取材

日本初の四輪駆動乗用車「くろがね四起」レストア前の車体をフォトレビュー


古い自動車を修復し、実際に走行できる状態にまで復元することをレストアと呼び、多くの愛好家によりさまざまな車両が時間と手間をかけて再び生命を吹き込まれています。1936年に製造が開始され、当時は世界でも極めて珍しかったという四輪駆動を搭載した乗用車の先駆け的存在である「くろがね四起」の車体が京都で発見され、歴史的・技術的に貴重な車体の完全レストアに向けて計画が開始されたということなので、まずはその修復前の状態を見てくることにしました。

70年の時を越えて、幻の国産車「くろがね四起」復元計画始動!(小林 雅彦) - READYFOR?
https://readyfor.jp/projects/kurogane4ki


Press Release.pdf (PDFファイル)
https://docs.google.com/file/d/0B3IGHdDHM61iTEJnWmV2MkNOd1JZNmo4M21kQzlQQkptRmtR/edit

◆「くろがね四起」とは
正式名称を「九五式小型乗用車」というくろがね四起は、1936年に製造が開始された小型軍用乗用車です。四起は現在でいう四輪駆動を意味する言葉で、アメリカの軍用車「ジープ」よりも6年早く実用化された四輪駆動の乗用車として当時の技術力を示す車両となっています。


車体に比べて大きなタイヤは、四輪駆動メカニズムと合わさって高い悪路走破性を備えていたといわれていますが、曲線と直線で構成された車体には、軍用車両とは思えない愛くるしさが感じられ、アニメ「ガールズ&パンツァー」の中では、風紀委員チームの広報車として登場したことがあるほか、プラスチックモデルの「タミヤ」からも各種モデルが販売されています。

1/48 日本陸軍 95式小型乗用車 (くろがね四起)
http://www.tamiya.com/japan/products/32558kurogane/


◆現在のくろがね四起
現在、静岡県内のガレージで保管されている「くろがね四起」の姿。


ボディ全体に浮かんだサビが、製造からおよそ70年という時間の流れを感じさせるようです。


左右に盛り上がる泥よけの形状が生まれた時代を物語っています。


「この部分、何かの形に似てると思いませんか?」とレストア計画を進める小林氏に尋ねられたボディ先端のグリル部分。その答えは剣道の時にかぶる「お面」の形というもの。この「くろがね四起」が日本の文化の中で設計されて生まれてきたことを如実に表している部分となっていました。


ボンネット開口部の近くに設けられた冷却用のスリット。空冷エンジンを搭載する「くろがね四起」にとって、冷却性能は非常に重要なものだったのでしょう。


左フェンダー上部に残されたヘッドライトの部品。かろうじて原型をとどめてはいるものの、このままの使用は難しそうです。向かって右側、ヘッドライトの後ろにある出っ張りは、前輪サスペンションが沈んだ時に飛び出すシャフトを収めるためのカバーです。


ドア周りも腐食が進んでしまっていました。こちらは車体左サイドのドア周りです。


特に、ドアパネル下部には湿気がたまりやすいせいか、ぼろぼろになっている部分も見受けられます。


このような部分は一度腐食した部分を切除した上で、レストア職人が新しい鉄板を元の形どおりに加工してつなぐことで、オリジナルと遜色ない状態に復元することになります。高い技術と状況に応じた作業となるため、レストア費用は「やってみなければわからない」という世界になっており、作業見積もり額は「あってないようなもの」だということ。


右サイドのドアは比較的コンディションは良さそうです。


現代の自動車とは大きく異なるものの一つが、この跳ね上げ式フロントガラスです。左サイドは一部腐食が進んでいますが、右サイドはほぼ原型どおりの形状を保っています。曲面ガラスはまだ実用化されていなかったためか、平面の板ガラスをはめ込むようになっているのも時代を感じます。


同じく時代を感じさせるのが、フロントガラスの左右に備え付けられたこの円筒状の装置。


運転席のハンドル近くにあるスイッチを操作すると……


本来なら、このように反射鏡をつけた跳ね上げ式のターンシグナル(ウィンカー)が電動で飛び出すようになっています。


わずかに残るオレンジ色がその名残を感じさせます。


座席スペースを取り囲むボディの上端部に沿って、木製のトリムが埋め込まれていることが確認できます。当時は自動車にも木製のパーツがよく使用されていたそうです。


ボディ後部も比較的良好なコンディション。丸い曲面につきだした円盤状の部品は、スペアタイヤを装着するためのマウントです。


この車体は、当時「くろがね」(日本内燃機)ブランドの代理店を経営されていた方が長らく倉庫の片隅で保管していたものを、不思議な人の縁でつながったことから小林氏が譲り受けたもの。その条件は「きちんと直し、走らせること」だというもので、小林氏は「元のオーナーさんが元気なうちにきちんと修復して、もう一度動く姿を見てもらいたい」と、その思いを語っています。

◆内装
外観部に比べると、内装部は腐食の進行がやや目立つ状態となっています。


カバーが外され、むき出しになったトランスミッションケースからプロペラシャフト周り。その左右をラダーフレームの骨格が取り囲むという、当時の自動車としての定石どおりの設計。


シートの骨格にも年月の波が押し寄せていました。


運転席と助手席の間に大きく張り出したトランスミッション。空冷でこれだけ車内に入り込んでいたとすると、カバーはあったとしても熱の影響がどれほどだったのかが気になるところです。


角度固定式の大径ハンドルは比較的良好なコンディションを保っています。現代の自動車とは比べものにならないほどシンプルなメーター周り。


後部座席はフレームむき出しの状態に。軍用車両として使用されていたころは、ここに将校などが座って移動したり、敵陣偵察などの目的に使用されていました。


戦時中は国外にも多く持ち出されていたということで、海外で保存されているくろがね四起の様子を収めた映像がYouTubeで公開されています。ムービーに収められているのは「後期型」と呼ばれるモデルで、今回取材した「前期型」とはかなり違った作りとなっています。

WWII Japanese Type 95 Kurogane 4X4 detil walk around video - YouTube


◆エンジン
現車を見て驚いたのが、エンジン周りの状態の良さでした。うっすらとサビや汚れは発生していますが、70年以上経っているとは思いにくい状態でした。


車体左サイドからの光景。空冷V型2気筒のエンジンは、1400ccの排気量から33馬力の出力を発生させていました。


なんと、当時のものと思われるベルトがそのまま残っていました。ところどころ亀裂が発生しているため、このまま使用するのは無理と思われますが、ゴムの部品が残っているとは驚きです。エンジン周りは、ボンネットによって風雨から守られること、そしてエンジンに入っているオイル類がしみ出すことで、保存に適した状況を作り出していた、と考えられるそうです。


そのベルトによって駆動されるのが、小型の冷却用ファン。予想どおりというべきか、あまり冷却性能は高くなかったようで、東南アジア方面で使用されていたころはオーバーヒートに悩まされ続けていたそうです。取材中、小林氏はシリンダーブロックに空いたプラグ用の穴から潤滑スプレーを噴射し、コンディションの保全に努めている姿が印象的でした。


狭角の45度V型2気筒ということで振動が多く発生しそうなレイアウトのエンジン、実際に作動する様子を見てみたいものです。小林氏によると「点火タイミングなどの調整をキッチリと行えば、かなり振動は少なくなるはず」とのことで、仕上がりに期待したいところです。Y字に伸びる水色のパイプは、オイルをエンジン上部へと供給するためのパイプラインで、このエンジンはオイルパンを持たないドライサンプ方式となっています。


バルブ駆動方式はOHVとなっており、シリンダーヘッド上部にはバルブを駆動するロッカーアームとバルブスプリングがむき出しになっていました。


V型エンジンから伸びる排気管は、フロントタイヤフェンダーを突き抜けて車体下部へ導かれ、車体後部へと伸びていきます。


◆サスペンションなど
「くろがね四起」のサスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リヤがリジッド方式となっています。可能な限り長く設定されたアーム長が印象的です。


本来ならば、前輪を駆動するためのドライブシャフトが装備されているはずですが、小林氏のもとにやってきた時点ですでに欠品していたとのこと。お手本になる現物が手元にないため、レストア時には困難が予想されますが、石川県小松市の日本自動車博物館(コマツミュージアム)などに所蔵されている後期型を参考にすることも検討されています。


前輪はコイルスプリングとショックアブソーバーによるサスペンション方式となっています。


スプリングはサスペンションアームの中心付近で結合されています。ステーの先端は2つに分かれた「U」字型の形状で、その間をドライブシャフトが貫通するように設計されています。


右前輪のショックアブソーバーは、腐食が進んだために折れてしまっていました。


一方のリヤは、左右を1つのケースでつなぐリジッドアクスル方式のサスペンション構造となっており、板バネを介してボディと接合されています。


リジッドケースにつながるプロペラシャフト。構造だけをみると、現代のトラックとほとんど変わらない設計となっています。


一部、古いタイヤが残っていました。70年前のものとは考えにくく、途中で交換したものだろうということですが、それでも貴重なものであることは間違いないと思われます。


◆当時を代表する車両たちと
小林氏のガレージには、1940年代前後に活躍した車両のいくつかが保管されており、レストアを待つくろがね四起以外は全て完動品の状態が保たれています。


隣に置かれた1941年生まれのアメリカ・ジープ。


こちらの車両もレストアされたもので、ボディの張りや塗装はかなりいい状態を保っています。


実用性の塊のような設計思想を目の当たりにすると、それぞれの国民性・文化の違いがものづくりにも如実に反映されているということが感じられます。


こちらはドイツで生産されたキューベルワーゲンをレストアした車両。車両の設計には、後にスポーツカーメーカーのポルシェ社を設立するフェルディナント・ポルシェ博士が携わっています。


アメリカとはまた違う、質実剛健な思想が感じられるボディの様子。直線基調で補強のリブが成形されたパネルに包まれた様子にどことなくドイツの国民性を垣間見る気がします。


そして、ドイツで製造された半装軌車であるケッテンクラートのレストア車両も保管されています。


小林氏は世界でも類をみないケッテンクラートの歴史や構造などを網羅した書籍「ケッテンクラート解体新書」を記したことでも知られています。


当時を代表する日・独・米による車両が並ぶ光景は、世界広しといえどもここだけといって間違いなさそうです。ジープ、キューベルワーゲンには誕生した年と同じナンバープレートが備え付けられており、くろがね四起にも「1936」というナンバープレートが付けられることになるのが楽しみです。


小林氏が代表を務めるNPO法人「防衛技術博物館を創る会」では、くろがね四起をレストアするための資金をクラウドファンディングサイトのREADYFOR?で出資募集中。出資の期限は5月29日(木)の23時までとなっているので、興味のある人はサイトを訪れてみてもいいかもしれません。

70年の時を越えて、幻の国産車「くろがね四起」復元計画始動!(小林 雅彦) - READYFOR?
https://readyfor.jp/projects/kurogane4ki

また、レストア前の状態を多くの人に見てもらうために現在の保管場所の近くに展示スペースを設け、4月頃をめどに一般公開を開始するという予定が進行中ということなので、実際に自分の目で見ることができる機会も生まれることになりそうです。

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in 取材,   乗り物,   ピックアップ, Posted by darkhorse_log

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