道営競馬のエース、コスモバルクがついに完全引退へ
2003年にデビューし、2009年までに48戦を戦って国際G1レースのシンガポール航空インターナショナルカップなどに勝利したコスモバルクが引退することになりました。同馬は2010年に一度引退しましたが、休養を経てアイルランドでの復帰を目指しトレーニングを再開していました。
コスモバルク屈腱炎で復帰断念、引退 - 競馬ニュース : nikkansports.com
http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20110816-820797.html
コスモバルクの父はザグレブ、母はイセノトウショウ(母父:トウショウボーイ)。2001年に生まれ、2003年に道営競馬のフレッシュチャレンジ(新馬戦)でデビューしました。4戦2勝・2着2回という成績で中央競馬のレースに登録し、初戦の「百日草特別」をレコードタイムで勝利。
【競馬】 2003年 百日草特別(500万下) コスモバルク - YouTube
年末のG3・ラジオたんぱ杯2歳Sでは4番人気ながら勝利を収めました。
過去にもハイセイコーやオグリキャップのように、地方競馬から中央競馬に転属して活躍したアイドルホースはいましたが、コスモバルクは地方所属のまま活躍を続け、クラシックレースへの挑戦権を得ます。
皐月賞では「400万円で購入され地方に所属している馬が、中央競馬所属の良血馬・高額馬を蹴散らす」というドラマへの期待もあり1番人気に押されましたが、ダイワメジャーの2着に敗れました。続いて挑んだ東京優駿(日本ダービー)でも2番人気でしたが、こちらはキングカメハメハの8着に沈みます。北海道に戻って出走した北海優駿は1着、さらに三冠レース最後の菊花賞へのトライアルレースとなるセントライト記念でも1着になりましたが、菊花賞本番は4着。次のジャパンカップではゼンノロブロイの2着に食い込んで日本馬によるワンツーフィニッシュを決めます。
「善戦はするが勝てない」というイメージだったコスモバルクがG1を手にしたのは、国内ではなく海外のレース。2006年のシンガポール航空インターナショナルカップで、3番人気ながら勝利。結果的に、これが生涯唯一のG1勝利となります。
Cosmo Bulk won Singapore Airlines International Cup - YouTube
このあとは出走しても3着以内に入ることはなくなり、2009年に地方競馬のレースで1着1回、2着1回を記録したほかはすべて着外に終わりました。2009年12月の有馬記念を最後に日本国内での活動を諦め、アイルランドへ遠征することが決まりました。これは1年間の期限付き復帰という予定だったようですが、骨折のため断念することとなり引退しました。
コスモバルク最後の勝利は盛岡競馬場のOROカップでした。
第11回 岩手県知事杯OROカップ◆H21(2009/09/27) - YouTube
しかし、1年間休養したのち、改めてアイルランドでの現役復帰を目指して2011年2月からトレーニングを再開、6月には現地入りするなど、とても10歳馬とは思えないような精力的な働きを見せていましたが、8月12日の調教後に屈腱炎の発症が発覚。復帰を断念して、完全に引退することになりました。
今後はビッグレッドファームに移動して、功労馬として余生を過ごすことになるそうです。近年は3歳、あるいは4歳で引退してしまうような馬も多い中で、種牡馬にはなれないからという事情はあるにせよ、10歳まで走り続けたというのはものすごい頑張り。おそらくビッグレッドファームの見学で会うことができるようになると思われるので、ファンの人は会えるようになればぜひ北海道へ足を運んで下さい。
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