代に普及が始まった家庭用テレビでした。


テレビの登場は、来場客の減少にあえいでいた映画館に大打撃を与える出来事でした。来場者数は50%も減少し、それにつれてポップコーンの売り上げも減少するという事態に。


当時のポップコーンの最大のウィークポイントは、「家庭で作るのが難しい」ということ。そんな苦境から挽回するのに役だったのが、アルミ製の手鍋を火にかざして作るタイプのポップコーンの登場でした。


そしてさらにポップコーンの復活を確実なものにしたのが、電子レンジで作るタイプのポップコーンの登場です。


電子レンジの技術は、軍事用に開発されたレーダーの技術を転用したもの。第二次世界大戦を勝利に導いたとまで言われるレーダーの開発に成功したレイセオン社は、その根幹技術であるマグネトロンが調理に使えることを発見しました。


1947年にレイセオンは世界初となる家庭用電子レンジを発売。高さ1.8メートル、重さは340kgという電子レンジは2000ドルから3000ドルという価格で販売されていました。


しかし、本当の意味でポップコーンが過程に普及するにつながったのは、やはりコンパクトな家庭用電子レンジの普及といえます。手軽に調理ができる電子レンジの普及に加え、ケーブルテレビの広まり、VHS/ベータのビデオの普及、レーザーディスクの登場などをきっかけに家庭でも映画を楽しむ環境が整い、電子レンジで作れるポップコーンは一般家庭に広く浸透することとなりました。


「ポップコーンと映画のマリアージュ」


今や、映画を観に行く際にはバターをたっぷりかけたバケツいっぱいのポップコーンが欠かせないという人も少なくないはず。これまで見てきたように、ポップコーンは映画界が直面したさまざまな苦境を克服させてくれる力を発揮してきたのでした。


現代においても、映画館が得る利益の半分はポップコーンなどの売り上げが占めているとのこと。映画のチケットそのものの売上は配給会社や映画会社によって大部分が吸い取られる仕組みとなっていますが、ポップコーンやドリンクの売り上げがあるために、映画館は比較的安いチケットで映画の上映を続けられているとのこと。


このように、まさにポップコーンは映画館の、ひいては映画産業そのものを破綻から救ってくれたと言える存在なのでした。映画にはポップコーンが欠かせないという人も多いわけですが、文字どおり「映画にはポップコーンが欠かせない」という構図ができあがっているようです。


ちなみにAmazonでも映画館の味を家庭でも楽しめるバターポップコーンが販売中。電子レンジでチンするだけでアツアツのバターポップコーンを楽しめるという、実に魅惑的で罪深い食べ物で編集部員も愛用中です。

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in 動画,   映画,   , Posted by darkhorse_log

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