アート

まるで第二次世界大戦の亡霊、同じ場所の現在と過去の姿を合成した写真


第二次世界大戦中の写真と、同じ場所で最近撮影された写真を合成したロシア人の写真家Sergey Larenkov氏の作品を紹介します。

ベルリンやウィーン、モスクワやサンクトペテルブルクなどの現在の風景に過去の白黒写真がフェードインするかのように溶け込む姿は、白昼の街に第二次世界大戦の亡霊が現れたかのようです。


詳細は以下から。sergey_larenkov

2009年のベルリン・ティーガー公園に現れた、1945年のティーガー戦車


2009年と1945年の国会議事堂。1933年のドイツ国会議事堂放火事件で炎上し、1999年に修復されました。


議事堂の階段に立つゲオルギー・ジューコフ(ソ連のドイツ占領軍の最高司令官)。


現在はドイツの国旗が掲げられていますが、1945年の4月30日(ヒトラーが自殺した日)には赤軍兵士により勝利の旗が議事堂に掲げられました。


2010年のウィーン・ホーフブルク宮殿の前を歩く1945年のソビエト軍兵士たち。


ウィーン市街。


1941年と2009年のモスクワ、ツヴェルスカヤ通り(旧ゴーリキー通り)。


一説によれば100万人の民間人が死亡したとも言われるレニングラード包囲戦では、Larenkov氏の祖父母は4人とも市の防衛にあたったとのこと。以下の作品は、レニングラード解放(1944年1月18日)から65周年を記念して2009年にLarenkov氏が制作したシリーズです。


「第124戦車部隊」と題された作品。


ピョートル大帝の騎馬像「青銅の騎士」の前で記念撮影する観光客たち。レニングラード包囲戦中この像は木枠と砂袋で保護されていました。「青銅の騎士」が無事である限りは、サンクトペテルブルクは安泰であるという言い伝えがあったそうです。


こちらは、彫刻を保護するために埋めているのでしょうか。


ロシア国立図書館の前。


宮殿広場に設置された高射砲。


市民の疎開がほとんど進んでいないままドイツ軍の急進撃により陸路の補給が途絶したレニングラードでは、空襲で穀類などが消失したこともあり、1941年9月の包囲完成時には配給食糧の残量は穀類や肉類・家畜がおよそ1ヶ月分、砂糖は2ヶ月分と試算されていました。冬には飢餓地獄がおとずれ、死体から人肉を食べる悲惨な状況が常態化したとも言われています。食用にすることもできた種芋の標本などを含む植物種子コレクションを守りながら餓死した植物学者もいるそうです。


このほかにも以下のリンクからSergey Larenkov氏の作品を多数見ることができます。

Блокада Ленинграда

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
鉛筆スケッチで写真に妄想をはめ込んだ「Pencil Vs Camera」 - GIGAZINE

映画のワンシーンに名画をこっそり合成させた写真 - GIGAZINE

レコードジャケットをうまく使ったやってみたくなるトリック写真いろいろ - GIGAZINE

有名観光名所を安物の土産にすり替えてしまう写真 - GIGAZINE

アドルフ・ヒトラーを写した貴重な未公開カラー写真の数々 - GIGAZINE

カラーになってよみがえる第一次世界大戦の貴重な写真集 - GIGAZINE

イタリア人写真家が撮影した1880年代の日本の風景や風俗を伝える貴重な写真 - GIGAZINE

in アート, Posted by darkhorse_log

You can read the machine translated English article here.