著名神経科学者でアメリカ国立老化研究所の部門長でもあるエリーザー・マスリアの論文に画像偽造の疑い、アルツハイマー病とパーキンソン病で世界中で引用されまくる論文に疑惑
アメリカ国立衛生研究所(NIH)の27の研究センターのひとつであるアメリカ国立老化研究所(NIA)で部門長を務め、神経科学分野の権威として知られる著名学者のエリーザー・マスリア氏の数百本にもおよぶ論文で、画像が偽造された可能性があると科学誌のScienceが指摘しています。
Did a top NIH official manipulate Alzheimer's and Parkinson’s studies for decades? | Science | AAAS
https://www.science.org/content/article/research-misconduct-finding-neuroscientist-eliezer-masliah-papers-under-suspicion
Fraud, So Much Fraud | Science | AAAS
https://www.science.org/content/blog-post/fraud-so-much-fraud
2016年、アメリカ議会がアルツハイマー病研究に大量の資金を投入することを決定し、NIAはベテランの脳研究者であるエリーザー・マスリア氏をこの取り組みの主要リーダーに任命しました。マスリア氏が指揮をとることとなったNIAの神経科学部門の2023年度の予算は、26億ドル(約3700億円)です。これはNIAの他の部門の予算合計を上回ります。
NIAのリチャード・ホーデス所長の主任顧問として、マスリア氏は国内外における神経疾患の研究および治療に多大な影響力を持つ人物です。マスリア氏はオンライン討論サイト・Alzforum上で、NIAでのアルツハイマー病研究プロジェクトのリーダーに就任したことについて「『アルツハイマー病研究の黄金時代』が到来しており、NIAがその研究成果を導くのを手伝いたい」と語っていました。
医者であり神経病理学者でもあるマスリア氏は、カリフォルニア大学サンディエゴ校で数十年にわたって研究を行ってきた、アルツハイマー病とパーキンソン病の研究における権威でもあります。同氏はこれまで約800本もの研究論文を発表しており、その多くが「アルツハイマー病やパーキンソン病がニューロン間の接合部であるシナプスにダメージを与える仕組み」に関するものだそうです。
マスリア氏が共同著者として記載されている論文の種類と引用数をまとめたのが以下の表。アルツハイマー病およびパーキンソン病の分野で同氏がいかに大きな影響力を持っているかがよくわかります。
・アルツハイマー病に関する論文
小分野 | 論文総数 | 世界ランキング | 引用数 | 世界ランキング |
---|---|---|---|---|
神経変性 | 43 | 2 | 6972 | 6 |
シナプトフィジン | 57 | 1 | 10610 | 1 |
シヌクレイン | 89 | 2 | 12467 | 4 |
アミロイド | 296 | 30 | 55273 | 9 |
シナプス | 92 | 1 | 18130 | 2 |
神経病理学 | 30 | 55 | 6170 | 10 |
マウスモデル | 139 | 6 | 21115 | 3 |
セレブロリジン | 22 | 2 | 576 | 2 |
・パーキンソン病に関する論文
小分野 | 論文総数 | 世界ランキング | 引用数 | 世界ランキング |
---|---|---|---|---|
神経変性 | 21 | 9 | 3561 | 23 |
シナプトフィジン | 6 | 1 | 1252 | 2 |
シヌクレイン | 220 | 1 | 31106 | 3 |
アミロイド | 26 | 3 | 3460 | 6 |
シナプス | 17 | 7 | 908 | 38 |
神経病理学 | 124 | 1 | 13635 | 1 |
マウスモデル | 139 | 6 | 21115 | 3 |
セレブロリジン | 22 | 2 | 576 | 2 |
上記の通り、マスリア氏は同分野において最も論文が引用されている科学者のひとりです。特に、アルツハイマー病およびパーキンソン病に関連するタンパク質の「アルファシヌクレイン」に関する研究は、基礎科学および臨床科学に影響を与え続けています。
しかし、過去2年間でマスリア氏の論文に疑惑が生じています。Scienceの調査により、カリフォルニア大学サンディエゴ校とNIAでのマスリア氏の研究の多くに明らかに偽造された「ウェスタンブロット」(タンパク質の存在を示すために使用される画像)や「脳組織の顕微鏡写真」が多数含まれており、マスリア氏の論文および引用先の論文で不適切に利用されているとScienceは指摘しています。
マスリア氏が2015年に発表したアルツハイマー病治療薬であるセレブロリジンに関する論文では、通常のマウスとタウタンパク質の変異型を過剰発現するよう改変されたマウスの脳組織画像が比較されました。論文では通常のマウス(Non-tg)と変異マウス(3RTau mut tg)の脳の損傷具合が比較されているのですが、若い通常のマウス(緑枠)と高齢の変異マウス(赤枠)の脳組織画像は不自然に似ており、大抵の部分が同一(黄色)であるとScienceは指摘。そのため、マスリア氏が画像をコピーして流用した可能性が指摘されています。
他にも、パーキンソン病の衰弱性身体的・認知的症状と関連していることが分かっている脳内でのアルファシヌクレインの蓄積に関する研究でも、偽造した画像が使われている可能性が指摘されました。疑惑が浮上している論文はマスリア氏とバイオテクノロジー企業・プロセナの創業者であるデール・シェンク氏が2005年に発表したもの。
この論文に掲載されている5つの画像は、結論に影響をおよぼすような方法で改ざんされた可能性があるとScienceは指摘しています。具体的には、2つの対照マウスの脳組織で見つかったタンパク質を示すウェスタンブロットにおいて、第1レーンと第6レーンが同一のものであるとScienceは指摘しました。第1レーンと第6レーンの見た目が異なるものであるように見せるため、マスリア氏は意図的に2つの画像の明るさを変更した可能性があると指摘されています。なお、同じ実験条件を用いても各レーンは異なる見た目になるはずです。
なお、この論文はプロセナが製造しているパーキンソン病の治療薬として期待される「抗アルファシヌクレイン抗体医薬」のベースとなっているものでもあります。
2022年にThe New England Journal of Medicineで公開されたプロセナの抗アルファシヌクレイン抗体医薬を調査した論文では、パーキンソン病患者316人を対象に抗アルファシヌクレイン抗体医薬がプラセボ群(無治療群)と比較して効果を示さなかったことが示されています。また、抗アルファシヌクレイン抗体医薬を注入された被験者は、プラセボ群よりも吐き気や頭痛などの副作用を経験するケースがはるかに多かったことも明らかになりました。なお、プロセナは記事作成時点でパーキンソン病患者586人を対象に、抗アルファシヌクレイン抗体医薬の試験を行っています。
Scienceがマスリア氏の疑惑を報じた後、神経科学者や法医学アナリストからなるグループが、1997年から2023年までに発表されたマスリア氏の研究論文132本を精査したレポートを公開しました。このレポートでは、最終的に「我々の意見では、この異常なデータパターンは研究における不正に対する確かな懸念を引き起こし、非常に多くの科学研究に疑問を投げかけるものです」と結論付けられています。
研究グループは自分たちがマスリア氏やその同僚を詐欺や不正行為で告発しているわけではないと強調しており、偽造画像と思われるものの一部は単にエラーにより発生したものである可能性があると指摘。画像が出版用に準備される際、「不適切な変更に似た無害な視覚的アーティファクトが発生することがある」と説明しました。
一方、Scienceと協力してマスリア氏の論文を精査した11人の神経科学者は、「不正行為の可能性のあるすべての例を個人的に検証したわけではないものの、疑わしい研究の大半は不注意などの人的エラーや出版における異常などで説明できるようなものではない」と指摘しています。
Scienceと協力してマスリア氏の論文を精査した11人の神経科学者のひとりであるピッツバーグ大学神経変性疾患研究所のティム・グリーンアマイア所長は、「これらの論文には長い期間と膨大な数の協力者や共著者がいたため、悪意のある博士研究員や協力科学者による『不正行為の可能性』はここには当てはまらないと思われます」「画像を偽造したのがマスリア氏自身なのか、それとも他の誰かが彼に代わって偽造したのかは不明ですが、彼がこの事実を知らなかったとは信じ難いです」と言及しました。
マスリア氏は自身に向けられた疑惑について、記事作成時点では沈黙を貫いています。しかし、NIHは2つの論文においてマスリア氏が「図の再利用と再ラベル付けを含む偽造および捏造」を行ったという不正行為の証拠を発見したという(PDFファイル)声明を発表しました。声明の中でNIHは「マスリア氏はNIAの神経科学部門のディレクターを務めていない」としていますが、その後の雇用状況については明らかにしていません。
マスリア氏およびNIAのホーデス所長は、NIHの広報担当者を通じて詳細な質問への回答、インタビューへの対応、書類に関するコメントを拒否していることをScienceは明かしています。なお、NIHのモニカ・ベルタニョーリ所長も一連の騒動に関するコメントを拒否しています。
NIHの2つの研究所を率い、2015年までAAAS(Scienceの発行元)の代表を務めたアラン・レシュナー氏によると、マスリア氏は部門長としてNIAの神経科学助成金に影響力を持つ人物であるとのこと。研究所は「研究セクション」が与えたスコアに基づいて助成金を選択するそうですが、所長や部門長はアルツハイマー病に関連する脳タンパク質であるアミロイドの研究など、スコアの高い競合プロジェクトよりも優先するプロジェクトに資金を提供することが可能だそうです。レシュナー氏は「ほとんどの場合、部門長は優先順位を決める判断力を持つ人物とみなされていることに疑いの余地はありません」と説明しました。
マスリア氏がNIAの神経科学部門の予算を適切に管理していなかった、あるいは疑わしいデータに裏打ちされた研究に予算を導いたという証拠はありません。しかし、NIHの声明だけでは依然として多くの重要な疑問が未解決のままであるとScienceは指摘しています。
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in サイエンス, Posted by logu_ii
You can read the machine translated English article Suspicion of image falsification in a pa….