インタビュー

初実写監督作品「はじまりのみち」を撮り終えた原恵一監督にインタビュー


映画クレヨンしんちゃん」の中でも特に評価の高い「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「アッパレ!戦国大合戦」の監督であり、近年は「河童のクゥと夏休み」「カラフル」なども手がけている原恵一監督が、6月1日に公開となる映画「はじまりのみち」で初めて実写映画の監督を務めました。

今回、原監督にインタビューする機会を得たので、これまでアニメ業界で培ってきたノウハウを実写映画の撮影に活かすことはできたのか、アニメと実写の違いをどのように乗り越えて作品製作を進めていったのかなど、いろいろとお話を伺ってきました。

原恵一監督最新作『はじまりのみち』6月1日ロードショー!
http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/hajimarinomichi/



映画『はじまりのみち』予告編 - YouTube


インタビューは松竹東京支社が入る東劇ビルで行われました。


1階のビル受付に置かれていたフライヤー。


GIGAZINE(以下、G):
今回は、かなり基本的な部分のお話から6月1日公開の新作「はじまりのみち」の話まで、広くお伺いしていきたいと思っています。まずは、監督はご両親が映画好きだったことから、子どものころから映画をご覧になっていたとのことですが、最初に見た映画はどんな作品でしたか?

原恵一監督(以下、原):
ずいぶん前に同じ質問をされて、その時に結構考えたんですけど、その時にフッと浮かんだのが「チコと鮫」っていう映画だったんですよ。ご存じですか?

G:
すいません、見たことがないです。

原:
今だと、たぶん見る機会が無いですよ、ソフト化されていないと思うので。ただ、リメイクされて「少年と鮫」として公開されています。

G:
幼少時、映画を見たのはテレビでですか、それとも映画館ですか?

原:
育ちが田舎だったので、もっぱらテレビでした。両親、特に母親が「洋画劇場」みたいなものをいつも見ていたので、僕もなんとなく一緒に見ていたんですよ。


G:
それは毎週見ていたのでしょうか?

原:
当時は毎日あったんですよ。

G:
毎日ですか?

原:
「月曜ロードショー」「火曜映画劇場」というような感じで、ほぼ毎日でしたね。

G:
なるほど、では毎日浴びるように映画を見る日々だったわけですね。

原:
ええ、いろいろと見ました。たまには映画館に行って見たりもしましたが、テレビで映画を観た影響は僕にとって大きいと思っています。

G:
見ていた作品の洋画と邦画、どちらが多かったですか?

原:
ずっと洋画中心でしたね。正直なところ、あまり邦画は見ていなかったです。見たのはゴジラくらいでしたね(笑)

G:
なるほど。小さいころは絵を描くことを仕事にするのが夢だったとのことですが。

原:
「画家になりたい」とか、そういう大それたことは考えていなくて、「絵を描いたりすることが仕事になればいいな」と思っていたぐらいです。普通のサラリーマンではないような仕事に就きたいと、漠然と思っていたんです。


G:
クリエイティブな仕事ということでしょうか。

原:
今で言うとそういうところになるのかな。当時はそんな言葉はなかったですから。

G:
実際、絵に関わる仕事に携わるようになって、やがて「ドラえもん」の演出をされるようになったと。原監督は「ドラえもん」という作品が好きだとのことですが、やはり好きな作品に携わることで毎日が充実していたのでしょうか。

原:
いやー……。僕は当時いたシンエイ動画が作ってるアニメの「ドラえもん」がそんなに好きだったというわけじゃないんですよ。藤子・F・不二雄先生のファンだったので。現場にいても、周りのスタッフがあまり作品を作ることに愛情を感じていないのではないかという印象があったというか……まぁ、しょうがないですよ、みんな仕事でやっているわけなので。でも、周りのスタッフだけではなく、僕は当時、世間に対しても怒りがありました。

G:
「怒り」というと。

原:
僕はすごく実感しているんですが、藤子・F・不二雄先生ですら昔から評価されていたわけじゃないんですよ。僕がアニメの仕事をやり始めたころは、どこかアニメが軽んじられていた気がするんです。藤子アニメですら、原作を含めて、アニメとしてちゃんと評価されていませんでした。当時、「あくまで子ども向けのもの」という感じがあって、僕はそういう風潮に対して「ふざけるな」という気持ちがありました。今でこそ、大人が「藤子F先生の作品が大好きです」と公言しても全然恥ずかしくなくなりましたけど、僕の記憶だと、そうではない時期もあったんです。藤子F先生が亡くなった90年代半ばくらいのタイミングで、そういう風潮がなくなり始めたと思います。作家としての評価が変わったのはその後ぐらいで……。僕は大人になってからも藤子F先生が好きだったので、すごい人だなとずっと思っています。

G:
藤子作品というと子ども向け作品はもちろん、大人が楽しめる内容の作品も多いので、大人が読んでもまったく恥ずかしくないものですよね。原監督は、「ドラえもん」に続いて、藤子作品である「エスパー魔美」でチーフディレクターを務められました。これが監督デビューになりますか?

原:
そうですね。当時はテレビアニメだと「監督」という言葉を使わなかったので。

G:
そうなんですね。この「エスパー魔美」は1988年に「星空のダンシングドール」という劇場作品があって、これが初の映画監督作品となったわけですね。

原:
そうです。

G:
「星空のダンシングドール」は、「ドラえもん のび太のパラレル西遊記」「ウルトラB ブラックホールからの独裁者B・B!!」との3本立てでした。ドラえもんの劇場作品とその同時上映というと、たとえピンチがあっても基本的には明るい冒険活劇というイメージだったのですが、この3作品はそのイメージとは違っていたので、すごく印象に残っています。
この作品を担当したときの思い出などありますか?「劇場版」ということに対する気負いがあっただとか。

原:
気負いはありましたね。小さなテレビ画面から大きなスクリーンでの制作に変わって。それを初めて作るということで、作りながらものすごく悩みました。でも、あの時からずっと「映画なんだから派手にやろうよ!」みたいなことには違和感を覚えていたんです。


G:
映画といえばお祭り作品という風潮もありますが、それだけではダメだと。

原:
僕はアニメを作る上で「ドラマ重視」なんです。「星空のダンシングドール」は藤子先生も喜んでくださったと人づてに聞きました。

G:
なるほど。この後は1992年から「クレヨンしんちゃん」の制作に携わるようになり、原監督の代表作として挙げられる劇場版の「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「アッパレ!戦国大合戦」が出てくるわけですが、こういった作品を作ったときは、大人が見ても評価するような作品を作りたいという思いはあったのでしょうか?

原:
僕は作品を作る時、どんな層が観客になるのかというのはあまり考えないんです。


G:
「ファミリー層向けに」とか、そういう狙いではないんですね。

原:
僕は、作風をそんなに器用に切り替えられないんですよ(笑)。もちろん、ドラえもんやクレヨンしんちゃんであれば、観客は基本的に子どもですから、子どもが喜ぶようにということは意識して作ります。でも、「子どもはこの程度でいいだろ」のような、上から目線にはならないようにしたつもりです。

G:
オトナ帝国に出てきたアパート暮らしのシーンなど、子どもよりも大人がグッと来るようなところもありました。

原:
もちろん、そういうシーンは子ども向けというより、自分が観客になって作品を作ってしまうところがあります。それで我を忘れちゃって、「あ、クレヨンしんちゃんなんだからお尻を出さなきゃ」とかふっと思ったりして(笑)


G:
「そうだった、この映画はクレヨンしんちゃんだった」みたいな感じですね(笑) 劇場版のクレヨンしんちゃんや「河童のクゥと夏休み」では挿入歌の作詞も担当なさったとか。

原:
酔っ払ったときの踊りのアレですかね。

G:
作詞をするときは脚本を考えたりするときと同じような流れで作っているんですか?

原:
クゥの場合は、絵コンテを描きながら、そういうのにしようかな~って。「「カッパ族に伝わる雨乞いの踊りってどんなもんだろう?」と考えてあんな歌詞になりました。これを作詞と言えるだろうか、とは思いますけど。

G:
アニメの監督が実写を撮るというのは、これまでに大友克洋さん、押井守さん、庵野秀明さんが挑戦されていますが、原監督は実写映画を撮るということにあたって、何か思うところはありましたか?

原:
非常に困りました。なんといっても「木下監督生誕100年プロジェクト」の記念映画ということで、断るわけにはいかなかったですから……。でも、実写映画を撮る自信は無いし、「よし、実写やるぞ!」みたいな勇ましい気持ちにはなれなくて、逃げ道がないところに追い込まれて「やるしかない」というような心境でした。


G:
監督としてのオファーが来て、これは受ける以外にないなと。

原:
最初は脚本のみの依頼だったんですよ。でも、脚本を書いているうちに「この作品で監督をやらなきゃ後悔する」と思い、自分から「監督をやりたいんですが」と切り出したらOKで、やれることになったんです。

G:
監督には自ら名乗り出たんですね。

原:
それをやるのはすごく勇気がいりましたよ。「俺が監督すれば絶対いい作品になる」という自身は無かったですから。ただ、自分でやるしかないという使命感というか、「これはやらないと僕が後悔するな」と思ったんです。

G:
実際にやってみて、アニメと実写で「こんなところは同じなんだな」というところ、逆に「ここはかなり違っている」というところは、どういったものがありましたか?

原:
大違いでしたよ。

G:
苦労の連続ですか?

原:
僕は今53歳ですけど、実写の現場に行くと、この年でスタッフが初めての人ばかりなんです。全てのスタッフに「はじめまして」というあいさつから始まる経験をするとは思っていませんでした。アニメの現場であればまずそんなことはなくて、「久しぶり~」「またよろしく」ですから。なので、周りのスタッフがどういう人なのか、何が得意なのかも分からない状態からでした。でも、僕が変に身構えるのもいけないんで、スタッフさんたちに混ぜてもらう気持ちで望みました。作品を作っているときは、アニメのキャリアを振りかざさず、アニメのやり方も持ち込まないようにと考えました。でもそれがよかったと思うんですよね。


G:
初顔合わせの人たちとの共同作業だったわけですね。

原:
僕が作品を作る時に考えたのは「僕は周りのスタッフを信じるしかない」ということでした。いちいちスタッフや役者に、僕が納得するような指示を出していたら仕事にならないと思ったんですよ。幸い、今回のキャストやスタッフに対しては、不信感を抱いたり合わないと感じることはほとんど無かったので、途中からは「周りを信じたほうがいいや」と思うようになりました。終わってみるとそれが良かったような気がします。アニメの方法論を実写に持ち込んだら良くないような気がして……アニメなら絵コンテを綿密に描くんですが、今回の映画はほとんど絵コンテも描いていないですから。

G:
そうなんですか。

原:
だから、絵作りは周りにお任せしました。終わって作品を見てみたら納得のいくものだったんで、「アニメで丁寧に絵コンテを描いていたのはなんだったんだろう」って思いました(笑)

G:
撮影してみたら、自分が想像していたよりも絵が良くなっていたシーンというのはありましたか?

原:
そんなシーンばっかりです(笑) しかも、僕はシーンが撮られた現場の雰囲気を知っているので。ほんと、今回は過酷なスケジュールで、撮影した11月は日も長くないので、太陽に追われまくって作品を作るような日々でした。日々、日照時間が短くなりますし。

G:
日の出のシーンなんか、すごくいい絵だなと思ったんですが、あれも現場はバタバタだったりしたんですか?

原:
あのシーンなんかそれの最たるもので、現場は大混乱でした。種明かしすると、実はあれは日の出ではなく、夕日を撮っているんです。


G:
そうだったんですか!

原:
最近は、夕日を朝日に見立てることが多いみたいです。

G:
夕日だと撮影が確実ということでしょうか?

原:
僕もスタッフに聞いてみたんですが、早朝に合わせてみんなが準備すると、前乗りが必要だったり、深夜3時から起きなければいけなかったり、いろいろと大変なんだそうです。

G:
確かに、日が出てきたからといって、機材の準備もなしには撮影は始められないですもんね。

原:
ずーっとカメラが回ってなければ夕日には見えないじゃないですか。朝3時に起きて撮影だとみんなぼーっとしてしまうけれど、夕日の時間であればみんなコンディションもいいですし。ただ、夕日を朝日に見立てたときの問題は、映像の順番とは逆に、時間を遡って撮っていく流れになるので頭が混乱するんですよ。アニメではそういう機会がなかったからわけが分からなくなっちゃって(笑) 慣れたスタッフでも混乱するものみたいです。

G:
なるほど。

原:
刻々と日が沈んでいくから、みんな途中から焦りだして……。

G:
当然ですが、1回で撮らなければいけないんですよね?

原:
そうです、同じ夕日、同じ雲というのはないですから。

G:
アニメであれば足りない絵は描けばなんとかなりますが、実写だと気象条件などもあって思い通りにはいかないわけですね……。

原:
本当にそうです。

G:
やってみて「ここは難しかった」というのはどういったシーンですか?

原:
(しばし考えて)……全部ですね。本当に、撮影中は気持ちに余裕が無かったです。「そうは見えなかった」と周りには言われましたけど(笑)、実はそうだったんです。常にビクビクしてた記憶がありますね。「スタッフにどう思われてるんだろう」とか「現場のことがわかってないのに実写映画の監督って、みんなにどう見えてるんだろう?」とか考えてしまいました。本来、監督が現場を動かしていかなきゃいけないっていうのは分かるんですけど、今回はどう動かしていいかが分からなかったですね……。実写では能力も経験もないんで、周りを常に見ながら「ああ、次はあれをやるんだ」みたいな感じでした(笑)


G:
スタッフさんが率先して動いていたような感じですか。

原:
もちろん。スタッフはスタッフで時間に追われているので、僕に対して悠長に解説をしている暇はない、でもかけ声は僕がかけないといけないという……OKなのか撮り直しなのかの判断も僕がしなくちゃいけない立場で、よく現場で情けない気持ちになっていました。撮影中、「俺、どっかで泣くかな」とか思ってましたよ。泣きませんでしたけど(笑)

G:
今回の「はじまりのみち」のラストにしても、クゥも、カラフルにしても、最後に泣かされてしまうんですが、これは盛り上がりを持ってくるように狙った作りなのでしょうか、それとも狙いはなく自然なものでしょうか。

原:
自然とでしょうね、「泣かしてやろう」という使命感を持っているつもりはないんです。そういう使命感を持ってしまうと、わざとらしいものしかできなくなってしまうと思いますし。作品ができて、結果的に見た人が泣いてくれればありがたいです。

G:
キャストについて、「はじまりのみち」で便利屋役の濱田岳さんが、カレーやしらうおのことを美味しそうに語るシーンがありましたが、あれは監督による指示でしょうか。

原:
本読みのときに「このシーンはたっぷりジェスチャーを交えてやって下さい」という指示をしたとは思いますが、それ以上の点については濱田さん独自の工夫ですね。

G:
あれは本当に美味しそうでした……。最後に、監督が次に挑む作品についてお伺いしたいと思います。今回の経験をふまえて再び実写を撮るのか、それともアニメに戻られるのか、決まってらっしゃいますか?

原:
今はまたアニメを作っています。ただ、実写の経験をしましたが、アニメに生かせるとは思わないですね。今はアニメの現場に戻ったことで僕自身が戸惑ってます。感覚が変わってしまって「なんてやっかいなんだろう」って。やっぱり、アニメと実写はそれだけ違うということですよ。

G:
アニメと実写は「完全に別物」ということですか?

原:
技術的なところでいうと、サイズやカット割りというものが、そもそもアニメと実写では違うんですよね。今の段階だと僕はまだ実写の名残が残ってるんで、その調子で絵コンテなんかをおおざっぱに描いてしまって、「いかんいかん、これはアニメだった、これじゃあダメだ」なんてことがあったりで、非常に毎日戸惑いながら絵コンテを描いています。

G:
どちらも映像作品だから似たところはあるのかなと思っていました。

原:
実写を1本作ったことがアニメにもプラスになればいいと思ってるんですけど、なかなかそうはいきませんね。


G:
以前、原監督は「木下監督の功績が黒澤明監督に比べて過小評価されているのではないか?」といったことを仰っていました。今回、木下監督の生誕100周年ということで作品上映なども行われていますが、木下監督作品を見たことがないような人への言葉などはありますか。

原:
木下監督は実に過激な人だったと僕は思っていて、その過激さは、今の若い人が見ても絶対面白いって信じているんです。この「はじまりのみち」には作品集が入っていますが、それを見て興味を持ってくれればいいなと思っています。断片から本編を体験するという経験を、なるべく大勢の人がしてくれれば僕はうれしいです。木下監督の作品を見たことが無い人に、自信を持って勧められます。特に、若い人に。

G:
「陸軍」のラストシーン、そして最後のところですね。

原:
これから木下監督の作品を初めて見るという人が、僕はうらやましくて仕方ないですよ。

G:
本日はお時間をいただき、ありがとうございました。

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in インタビュー,   動画,   映画, Posted by logc_nt

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