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「赤いM&M’s」が姿を消した不遇の時代とファンの気持ちがもたらした復活劇の一部始終

By Silke Gerstenkorn

カラフルにコーティングされたチョコレート「M&M's」は「お口でとろけて 手にとけない」のキャッチフレーズで知られており、テレビCMや店頭などでを耳にしたことがある人もいるはず。発売以来70年以上の歴史があるM&M'sですが、その歴史の中では不遇の時期とファンの熱意がもたらした復活劇が隠されていました。

Why Red M&M's Disappeared for a Decade
http://priceonomics.com/why-red-mandms-disappeared-for-a-decade/

M&M'sが誕生したのは1940年のこと。当時スペインを訪れていたフォレスト・マース氏は、配給されたチョコレートに砂糖をまぶして食べる兵士を目にしました。そのようにすることで手に溶けず、いつでも簡単にチョコレートを食べられる工夫だったのですが、マース氏はその姿をヒントにして砂糖をコーティングした粒状チョコレートを開発し、これが現在のM&M'sの原型となりました。


その翌年の1941年にM&M'sが発売された時のカラーは茶色、黄色、緑色、紫色、そして赤色の5色でした。中でも赤色のM&M'sは次第に同商品のキャラクターカラーとも言えるポジションに置かれることとなり、1960年後半ごろの広告には、中にピーナッツが入った黄色のM&M'sピーナッツと並んで、赤い体に手足を持つM&M'sの姿が頻繁に登場するようになっていました。

そんなM&M'sですが、1976年に起こった騒動が原因で、赤色のM&M'sが以降約10年にわたって市場から姿を消すことになりました。

◆疑われた「食の安全性」の問題
赤くコーティングされたM&M'sには、その色を出すためにアマランス、通称「赤色2号」と呼ばれる着色料が使われていました。1878年に初めて使われるようになったアマランスは「20世紀に最も使用された着色料」とも呼ばれるほど広く普及し、キャンディやケーキ、ホットドッグのソーセージなどにも使われていました。

1938年に食の安全性などを定めた「連邦食品・医薬品・化粧品法」が可決・成立された際にも、アマランスは問題なく審査を通過して安全な原材料として認可されています。しかし1970年代に入った頃、当時のソビエトの科学者チームが発表した報告書をきっかけに、アマランスを巻き込む騒動が勃発することになりました。

By Hector Hurtado

1970年にモスクワ栄養学会が発表したレポートの内容は、33カ月にわたってアマランスを投与され続けたマウスの26%に腫瘍が発見されたというもので、アマランスの安全性に疑いの目が向けられることになります。翌1971年には「メスのマウスが産む赤ちゃんマウスに死産や奇形が多発する」というレポートが発表されて疑いはさらに広がり、アメリカの科学者たちはソビエトで行われた検証方法を否定したものの、アメリカ食品医薬品局(FDA)はこれを重大なものだと捉え、そこから4年にわたる調査を開始することになりました。

しかしここでも騒動が起こります。調査手法がずさんだと指摘する声のある中で、FDAは「アマランスはマウスに対する悪影響を及ぼさない」と調査結果を発表しますが、ほどなく別の政府系機関がこれに反論。さらにマスコミの報道などが反応して大きな世論が巻き起こることになります。その結果FDAは「公衆衛生上の危険性は認められない」としながらも、「食品添加物としての使用に際立ったリスクがない物質」としてアマランスに与えられていたGRAS(Generally Recognized As Safe)の認証を取り消し、1976年にはその使用を禁止するに至りました。

◆市場から姿を消す「赤」
当時のアメリカ国内では豚インフルエンザによる社会的パニックが渦巻いている状況であり、アマランスもこれに巻き込まれる形に。アマランスを使用していた商品は次々に姿を消して行くことになり、M&M'sも例外ではなく、赤いチョコレートのみが姿を消していくことになりました。

しかし、実はM&M'sの赤色にはアマランスは使用されていなかったとのこと。当時の商品に用いられていたのは、より危険性が低いとされる「赤色40号」アルラレッドACだったのですが、「消費者の混乱を避けるため」としてマース社は赤いM&M'sの生産を中止して、赤色の替わりにはオレンジ色のM&M'sがデビューすることになりました。

そんな当時のTVコマーシャルがこちら。消費者イメージを重視するあまり、M&M'sに限らず赤い食品はアメリカ市場から次々に姿を消して行きました。

All The World Love's M&M's Commercial - YouTube


◆赤いM&M'sの復活
そんな「不遇の時期」を過ごしていた赤いM&M'sですが、製造中止から10年を経たころ、一人の大学生の働きかけをきっかけにして復活の動きを始めることになります。

テネシー州出身の学生だったポール・ヘスモンさんは、赤いM&M'sが姿を消した当時は8年生(中学2年生に相当)の少年でした。赤いM&M'sがお気に入りだったヘスモン少年は生産中止を残念に思い、当時手元にあった赤いM&M'sの粒を最後の最後まで大事に食べずに残しておいたほどだったと言います。

By Matthew Fang

後にテネシー大学に進学したヘスモンさんですが、その悲しみが癒えることはありませんでした。背負ったままの悲しみに堪えきれなかったヘスモンさんは1985年に「赤いM&M'sを復活・保存させる会(Society for the Restoration and Preservation of Red M&M's)」を発足させて復活への行動を起こします。同会ではマース社や当時のレーガン大統領、そしてFDAに嘆願書を提出して復活を要求。すると、マース社からはヘスモンさん宛に一通の返信が送られました。「書面をお送りいただきありがとうございます」という書き出しの手紙には「残念ながら、現在のところ赤いM&M'sを再発売する予定はありません」とつづられていました。

しかし、ヘスモンさんの働きかけは大きな渦となって社会に広がります。世界中からも多くの声が挙がり、復活を願うファンの声が次々に届けられることになりました。セントルイスに住む女性からも以下のような復活を願う文章が送られています。

Is my life worth living without red M&M's? This is the question I had often asked myself. For many years now, I have somehow managed to go on, thinking there was nothing I could do. One person against the world! But now I have a purpose, a meaning in my life. My life is meant to give re-life to the red M&M's.

赤いM&M'sがない人生なんて、生きる価値があるでしょうか?私はずっとそのことを自分に問いかけてきました。もう何年ものあいだ、「私にできることは何もない」と言い聞かせ、なんとかやってきました。しかしそこに、ひとりの人が立ち上がりました!いま、私の人生には目的と生きる意味が存在します。私の人生は、赤いM&M'sに再び命を与えるためにあるのです。

ヘスモンさんの行動をきっかけに、以前の懐かしい風景を懐古するセンチメンタルなムードが多くの人を包むようになりました。ある支持者からは「赤色がないM&M'sなんて、映画『三ばか大将』に『石頭のカーリー』が登場しないようなものだ!」と語り、復活を切望する気持ちを表現します。日本流にいうと「ドリフのコントにカトちゃんが登場しないようなものだ!」と憤るといったニュアンスでしょうか。また、本物の赤いM&M'sには出会ったことがないはずの若い世代からも、なぜか復活を求める声が挙がったりもしていました。そしてさらに、以前は赤いM&M'sを厳しく追及していたはずの各種マスコミまでもが、その先に眠る金脈を狙って復活を望むようになりました。


ヘスモンさんは自身を駆り立てた原動力について、後のインタビューで以下のように語っています。

どうやって説明したらいいでしょうか……?それは例えるならば「オズの魔法使い」をカラーと白黒で見るのと同じぐらい全くの別物になるのです。物語に登場するイエロー・ブリックロード(黄色いれんがの道)が白黒で表現されているシーンなんて、見たくないでしょ?私にとって赤色がないM&M'sは、まさにそういう状態のものなのです。

◆そして、復活へ
数週間後、ヘスモンさんのもとにはマース社から「お待たせしていたみなさんに、いいお知らせがあります」と、赤いM&M'sの復活を知らせる手紙が届きました。この手紙の中でマース社は「M&M'sおよびマース社に関わる全てのスタッフは、まずあなたにこのニュースをお伝えすることにしました」とヘスモンさんに敬意を表し、M&M'sを受け取れるクーポンを同封していました。

そしてついに1985年のクリスマスシーズン、歓迎ムードの中で赤いM&M'sは復活を果たします。赤色が姿を消した当時のラインナップが復活し、さらに赤色の替わりとしてデビューしたオレンジ色がそのまま残り、新生M&M'sは5色から6色のラインナップへと変化。パッケージに含まれるそれぞれのカラーバランスは、茶色:30%、赤色:20%、黄色20%、そして残りの3色がそれぞれ10%ずつ、と定められることになりました。


赤色復活後の1987年のテレビCMがこちら。

M&M's Commercial 1987 - YouTube


まさにファンの愛が赤いM&M'sを救い、復活を遂げることになった赤いM&M'sですが、後の1995年にはM&M'sを代表するカラーに昇格。いまやM&M'sと言えば赤色の粒とされるまでに至りました。長い不遇の時代を遂げてきた赤いM&M'sについて、マース社の広告を長らく担当してきたジェイソン・ルーカス氏は以下のように語ります。「彼は気持ちを表現するのが苦手なんです。彼がファンに『I Love You』と表現できる唯一の方法は、彼自身の姿とその味だけなのです」

By westpark

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in メモ,   動画,   , Posted by darkhorse_log

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