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初音ミクの立役者が語るミク誕生から爆発的な拡散、そして今後の展開を語るトークセッション全編掲載


グランフロント大阪のナレッジキャピタルにおいて行われた初音ミクの生みの親であるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤代表の講演に続き、初音ミクブームの立役者を迎えたトークセッションが開催されました。初音ミクを一躍有名にした「ポルカ+ネギ」の動画が生まれたきっかけから日本人の文化観、そして今後の日本文化の発信にまでいろんなトピックが混ぜ込まれた1時間にわたるトークセッションの全編を掲載します。

マジカルミライ 2014
http://magicalmirai.com/2014/

illustraion by MONQ © Crypton Future Media, INC. www.piapro.net

トークセッションに参加したのは、初音ミクブームの火付け役となったクリエイターのotomania氏、高野山別格本山三宝院副住職である飛鷹全法(ひだかぜんぼう)氏、そしてクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤代表の3名。「世界に向けたボーカロイドコンテンツの産業創出における展望」をテーマにしたディスカッションが繰り広げられました。

otomania氏:
みなさんこんばんは、otomaniaと申します。知ってる人は知ってくださっていると思いますが、一言で言うと「ミクのブームは俺が作った」、と(会場笑)。まぁそこまで大きくは言わないですが、初音ミクの「火付け役」と呼んでいただいていまして、あと、初音ミクってネギ持ってますよね?アレも僕が持たせたんだよ、と(会場笑)。とまあそういうことをやってきてまして、いまはミクを中心に音楽活動をやったり、ネタを書いたり、写真を撮ったり、そういうことをいろいろとさせていただいています。今日はよろしくお願いします。(会場拍手)


飛鷹全法氏(以下「飛鷹」):
みなさんこんばんは、高野山というとこから来ました飛鷹全法(ひだかぜんぼう)と申します。見ての通り、お坊さんをやっております(会場笑)。先ほど伊藤代表ともお話ししてたんですが、みなさんの熱気がすごいところに感激しております。それとは裏腹に、伊藤代表の力の抜けた加減といいますか(会場笑)、その雰囲気が初音ミクが持つ「みんなで作る」という空気のベースになってるんじゃないか、という、そんな雰囲気を感じています。今日は私たちが上の立場からお言葉を垂れるというようなことではなく、みなさんと一緒にコンテンツ産業をこれからどのように発展させて行くのか、そういうことを一緒に考えて行ければと考えています。


みなさん思っているのは「なんでこんなとこにお坊さんがいるのか?」ということになると思うんですけど(笑)、私はいまお坊さんをやってるんですが、以前はいろんな仕事をしてまして、いわゆる「ビットバレー」っていうITベンチャーが盛んな頃、ちょうど堀江貴文さんなんかと同世代になるんですが、IT系のビジネスに関係していたりですとか、いま経済産業省が中心に日本のコンテンツを海外に発信していこうとしている「クールジャパン」の中でも、委員のようなものを担当させていただいているので、今回のこういう場所に呼んでいただけたのかな、と思っています。今日はよろしくお願いします。(会場拍手)

司会:
それではお三方でお話しを進めて行きたいと思います。まず、伊藤代表とotomaniaさんは初音ミクに関わっていらっしゃることが知られているのですが、飛鷹さんは直接的に初音ミクのイメージはあまりないのでお聞きしたいのですが、初音ミクに関してはどのような印象や感想をお持ちですか?

飛鷹:
この対談の30分前にあった伊藤代表の講演ですとか、もちろんニコニコ動画などでも初音ミクは見てきたわけなんですが、世界でファンのみなさんが共感している姿というのを改めて時系列で見てみると、「これはすごいことが起こってるんだな」というの感じていますね。ただ、じゃあどうしてこれだけ共感が広がってるのかというと、それは単純に「キャラがかわいいから」というようなレベルではないと思うんです。みんなが自分たちでミクという一つの求心力のあるものに対して参加していこうとするものがあって、それが成立している理由というのは今後の日本のコンテンツ産業のヒントになってくるんじゃないか、そんな風なことを感じています。


司会:
今回ナレッジキャピタルでは「みんなで初音ミクを作ろう!」ということをテーマに来場者の方に体験していただいてきました。その中ではotomaniaさんにも「作曲講座」を開催していただいたんですが、その様子はいかがでしたか?

otomania:
面白かったです。受講されるみなさんの年齢層も幅広くて、女性の方も多かったし、開催しているとみなさん興味を持っていただくことができて、いざ音が鳴り始めると人が集まってきてくれるので「やっぱりみんな関心あるんだな」って思いましたね。今回の講座では曲を作ったりだとか、ミクを使ったり、そういうことは「難しくないんですよ」って言うのをお伝えしたかったんですが、それをみなさんには肌で感じていただけたのではないかな、と考えています。

今回はワークショップを1日2回で2日間開催させていただいたんですが、1日目と2日目では受講される方の様子もぜんぜん違うものになっていて、1日目は比較的ユルい雰囲気ではあったんですが、2日めの2回目にはかなりガチの人が来てて(笑)、こっちも気を抜いてたら大変なことになるな、と(会場笑)。わずか10分で歌詞を書き上げちゃったりだとか、とにかくスリリングな内容でしたね(笑)。


司会:
たしかに、講座が終わってステージを降りてきた時に「はぁ~」ってため息ついていらっしゃいましたものね(笑)

otomania:
特に最後の回は「おれ、よくやった」って自分を褒めてあげたいと思いました(笑)

司会:
ナレッジキャピタルでは「初音ミクを通して自分を表現することを無限化する」というのを考えていまして、そういったことを通じてコミュニケーションの場を提供できればと思っているんですが、これは他ではなかなか感じられない文化なのではないかと考えています。otomaniaさんといえば「ミクに『イエヴァン・ポルッカ』を歌わせてみた人」として知られているわけですが、そのあたりのきっかけを教えていただけますか?

otomania:
きっかけはホントにシンプルなものでした。そもそも僕は「Vocaloid 2」である初音ミクの前に出ていたVocaloid 1の時代のKAITOMEIKOのことも知っていたんです。当時の僕は某PCショップでアルバイトの店員をやっていたことがあったんですが、その時にすでにボーカロイドには触れていました。


でもその時の僕は、PCショップでバイトをしているにもかかわらずパソコンを持ってないと(会場笑)、そんな状態だったのでDTMの音楽制作はぜんぜん何もやっていなくて、当時は「こんなソフトがあるのか~面白いな~」というレベルで止まっていたんです。

で、そのあとVocaloid 2として初音ミクが登場してくるんですが、このときには「これはすごいな」と思ったわけです。それまではいわゆるプロの歌声をもとに歌わせてるんですが、ご存じの通りミクは声優さんの声を歌わせてる点が面白かったんですね。もう一つは、パッケージにビジュアルがあって、さらにキャラクター設定が書かれてあって「これはなんだか面白いな」と思ったので、あくまで最初は「遊び道具」として買ってみたんです。で、最初はなかなか人には聞かせられないような歌詞とか替え歌とか、そういうのを作って独りで遊んでたんですね(会場笑)。もうそのことは「黒歴史」みたいなところがあって絶対表には出せないんですけど(会場爆笑)、最初はそうやって作ったものを仲間内に聞かせて楽しんでいた、と。


するとある日、友達がさらにその友達を連れてきて「初音ミクって面白いから聴かせてやってくれ」となったんです。でも、そんな公序良俗に反するような作品を聴かせると「おれの人生\(^o^)/オワタ」状態になるので(会場爆笑)、これはイカン、となったわけなんですね。そこで思いついたのが、「これ、日本語のソフトだけど、外国語を歌わせたらどうなるんだろう?」と思って思いついたのがフィンランドの民謡である「イエヴァン・ポルッカ」だったんです。

そしたら反響がよくて、その時一緒に二頭身にグッと縮めたミクにして、さらに白目にしてとかちょっとあり得ないミクを作って(笑)、それがものすごく「面白いやん!」って盛り上がったので、そのままの勢いでどうせなら映像にして、伴奏もつけて、元ネタを参考にしてネギを持たせて、ってできあがったのが、ニコニコ動画にアップロードしたイエヴァン・ポルッカだったんです。

Ievan Polkka【イエヴァン ポルッカ 】- Hatsune Miku【初音ミク】VOCALOIDCv01


伊藤代表(以下「伊藤」:
あれ、けっこう早かったですよね?たしか、9月の頭にはできてたような……?


otomania:
そうですね、ミクの発売がたしか8月31日だったと思うんですけど、ニコニコ動画にあげたのは9月1日でした!(会場笑) みなさんこれはご存じないと思うんですけど、じつは動画をアップロードする前に、9月1日には歌だけのバージョンをニコ動にアップしてるんですよ(会場どよめき)。で、その後に映像を作ろう、と。で、元の歌だけのバージョンは削除して、二日半の突貫工事で動画を作って9月4日にもう一度アップしたんです。

伊藤:
アレをみた時は、かなり驚きましたねぇ。脱力した感じというか……

otomania:
できあがったものを作り終えてからみてみると……時間をおくと冷静な自分って出てくるじゃないですか?そしたら「何やってるんだ、俺?」っていう客観的な自分がいてまして(会場爆笑)。でも、ありがたいことにすごい反響をいただいて、ネットでも祀られて……

伊藤:
中毒者続出って感じでしたもんね。

otomania:
「感染率」が一番高かった時は、1日あたり10万人ぐらいの患者さんが来ていただいて(動画を再生していただいて)、イヤほんと、いい思い出をありがとうって感じでしたね。

司会:
すごいブームになって、環境も変わったのではないですか?

otomania:
変わりましたね。けど僕自身、以前から変わらない部分ってのがあるんですけど、「面白いもの、楽しいものを作りたい」ってのがあって、子どものころから人を笑わせたりすることがすごく好きだったんです。けど、小中学生の頃って、クラスでそういう言動や行動をとる子どもって、女子から気持ち悪がられる部分ってあると思うんですよ(笑)。で、ぜんぜんモテなくて、卑屈な人生を歩んでて、独り遊びをするようになって、さっきのミクでの独り遊びの話につながる、っていう流れになるんです。

でも、結果として、みなさんにこうやって楽しんでいただけるようなものができて、本当によかったと思っています。

司会:
それって、あまりみなさんが知らないお話しなんじゃないですか?

otomania:
そうですね、たぶんコレは本邦初公開のエピソードだと思います。

司会:
飛鷹さんもその動画は見られたことはありますか?

飛鷹:
もちろんです。やっぱりこういう「貴重な歴史の証言」っていうのを歴史にキッチリと残していくのが大事だと思うんで(笑)、貴重な瞬間だったと思うんですけど、ただね、それじゃ「なんであの曲だったのか」っていう理由にはなってないと思うんですよ。「なんであの民謡だったんだ?」っていうね。


民謡ってある民族の共通の記憶みたいなものにつながっていくわけで、ひょっとしたら偶然なのかもしれないですけど、ミクの持っている雰囲気みたいな「何か」がそれに合うんだっていう深層心理的なものが多くの人たちの共感を得ることにつながっているんじゃないか、と。あともう一つ、すごく内向的で社会に参加できなかった人が「創作」をきっかけに社会に関われることにつながるきっかけになったっていうことで、誰もが持っているであろう創作に対する喜びみたいなものが、ミクを通じて体験できる部分ってのがあると思うんですね。で、さっきのお話しで、otomaniaさんの小さい頃の体験からしても、そういった部分って言うのがあったんじゃないか、と思うんですよね。

otomania:
自分の中のエンターテインメント性を表現できる、っていうすごいツールだというのは感じていました。だからこそのめり込んだし、勢いでできたって言うのは実際にあったと思いますね。

飛鷹:
その一つは「キャラクターの存在」という部分があると思うんですが、伊藤さんはそこを意識的に盛り込まれたんですか?誰もが創作できる環境を作るっていうのがすごく意味があると思うんです。

伊藤:
DTM、つまりコンピューターで音楽を作っている人って、実はそんなに多くないんですよ(笑)。それ自体はすごく小さいものなんで、コンピューターミュージックの世界だけに訴求してしまうと、こんなに革新的な技術がすごく限定的になってしまうと思ったんです。DTMやってる人って、推定50万人ぐらいなんですけど、人口比で行くとたった0.5%ぐらいでしかないんですね。で、そこの人たちだけを狙っていくと、逆にミクみたいなキャラクターの設定って不要なものになっちゃうと思うんですよ。むしろ「邪道」っていうか、すこし色モノ的に見られてしまうっていう。


だから本当は音楽制作っていうところを狙っていくと「要らないよ」っていうことになってしまうんですけど、0.5%よりは99.5%のほうが人も多いわけで、逆にそういった層の人たちに使ってもらうと何か面白いことが起きるんじゃないか、みたいな考えはありましたね。キャラクターみたいなところは、あまり歓迎されないような、白い目で見られるような部分ってのはあったんですが。

幸いにして2004年の時点でMEIKOを出していて、反響もよかったんですね。で、「あ、こういう路線ってアリなんだ」っていうことがわかってたんで、ミクの時はもうちょっとキッチリと作っていこうか、という流れはありましたね。DTMのソフトとして開発したんだけど、そこだけじゃない層にもアピールできるモノにしたいという願いもあったんです。

otomania:
僕が思ったのは、初音ミクっていうパッケージの中にいろんないいバランスでみんなに受け入れられる要素が詰まっているって思ったんですよ。まず思ったのが、たとえば声に声優さんを使っているって言う部分なんですが、ただそれだけだと一過性の話題として終わってしまうと思うんです。そこにキャラクターやビジュアル、身長や年齢っていう要素があまりガチガチじゃない状態で盛り込まれていたと思うんですよ。その自由な幅とか「ユルさ」の部分が日本人の体質や民族性に合ってたんじゃないかと、思うんですね。

僕思うんですけど、日本人って「ゼロから1」を作るのって苦手な人って多いと思うんですけど、逆に「1あるものを2や3にしていく」っていうのはすごく得意な民族だと思うんですよ。ミクはまさにそんな土壌にピッタリとはまったケースだと思っています。


伊藤:
ミクって、会社の物置でアジト的に作ったものなんですよ(笑)。だからそこで考えていたものって大きかったと思うんですけどね。ユルさの面でいうと、元はコンピューターミュージックのツールだから、あまりにも完成されたストーリーがあったりすると、もうわけがわかんなくなっちゃう、と。たとえば、天使の羽が描かれていたり、ドクロの形のギターでジャズはできないでしょ?やっぱりある程度は木目調であるとか、そういう風にとどめておくからどんなジャンルにでも対応できるわけで。だから、あまりにも設定を決め込んでしまって「はい、このジャンルです」みたいにやってしまうと、こんどはもう身動きができなくなっちゃうんですね。

ただ、最低限の人となりというか、「肌触り」みたいなものは必要だと。でもそこを過度につけてしまうと制約を与えてしまうことになるんで、そこはほどほどに、っていう風にしていますね。

otomania:
そうですね、その辺のバランス感はすごくよかったと思うんですよ。そういう制約があって、でもそれが描いてあったからよかったわけで、たとえば「これは声優の藤田咲さんの声です。さぁどうぞ!」っていう状態で渡されたら、そこで終わっちゃってたと思うんですよね。だから、その設定の部分のバランスはすごくよかったんじゃないかと思いますね。

飛鷹:
制作とか創造の現場において、全くの制約がないことほど、自由じゃないっていうことはあると思うんですね。ある程度の制約性っていうのは、制作におけるきっかけとして必要ではあると思うんです。たとえば、短歌とか和歌って「五・七・五」っていう枠組みのルールがないと、「何でもいいから詠(うた)ってください」っていわれてもできないと思うんですよね。

たぶん、初音ミクって本当にあらゆる世代や国を問わず多くの人が参加できる、それがひょっとして日本的なものなのかな、と。ただ、どこまでが「日本的」と言っていいのかは難しい部分があって、僕らも限定的に「日本特有のもの」と議論すべきではないのかもしれないですけど。ひょっとして僕ら日本人はそういったものを文化や歴史の中で持ってきたのかな、とか考えてみたんですが、例を挙げると万葉集なんかの古い和歌の本ってありますよね?あれって、「詠み人しらず」っていう社会の最下層の人たちも、天皇レベルの人たちも同じ土俵で詠ってるんですよ。「和歌」っていう一つのプラットフォームの上で、貴族も農民も同じフィールドで制作を共同で行ってきたという伝統があるんですね。僕ら、普段から和歌とかってあまり読まないですけど、そういったものって無意識なところにあると思うんですよね。


それがさっきの「なんでフィンランド民謡を選んだんですか?」っていう話になるんですけど、ぜんぜんそれって論理的な意味ってないですよね?だってフィンランド人じゃないし(会場笑)。

otomania:
そうですね、単に「面白いだろう」っていうことかもしれないですね。

飛鷹:
なんとなくハマるだろう、みたいな感覚のところを探っていくと、僕らの背後にある何か文化的なものが作用してるのかもしれないですね。

伊藤:
寛容性というか、相容れないものは排除し合うと言うことではなくて、「それはそれ」として歩み寄って何かやっていこうよ、みたいな文化っていうのが日本の中にあったりするのかもしれないですよね。

otomania:
ちょっと大きな話になるんですけど、特定の宗教を批判するつもりではないんですけど、世界中で戦争ってあるじゃないですか?その中身って、荒っぽい言い方をすると「自分たちの神様がナンバーワン、オンリーワンだ」っていう理由で争っているのってあると思うんですよ。でも日本人って、そういうのってあまりないと思うんですよ。わりと寛容な部分があって、いろんな国の要素を取り込んで、いろんなものを神様にしたりとか、有り体な言い方をすれば「擬人化」ですよね。そういった部分に通じる部分ってあるんじゃないかと思うんですよね。


伊藤:
そこって本質的なところだと思うんですよね。「多神教」と「一神教」っていう思想の違いっていうのがあって、「擬人化」っていうのは多神教っていうバックグラウンドがゆえに起こる考え方なのかなって思うんですよ。たとえば、「山が泣いてるよ」とか、意味がわからないじゃないですか(笑)。あるルーマニア人のすごいオタクな人と話をすることがあって、もうありとあらゆることを知ってるんですよ。「日本って、いろいろなものに神様があるんだろ?山とか、石ころとか、草にも心があるんだろ?」とか言うわけですよ。でも、「神は一人だ」っていうのは彼は譲らないわけですよ。

飛鷹:
ちょっとだけお坊さんっぽい話を……(笑)。みなさんって、大みそかに除夜の鐘を撞きにいきますよね、お寺に。でも、その鐘を撞いたその足で今度は神社に初詣に行ってますよね(会場爆笑)?それってよく考えたら「ドッチなの??」ってなるわけですよね。

伊藤:
その一週間前にはクリスマスケーキだもんね(笑)。


飛鷹:
だから、一神教の人からしてみれば「もう意味わかんない」みたいなことになるわけなんですよね。けど、じゃあそれって「日本人がいい加減なのか」って言われるとそういうわけでもない、と。僕がいるところは高野山って言って、空海さん(弘法大師)っていうお坊さんが開いたところで。そこって、もともとは神様の土地だったんです。高野山の麓に「天野」というところにあった神様の土地を、空海さんが「修行に使うから」ということで当時の嵯峨天皇からいただいた場所なんです。

でも、よく考えると神様の土地に密教の道場をひらくなんて、ちょっとあり得ない話じゃないですか(笑)。普通だったら血を見る争いになると思うはずなんですけど、そこで空海さんが何をしたかって言うと、地元の神様にあいさつに行って、しかも「自分たちが道場をひらくので、ここの地主神になってください」と言ってコッチ側に招き入れちゃうんです。最初っから「一緒にやろうぜ」みたいな。これが歴史で出てくる神仏習合っていう神と仏が融合していくというもので、神様はもともと日本固有のものなんですけど、こんどはインドから中国を経て日本に入ってきて両方が共存すると言うことを、実は日本は1000年以上続いているんです。

otomania:
コラボですよねぇ~。

飛鷹:
そう、コラボなんです(会場爆笑)。そんなコラボでも1200年もやってくると、それはもうただのコラボじゃ終わらないっていう。つまり、キャラ自体が融合しちゃって、みたいな。たとえば弁天さん(弁才天)ってのはもともとは仏様なんですけど、いまはその前に鳥居が建ってたりとか。ビジュアルから融合してるんですよね。


otomania:
七福神もよく考えたらそうなんですよね。

飛鷹:
そうなんです。あれはもう、いろんな人が「クリエイター」として参加しちゃって、御利益をどんどん上乗せしちゃってできてますから(会場笑)。もう、いくつも混ざっちゃってるんで何が何だかもうわからないんですけど、ただ、そういったものを可能にする文化ってのを日本は元から持ってると思うんですよね。ムチャクチャなんじゃなくて、きちんとそれを体系化するものがあったんです。

otomania:
ちゃんとスジは通していると。

飛鷹:
それが1200年も続くと、それ自体が一つの文化様式として定着して、景観とか儀礼としても定着してきた。そこがユネスコなんかが「他にないよね」って言うことになって、高野山周辺が世界遺産に指定された大きな理由の一つになってるんです。「神道と仏教の伝統が1000年以上にわたって共存してきた。しかもそれがいまだに儀礼としても景観としても続いてきている、と。

otomania:
根底にはユルくてもそれなりに決まり事、制約があるってことですよね。

飛鷹:
そうです。それがさっきの初音ミクの話と同じで、「身長は158cm」みたいな制約が決められていて、融合するにあたってなんでもアリ的なものではなくて、いろんな人がクリエイティブに洗練をかけていくということなんです。もっともっとクオリティを上げていこう、みたいな。高野山は1200年ですけど、日本の歴史はもっと長いですからね。神道とか伊勢神宮とかだと、もう2000年以上続いてますから。

otomania:
それとミクが通じるっていうことを考えると、ミクは今後2000年は栄えるってことになりますよね(笑)?

飛鷹:
まぁそれはあるんじゃないですか(笑)。だって、「ミク」って言う名前って、どことなく「巫女(みこ)」みたいじゃないですか?(会場どよめき)「科学の限界を超えて来てくれた」みたいな歌詞がありますが、それって上から僕らのとこに来てくれた「メシア」みたいな、超越的なものに対するあこがれみたいなものとつながるところってありますよね。だから、ミクに関しては「未来」っていう世界観を感じるんですけどね。


伊藤:
ミクは「何でもアリ」というか、どんなことでも言わせることができるっていうのはありますね。歌ってもともとは地域とか、人とかを伝える「語り部」てきな役割だったと思うんです。それがこんどは「商品」として消費されるようになってくると、当たり障りのない、聞き心地のいい歌詞とか世界観をファッションのように作って消費するっていうことが起こってきたと思うんですね。一方の個人が発信するメッセージっていうのは、規模の流通の中で抹殺されてきたというのがあると思うんですよ。プロが作ったものしか流通できなかったというか。そこでいうと、ミクっていう新しい「語り部」が歌詞にして動画共有サイトを通じて世界に発信していくっていうのは、メッセージを主張する新しい手法だったと思うんですよね。

otomania:
先ほど「日本人は1から2や3を作るのが得意」という話をしたんですが、ボーカロイドってその表現に適しているツールだと思うんですよ。つまり自分自身が持っている世界観を具現化して表現させやすかったツールだと思うんです。で、そういう自分が憧れているキャラクターを自分の世界観で表現したいという気持ちの表れがいわゆる「同人誌」のカルチャーなわけで、その表現の道具というところで初音ミクはすごくいいツールだったんじゃないかと思います。

司会:
先ほど「ミクがこれから2000年続く」というお話しがあったんですが、作って発信してコミュニケーションしてっていうものがブームではなくて一つの文化として確立してきている状況だと思うんですけど、この文化を支えているものは何だとお考えですか?

otomania:
僕は「リスペクト」だと思います。前半の伊藤代表の講演の最後に「Thank you!」っていう言葉が出てきていたと思うんですが、作る側も観る側も「ありがとう」っていう気持ちが相互に行き交うと、だんだんと大きなものになっていくと思うんですね。僕は「イエヴァン・ポルッカ」の時がそうだったので、そういう感謝の気持ちが大事なんじゃないかと思います。

伊藤:
お金を生むのは大変だけど、「ありがとう」って誰でも簡単に言えるもんね。

otomania:
「スマイルは0円」ですからね(笑)

飛鷹:
創造性とかものを作ることに対して、金銭的じゃないモチベーションがあるっていうのは本当にその通りだと思うし、そういうのってインターネットのオープンソースだとか、ハッカー文化もそういったところがあったので、決して日本特有の文化じゃないのかもしれませんが、「ハッカー」っていうものがある種の特殊な世界として見られている一方で、日本の中ではそういったものを経験的に受け入れる土壌があったのかもしれない。そうすると、ある特殊なところだけにとどまらずに広がりがあって、普通の人たちもスッと入っていけるようなベースがあったのかもしれないですね。だからこそ日本でこれだけ広がったということになったのかもしれない、と。


しかしそれは日本だけにしか理解できるものではないからこそ世界に広まって。でも日本がそのコアの部分になったというのは、ひょっとしたら我々が経験として持ってきた文化というのが何らかの作用をしているかもしれない、というのはあると思うんですよね。

otomania:
「自分たちが発進してる」っていう意識がない人って結構いてると思うんですけど、その辺はもっと自信を持っていいと思うんです。日本人だからできること、っていろいろあると思うんですよ。レディ・ガガさんだってミクのことを気に入ってくれたから前座に登用したわけだし。そこの部分っていうのは「ジャパンブランド」として自信を持っていいと思うんですよね。

飛鷹:
意外と自分たちのことってわからないもので、海外に行って初めて気付くとか、「自分って日本のことぜんぜん知らないな」みたいなことってあるじゃないですか。でもいまのネットの時代だと、海外に行かなくても早く気付くかもしれない。なんか、自分たちがいいと思っていたことが海外でもすごい話題になっているだとか、自分たちが普通だと思っていたことがYouTubeの映像になって「日本大好き」みたいな、そういうのっていくらでもあるじゃないですか。だから、僕らが自分自身を自己認識する機会って言うのは非常に身近になっているのかもしれないと思います。

コンテンツを作るクリエイターも、何らかの素材って言うのが必要なんですよね。それは自分の経験であり、先人の経験であり、文化の総体だとすると、そういったものにアクセスすることがシェアの時代には自分たちのことに気付きやすくなるんじゃないかと思うんです。そういう意味で、初音ミクっていう存在は、僕らにとってもっと何かを生み出せる可能性を持ってるんじゃないか、ということを感じさせてくれますね。

otomania:
今までの文化に対してボーカロイドの文化が一線を画している部分って、インタラクティブ性だとかレスポンスの速さだと思うんですよね。クリエイター側からエンドユーザーの上と下の両方からのアクセス性がすごく速くて、またクリエイター間でもレスポンスが速かったりすると、そこからすごい勢いで一気に盛り上がることができて、その結果が初音ミクだったりとか、マジカルミライのような盛り上がりにつながっているんじゃないかと思いますね。

飛鷹:
この熱量の高さって、何なんでしょうね?


otomania:
僕にとっては「ノリ」の部分ですね。「アリ」か「ナシ」で考えると「アリやろ」っていう部分で動いている部分であると思うんですよね。さっきの宗教戦争の話に関連するんですが、お互い同士が「そういうこともアリか」と思って認め合う部分ってあると思うんですよ。

僕は昔、Flashアニメを作っていた時期があったんですけど、まだニコ動とかYouTubeが出てくる以前の段階なんですけど、いわゆるFLASH黄金時代と呼ばれる時期ですね。で、その時代に何が起こったかというと、「あるFlash職人の作品はいいけど、別の職人の作品はクソだ」っていう非難合戦が始まるんです。そういう排他的なコアなファンの争いが始まってしまって、蚊帳の外の作家さんや一般のファンが居心地が悪くなって去ってしまう、そういうことが起こってしまったんです。で、そこに動画共有サイトが現れてFlashの世界は衰退してしまった、と。

一方のミクの世界ですけど、やっぱりそういう話っていうのはチラホラと耳に入ってくるわけです。そうなると、昔の状況を知ってる人間からすると胸が痛い、って言うのはありますね。なので、今こうやって集まってくださっているみなさんって、ミクが好きですよね?だったら、そういう寛容な気持ちって言うのを持っていただきたいです。自分の気持ちは少し横に置いておいて、「そういう表現もあるんだな」という認めてあげる、受け入れて上げる、そういうのがあるだけで、文化って加速度的に大きくなると思うんですよね。

伊藤:
otomaniaさんが最初のミクの動画を9月初旬にアップした後って、二次創作や三次創作がすごい勢いで増えたじゃないですか。一日に何本も新しいものが投稿されて。そういう状況を体験してると、「なんでコレが起こってるのかな」って考えてしまうんですよね。だって、自分が上げたものが勝手に誰かが改変して、ってなると人によっては「俺のものに手を入れて」って頭に来ることだってあると思うんですよ。けど、そうも思わずに「こういう表現もあるんだ」って楽しみにしてくれてる部分があったと思うんですよね。僕もそうだったし。


それって、こういう文化の本質的なところで、リスペクトするというか、これはピアプロを作ったことにも通ずるんだけど、ネットにおいてあるイラストなんかを使って動画を作った時に「使ってくれてありがとう」と思う人もいれば「何やってくれんだ」って怒る人もいると思うんですよ。そこを何とかしてほしいという声を受けてピアプロはできたんですけど、それって「使わせてもらいました」とか「ありがとう」ってひとこと言えば済む問題だと思うんです。それを形にしたのがピアプロなんですけどね。

これからもきっと同じだと思うんだけど、「アイツ派」と「コイツ派」に分かれて対立するっていうのは、つまらない話なので、気持ちを伝え合うっていうのはやっぱり大事だと思いますね。

◆今後の文化の発信について求められること
司会:
いま、「クールジャパン」といった枠組みをはじめとして、日本の文化を発信していくということが進められているのですが、いったい何が足りなくて、どのようにすればいいかということを最後にお伺いします。

otomania:
先ほどの話にもいろいろ出てきたんですが、自分たちが発信していることに対する自信を持つことと、他の人が発信していることに対する寛容さと感謝の気持ちが必要だと思います。一言でいえば「Love」ということですね。


飛鷹:
僕は以前にコメンテーター的な立場で「クールジャパン」の取り組みに関わらせていただいたことがあるので、現在の動きなんかも多少知っているんですが、ちょうど昨日に「クールジャパン推進会議」っていうのがありまして、新しい提言書が出たんですが、その内容が「なぜクールジャパンはうまく行ってないのか」ということをまず考えるというのが大きなテーマだったんです。やり方そのものをリ・デザインするということで、その中心になっているのが太刀川英輔さんという30代の若手なんですが、そのぐらいの世代の人たちって、もともとの感覚として対社会との関係性をどのようにするのか、ということを自然に考えることができるんです。僕らみたいな70年代の世代だと「何か社会的なことをやりましょう」と考えてから動くという部分があるんですが、いまのソーシャル系のベンチャーの人たちはそれが自然にできる。なので今回の提言ではいろんな人間が関わって、行政の人間も徹夜を繰り返して面白い提言になっているので、みなさんも興味があれば見ていただきたいなと思っています。

CJムーブメント推進会議(第5回)議事次第
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/cool_japan/cj/dai5/gijisidai.html

先ほど出てきたお話しで「共感する」ということがあったと思うんですけど、僕の友人でいろんな音楽フェスティバルの運営をやっている人間にいわせると、フェスにとって大事なのは「みんなが参加する」っていうことなんだそうです。単にフェスに音楽を聴きに行くだけじゃなくて、オシャレしてその場の空気を共有して楽しむ、というのが大事だっていうんですね。フェスに先駆けて非常にクオリティの高いトレーラームービーがYouTubeなどでバンバン発信されて、それを見た人たちが「あそこに参加したい」って思うような環境作りがある、と。なので、まずはやっぱり情報としての共感するコンテンツってのがあって、それを実際に共有する場をどのように作って行くかということが大事だと思うんですよね。


そういう意味で言うと、8月30日に開催された「マジカルミライ」のようなリアルなイベントで普段はオフラインで出会っていたメンバーとリアルにつながれる場があって、しかもそれが世界に広がりつつ「やっぱり本丸は日本でしょ」ということで日本でもそういったイベントがどんどん開催されることを期待しています。

伊藤:
僕が言うのもアレなんですけど(苦笑)、クールジャパンってどこか「水平移動」的なところがあって、日本にあるものをそのまま持って行って展開している部分があるんですけど、それは他の国に行った時にはその土地に合わせないと売れるものも売れないというのはあると思うんですね。で、実際何を持っていくべきと言うのはいろいろあると思うんですが、日本って普通の人の根っこの部分で生みだされるクリエイティビティの高さって、抜群に可能性があるんじゃないかと思ってるんですよ。だって、学校のクラスにいる女子の半分がイラストが上手に描けるとか、そういうのって普通はあり得ないと思うんですよね。そういう自己表現のスキルがあったり、関心があるっていうのは日本の資源や資産と言えると思うんです。


でも、そういう部分っていうのはアンダーグラウンドというか、メインカルチャーに対するサブカルチャーとしてある種で「封印」されてしまっている部分ってのはあると思うんですけど、そのクリエイティビティの高さの部分っていうのはもっと活躍していいと思うんですよね。ただ、それがそのままアニメを描けばいいだとか、マンガを描けばいいだとか、いまいる世界の中でやるだけが全てじゃなくて、もっと世界に出ていろんな場所でコラボレーションするだとか、そういう目線が必要だと思うんです。

そういう文化の下支えになる人的資源っていうのはすごくレベルが高いと思うんですよ、日本って言う国は。だた、クールジャパンなどを通すと「作品をいかに売るか」みたいなことにもなって行き詰まり感が出ちゃうと思うんで、本当はもっと違う部分にチャンスがあって、そういう部分を刺激していけばすごいチャンスが眠っていると思うんですけどね。

otomania:
そうやって考えると、まだまだ可能性ってあるんですよね。

司会:
ここでお時間が来てしまいました。ナレッジキャピタルでも「人とのリレーションシップ、つながりから始まる」ということを目指したいという風に考えています。みなさんのお話しにもあったように、こういった関係性から広げていきたいという風に考えています。今日は長い時間にわたって、どうもありがとうございました。

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