サイエンス

これまでより高い衝突エネルギーが得られる「ミュー粒子衝突型加速器」が素粒子物理学に革命をもたらすかもしれない


物質を構成する最小単位である素粒子を研究する素粒子物理学では、粒子を加速させて対象に当てたり互いに衝突させたりする加速器による実験が重要ですが、次世代の加速器開発にはコストや期間の面で課題が存在します。そんな中、アメリカでは素粒子のひとつである「ミュー粒子」を高速で衝突させる「muon collider(ミュー粒子衝突型加速器)」の開発が検討されているとのことで、科学誌のScienceがミュー粒子衝突型加速器の開発における課題や展望についてまとめています。

A muon collider could revolutionize particle physics—if it can be built | Science | AAAS
https://www.science.org/content/article/muon-collider-could-revolutionize-particle-physics-if-it-can-be-built


素粒子物理学者らは数十年にわたり、加速器を使用して高エネルギーの粒子を衝突させ、結果として生じる現象や粒子を観測してきました。エネルギーと質量は等価であることから、粒子を高エネルギーで衝突させることにより、素粒子の3つの基本的な相互作用を記述する標準模型を検証したり、未知の素粒子や物理現象を探索したりできるというわけです。

記事作成時点で存在する加速器の中で最も強力なのが、欧州原子核研究機構(CERN)が建設した大型ハドロン衝突型加速器(LHC)です。LHCは陽子をビームとして正面衝突させる加速器であり、理論的に予言されていたヒッグス粒子の発見に貢献するなど大いに活躍しています。

さらに素粒子について理解するには、より高エネルギーで粒子を衝突させる必要があるため、CERNはさらに大型で強力な加速器の構築を計画しているとのこと。全長27kmの円形衝突型加速器であるLHCに対し、CERNは全長100kmに及ぶ「Future Circular Collider(FCC:未来円形衝突型加速器)」の建設プロジェクトを検討しています。

全長100km・総工費3兆円という世界最大の粒子加速器の建設プロジェクトをCERNが発表 - GIGAZINE


しかし、アップグレードしたFCC(FCC-hh)が稼働するのは2070~2080年になる可能性があるとのことで、記事作成時点で研究を行っている素粒子物理学者の多くはその頃に引退しているか、存命でないとみられています。そこで主にアメリカの素粒子物理学者らは、陽子や電子ではなく「ミュー粒子」という高エネルギーの素粒子を反ミュー粒子と衝突させるミュー粒子衝突型加速器の開発を推進しています。

2023年12月、アメリカ政府の科学諮問委員会であるParticle Physics Project Prioritization Panel(5P:素粒子物理学プロジェクト優先順位パネル)はアメリカにおける今後10年間の研究ロードマップを示し、その中でミュー粒子衝突型加速器の研究開発を呼びかけました。ミュー粒子衝突型加速器はアメリカのフェルミ国立加速器研究所のキャンパス内に収まるサイズになる可能性があり、もしヨーロッパに先駆けて建設することができれば、加速器の開発競争でアメリカが主導権を取り戻すことになります。

ミュー粒子衝突型加速器を開発することの利点には、機能的に同等の陽子衝突型加速器よりも小型かつ低コストで、FCC-hhよりも数十年早く完成する可能性があるという点が挙げられます。ミュー粒子は電子の207倍もの質量を持ち、加速中に放射するエネルギーがはるかに少ないため、円形加速器の半径がわずか10kmほどで済むとみられています。試算によると、FCC-hhの構築には500億ドル(約7兆6000億円)のコストがかかるとみられる一方、性能が匹敵するミュー粒子衝突型加速器の構築は180億ドル(約2兆7300億円)で実現できるとみられているとのこと。


また、複数の素粒子が結びついた陽子と異なりミュー粒子は素粒子のため、ミュー粒子衝突型加速器はヒッグス粒子が生成されやすく、素粒子物理学の研究において重要なヒッグス場の研究に利点があることも指摘されています。イタリア国立核物理学研究所の研究者であるドナテッラ・ルケージ氏は、「このチャンスを逃してはなりません。これは非常に重要です」と述べています。

テネシー大学の素粒子物理学者であるトヴァ・ホームズ氏は、FCC-hhが完成する頃には間違いなく素粒子物理学としては引退しているか死んでいるため、25年ほどで完成する可能性があるミュー粒子衝突型加速器に期待しているとのこと。「10年くらいは延びても構いません。私が死んでしまうよりはずっとマシです」とホームズ氏は述べました。


ミュー粒子衝突型加速器への期待が高まる一方で、本当にミュー粒子を加速させて衝突させる機構が実現できるのかどうかは不透明です。大きな課題のひとつが、「陽子や電子と違ってミュー粒子はほんの一瞬で崩壊してしまう」という点です。

ミュー粒子は放っておくと2.2マイクロ秒でニュートリノ反ニュートリノに崩壊してしまうため、ミュー粒子衝突型加速器は一瞬でミュー粒子の生成から加速、そして衝突までを実行しなくてはなりません。フェルミ研究所の素粒子物理学者であるセルゴ・ジンダリアーニ氏は、「課題を一言で表すなら、ミュー粒子は不安定だということです。そのため、加速のすべての段階が信じられないほど速くなければなりません」と述べました。

なお、記事作成時点ではミュー粒子衝突型加速器の開発プロジェクトが始まっているわけではなく、素粒子物理学者らは基礎的な研究開発の支援を求めている段階です。それにもかかわらず、特に若い研究者はミュー粒子衝突型加速器に魅了されているそうで、ルッケシ氏は「魅力的なものはエラーを改善するためだけに4回も5回も繰り返すものではなく、まったく新しいものなのです」とコメントしています。

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in サイエンス, Posted by log1h_ik

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