1900年のロンドンで魔術師アレイスター・クロウリーと後のノーベル賞詩人ウィリアム・バトラー・イェイツが衝突した「ブライスロードの戦い」とは?
1900年4月、共にイギリスで創設された魔術結社「黄金の夜明け団」のメンバーだったイギリスの魔術師アレイスター・クロウリーとアイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツが対立し、「ブライスロードの戦い」と呼ばれる事件が発生しました。「新約 とある魔術の禁書目録」をはじめとするさまざまなフィクション作品にもモチーフとして採用されている「ブライスロードの戦い」について、文化系ウェブメディアのOpen Cultureが解説しています。
Aleister Crowley & William Butler Yeats Get into an Occult Battle, Pitting White Magic Against Black Magic (1900) | Open Culture
https://www.openculture.com/2016/10/aleister-crowley-william-butler-yeats-get-into-an-occult-battle.html
クロウリーは1875年にイギリスの裕福な家庭に生まれ、1895年にケンブリッジ大学へ入学してからは登山や詩作に熱中しました。その一方でオカルティズムに傾倒し、「汝の意志することを行え」という規則や法に基づいたセレマ思想を唱えて魔術や儀式を実践したほか、「法の書」をはじめとする魔術関連の著作を多数発表。各国で退去処分を受けながらも伝道を行い、後のさまざまなカルチャーに大きな影響を残しました。
by ウィキメディア・コモンズ
一方のイェイツは1865年にアイルランドで生まれ、1887年に発表した第1詩集「アシーンの放浪(The Wanderings of Oisin and Other Poems)」がロンドンの文芸界で注目を集め、詩人としての活動を始めた人物です。イェイツはアイルランドの伝説やオカルティズムに強い関心を持っており、「アイルランド文芸協会」や「アイルランド文芸劇場」を設立するなどアイルランドの文化に強い影響を与えたほか、日本の能の影響を受けた戯曲「鷹の井戸」なども作っています。1922年には独立間もないアイルランド自由国の上院議員に任命され、1923年にはノーベル文学賞を受賞しました。
by ウィキメディア・コモンズ
まったく異なる生涯を歩んだ2人でしたが、クロウリーと同様にイェイツもオカルティズムに強い関心を持っており、同時期に「黄金の夜明け団」というイギリスの西洋魔術結社のメンバーだったという共通点があります。1887年に設立された黄金の夜明け団は英国薔薇十字協会の流れをくむ魔術結社であり、ロンドンにイシス=ウラニア・テンプルという運営施設を置いたほか、フランスやアメリカにも支部組織を置いていました。
黄金の夜明け団には当時の著名な学者や小説家などが在籍しており、その中にはイェイツが恋をしていた女優で革命家のモード・ゴンや、イェイツ自身も含まれていました。クロウリーは1898年に黄金の夜明け団に加入してさまざまな魔術的知識を習得しましたが、その中で団員らから不評を買っていたとのこと。
クロウリーに対しては、より古参の団員であり団内の高位階級・アデプトであったイェイツも懸念を示していたそうです。クロウリーとイェイツはいずれも魔法や神秘的なものへの探求に熱意を持っていたものの、クロウリーのオカルティズムはイェイツより暗く偏執的なものであり、イェイツの詩人としての成功などに嫉妬していたともいわれています。
1899年に、団内で懸念の種となっていたクロウリーはアデプトへの昇格を拒否されてしまいました。イェイツの伝記を著した文芸評論家のリチャード・エルマンは、「クロウリーがオカルトの力を善のためではなく悪のために使う傾向を見せた時、イェイツを含む教団の信徒たちは彼をアデプトにしないことに決めました。クロウリーが神秘を冒瀆(ぼうとく)し、人類に対して強力な魔法を放つことを恐れたのです」と述べています。
しかしクロウリーはこの決定に反発し、パリに拠点を移していた黄金の夜明け団のリーダーであるマグレガー・メイザースを頼りました。メイザースは1900年1月にパリの支部組織でクロウリーをアデプトに昇格させましたが、これに端を発して団内の分裂が発生し、3月にはメイザースが追放されることがロンドンの会議で決定されました。
そして同年4月、メイザースはクロウリーをロンドンのイシス=ウラニア・テンプルに送り込み、保管庫にある重要文書や儀式道具を持ち出させるという作戦に出ました。これをイェイツらが迎え撃ったのが、「ブライスロードの戦い」と呼ばれる事件です。
エルマンはブライスロードの戦いについて、「ハイランダーのタータンをまとって胸に黒い十字架を着けたクロウリーが、ロンドンの黄金の夜明け団のテンプルに到着しました。五芒星(ごぼうせい)のサインを逆さにし、アデプトたちに向かって叫び声を上げながらクロウリーは階段を上っていきました。しかし、イェイツと他2人の白魔術師は聖なる場所を守るために、断固としてクロウリーの前に立ちふさがったのです。クロウリーが射程圏内に入ると、善の力が彼を階段の下に蹴落としました」と記しています。また、イェイツは悪魔払いの儀式によってクロウリーを食い止めようとし、ある呪文によってクロウリーは一晩中吸血鬼に血を吸われることになったとのこと。
このエルマンの説明はかなり奇妙でユーモラスなものですが、一説によるとイェイツらはクロウリーが建物に押し入った時点で警察を呼び、最後は法廷でイェイツらが勝利を収めたそうです。
黄金の夜明け団におけるクロウリーへの反発は彼の性格にあったものの、クロウリーは詩人として成功したイェイツへの敵対心を持っていたともいわれています。クロウリーの伝記作家であるローレンス・スーチンは、「若き日のクロウリーの真剣さは、彼の詩の技術的な問題や過剰な修辞を補うことができませんでした」と述べています。その一方で、イェイツもクロウリーの魔術に対する不安感を抱えており、後年の「The Second Coming(再臨)」という詩にクロウリーを連想させる部分があるとOpen Cultureは指摘しています。
Open Cultureは2人の対立について、クロウリーの魔術が反キリスト的で個人的なものであったのに対し、イェイツは社会的・政治的・美的に統合された活動の一環として魔術を実戦しようと試みていたと述べました。
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