歴史から学べる「戦争で弱者が強者に勝つための方法論」とは?
ウクライナとロシアの戦争においては、ウクライナ側の戦力が劣っていると言われています。歴史を見渡してみると、そんな戦力に差がある戦争において弱者側が勝つ例がいくつも見つかりますが、その弱者側が勝つ時の成功パターンはどんなものなのかについて、ノースカロライナ州立大学の歴史学部で教えているブレット・デヴェローさんが解説しています。
Collections: How the Weak Can Win – A Primer on Protracted War – A Collection of Unmitigated Pedantry
https://acoup.blog/2022/03/03/collections-how-the-weak-can-win-a-primer-on-protracted-war/
・目次
◆1:国共内戦の場合
◆2:ベトナム戦争の場合
◆3:アフガニスタン紛争の場合
◆4:ロシアのウクライナ侵攻はどうなるのか?
◆1:国共内戦の場合
デヴェローさんはまず中国共産党を例にあげています。1927年に共産党の軍隊として紅軍が組織され、1930年代初頭に中国南東部の江西省に権力の基盤を築きました。しかし、1934年に蒋介石率いる国民党軍によって撤退を余儀なくされ、1万2500km以上を徒歩で移動する「長征」を経て1936年に陝西省に拠点を移動します。
By Rowanwindwhistler
蒋介石の国民党軍の方が強いことは明らかで、さらに悪いことに、1937年には日中戦争が始まり、日本軍が国民党軍を打ち負かして行きます。したがって、毛沢東の共産党が中国を獲得するためには自分たちよりも強い軍隊2つを倒す必要がありました。そして、共産党には戦争に必要な武器だけでなく、武器を生産する産業能力もありませんでした。
従って、敵軍を打ち倒し、領土を占領し、敵が新しい軍隊を育成できないようにするという「速決戦」の勝利方法を紅軍は選択することができませんでした。毛沢東は「(PDF)持久戦論」の中で、勝利への道はできるだけ戦争を長期化させる持久戦にあると述べ、そのためには戦争を下記の3つの方法をフェーズごとに使い分けて進める必要があると述べています。
1:陣地戦
陣地戦は伝統的な戦争方法で、領土を占領し続けようとするもので、紅軍の通常部隊が陣地戦を行います。
2:運動戦
運動戦は、前進する敵部隊の側面に対して素早く攻撃して退却するというもの。運動戦も紅軍の通常部隊が行います。
3:ゲリラ戦
ゲリラ戦は、敵軍の支配領域内で非正規軍によって妨害工作や暗殺、襲撃などを行うものです。
第一フェーズでは、敵の戦略的攻撃に対して陣地戦を行うとただ敗北するだけに終わるため、代わりに紅軍は退却しつつ運動戦を行います。そうすることで、土地を失う代わりに敵を弱体化させる時間を得ることが可能です。そして、敵が長い距離を移動して補給線が伸び、弱体化した後にのみ、山岳基地など地形が有利な場所で陣地戦を行うとのこと。敵の前進に合わせて敵の占領地域にゲリラ部隊を置き去りにするのも大切です。
撤退を続けると、敵は摩擦のために息切れを起こして侵攻を停止します。敵軍の進軍中に運動戦を仕掛けるのはこの息切れを早めさせるためとのこと。ここからの第二フェーズでは、敵が新たに多くの領土を占領して保持しようとする場合、軍隊が薄く伸びるので、ゲリラ攻撃によって敵が後部地域を確保するのを防ぎつつ敵の弱体化を続け、さらに紅軍の存在を示すことで住民の支援を維持することが大切です。さらに敵軍から軍事物資を盗み出し、占領地域から有能な新兵を獲得する狙いも存在しています。
第三フェーズにおいては、ゲリラ攻撃によって敵を弱体化させて盗品や新兵によって紅軍を強化した後、再び陣地戦を行って失われた領土を奪還していきます。
この一連の流れの中で、毛沢東は政治活動の重要性を強調しています。ゲリラが成功するためには、理由は何であれ、人々がゲリラについて報告しないことが大切です。第一フェーズで紅軍が退却する際に、退却する地域で政治的に準備を行う必要があり、退却後はゲリラが政治活動を行う必要があります。ゲリラの政治活動は、ゲリラの存在を秘匿することに役立つほか、紅軍の撤退が一時的なものであり、最終的な勝利への道があるという希望を与える点でも大切です。
全体を通して、「火力」で対決する戦争ではなく、「意志」に焦点を当てることで勝機を見いだしたと言えます。第二フェーズにおいてじわじわと敵の死傷者や小さな敗北を増やすことで、敵の意志を低下させ、第三フェーズでの勝利につながるというわけです。
戦争を長引かせることは、人々に多くの苦しみを与える可能性がある点を毛沢東はオープンにしています。特にゲリラ軍での死傷者は多く、さらにゲリラ活動によって占領者が抑圧的な政策を行う可能性が高くなります。毛沢東はこうした被害についてはあまり関心がありませんでしたが、持久戦が多くの巻き添え被害を生み出す戦略である点には注意が必要です。
毛沢東はこうした戦略を考案しましたが、実際の歴史においては、日中戦争の大部分は蒋介石率いる国民党軍と日本軍の陣地戦で推移し、アメリカ軍による爆撃と潜水艦の脅威によって日本軍の力が弱まった最終局面においても日本軍が強い立場のままであり、最終的に中国ではなくアメリカが日本軍を敗北に追いやりました。しかし、日中戦争を通して国民党軍は致命的に弱体化しており、ソビエト連邦の支援を受けた毛沢東は即座に第三フェーズに移行し、理論の多くをスキップして勝利しました。
◆2:ベトナム戦争の場合
デヴェローさんのブログでは、別のケースとしてベトナム戦争について記載されています。ベトナム戦争はアメリカが支援する南ベトナム軍とヴォー・グエン・ザップ率いる北ベトナム軍が対決し、南ベトナムが北に向かって進軍する形で進みました。
By SnowFire
ベトナム戦争のケースでは、毛沢東の持久戦論をそのまま適用することはできません。毛沢東は時間が進めば国民党軍に勝てると見込んでいましたが、アメリカ軍の戦闘力と北ベトナム軍の戦闘力には大きな差があり、勝てる見込みはありませんでした。さらに、撤退して時間を稼ごうにも、ベトナムは中国の4%程度しか国土がなく、ほとんど土地が海岸線から300km以内になっており、毛沢東のように敵軍が到達できない場所に陣取るようなことは不可能でした。
したがって、理論の調整が必要にはなるものの、理論の基本的な部分である「戦争をできるだけ長引かせ、火力ではなく意志に焦点を当て、ゆっくりと段階的に進める」というところは変わりません。その上で、ザップは政治活動をさらに重視し、戦略の一部として軍事作戦と融合させました。ザップの政治活動は大きく分けて3つの相手に行われました。
1:自国民
自国民に対する政治活動はプロパガンダで、戦争をサポートする大衆の意志を強化するとともに新兵を集める目的がありました。
2:敵国民
南ベトナムの占領地域に暮らすまだ戦闘に参加していないベトナム人に対しては、共産党へ改宗を進めたり、対立を生み出すためのプロパガンダや暴力行為を働いたりしました。
3:敵軍
敵軍に対してはテロ行為によって士気を下げるとともに、ベトナム人が敵を支援するのをやめさせようとしました。
ザップの戦略において政治活動が非常に重要だった理由の一つは、ゲリラ軍の死傷者の比率が非常に悪いことをザップが知っていたためだと述べられています。装備の面で非常に劣っていたため、兵士の損失を補うためには大規模な徴兵が必要不可欠でした。
北ベトナム軍には退却するための地域が無かったので、最初のフェーズは敵に占領された地域でのゲリラ活動および政治活動に依存していました。1957年から1960年までのゲリラ活動を図に表すと下図の通りで、赤い点が反乱軍を表し、炎のマークがテロ行為を表しています。
By Don-kun, NordNordWest
北ベトナム軍はこうした持久戦論に基づいた戦略を実行していましたが、中国共産党では毛沢東が独占的にリーダーシップを発揮していたのに対し、北ベトナムにおいてはレ・ズアンなど複数の人物が戦略を立案していました。レ・ズアンはより一般的な戦略を提唱し、1964年12月のビンジャンの戦いおよび1965年6月のドンソアイの戦いにおいて通常の戦闘を行い勝利しました。しかし、この戦いによってアメリカが全面的に戦争に介入することになったとのこと。
レ・ズアンは1968年のテト攻勢で同じ戦略を使用し、北ベトナム軍を敵の戦火にさらして敗北を喫しました。テト攻勢では一時的に有利を築くことでアメリカの世論を反戦的なものにすることは成功したものの、この戦いに敗北した北ベトナム軍は前のゲリラ戦フェーズに戻ることを余儀なくされます。
ザップのフレームワークでは、第三フェーズへの移行の失敗に応じて第二フェーズや第一フェーズに戻るというように、柔軟にフェーズを変更することで失敗から回復することができます。しかし、もちろんこの持久戦の戦略が必ず勝利に結びつくわけではなく、チェ・ゲバラが失敗したように、反政府勢力に直面している政府はゲリラのテロ行為に基づいて武力行使を正当化することが可能です。
◆3:アフガニスタン紛争の場合
別の成功ケースを見てみると、タリバンはアフガニスタンとパキスタンの国境にあるヒンドゥークシュ山脈に基地を置き、ザップに似たプロパガンダを展開し、テロ行為と暗殺によって人々に支援を要求しました。タリバンやISISがプロパガンダにSNSなど現代のメディアを利用したことは理論の大きな技術的適応と言えます。下図は2021年8月時点の勢力図で、アフガニスタン政府の支配領域が赤色、タリバンの支配領域が白色で塗り分けられています。
By Ali Zifan
タリバンも北ベトナム軍と同様に、アメリカ本土を攻撃することは不可能だったので、アメリカの「意志」が攻撃対象になりました。タリバンは、非常に多くの犠牲者を出すことをいとわずにこの戦争を長引く持久戦にすることを受け入れ、アメリカ軍が去った後に第三フェーズを開始し、弱体化済みのアフガニスタン政府から領土を奪っていきました。
これらすべての例で見受けられるのは、外部からのサポートが重要だと言うことです。特に武器と安全な基地の提供を受けることは、持久戦を成功させるのに極めて重要な役割を果たしています。毛沢東が書いたように、敵から装備を奪うことは可能ですが、しかし装備を提供できる外国のスポンサーを持つことはさらに効果的です。
上記の例を元に、デヴェローさんは持久戦の戦略に共通する基本的な特徴をまとめています。まず、速決戦に勝てる場合は速決戦を行うべきです。持久戦は非常に損害が大きくなるため、速決戦で勝てるならそれを利用するに越したことはありません。持久戦は弱者の戦略です。
持久戦の目標は戦争の重心を軍事力から「意志」へと移動することにあります。戦争が長引くほど、敵の意志を低下させ、友好的な人を増やすための機会がより多く提供されます。
また、弱者は最初から直接的に勝利を目指すことが不可能なため、戦争がいくつかのフェーズに分かれて段階的に進行します。最初のフェーズでは、強者が速決戦を試みてくることを前提に、弱者側は土地を明け渡すことで時間を稼いだり、人々の協力を得たりすることで敵の優れた火力を避ける必要があります。このフェーズの目標は戦争を長引かせるために攻撃者の進軍を阻止することです。
第一フェーズが成功すると、戦線が動かなくなるため、弱者が敵の意志を低下させ続ける時間が生み出されます。この期間に新兵を募集したり外部に頼ったりすることで自軍の戦闘力を高めていきます。敵の意志が十分に低下し、外国のパートナーが撤退するようになると、もともとは弱かった側が従来の陣地戦を行い、勝利を手にすることが可能です。
◆4:ロシアのウクライナ侵攻はどうなるのか?
さまざまな種類の持久戦に共通するパターンは上記の通り、「長引くこと」「意志への焦点」「軍事的努力と並んで政治的努力が大切」「段階的に進行」とのこと。デヴェローさんは、持久戦についての記事を書いた理由として、ウクライナが勝利するための手段を把握する方法か、少なくともロシア軍の目的達成を妨害する方法に持久戦の方法論が関連しているからだと述べています。ウクライナは持久戦が成功を収めた状況と似た状況に置かれています。
したがって、デヴェローさんの考えによると、ウクライナが勝利するためには戦争をできるだけ長引かせる必要があり、ロシアよりもより勝利への意欲が強くなくてはいけません。ロシアはウラジミール・プーチン、プーチンの主要な支持者、最前線の兵士から成り立っており、いずれかの意志を破ることができれば敵対行為を終わらせることができる可能性があります。今回の戦争において、ウクライナは「意志」に焦点を当て、ウクライナ側の意志を高めつつロシア側の意志を低下させる必要があります。
ウクライナの状況は持久戦の3例とは異なる点も存在しています。ウクライナは国家なので、近代的に工業化された戦力を生産可能です。国際状況も異なれば、地形も異なります。ウクライナはほとんどが平地で開けた土地で、一つの大きな川といくつかの小さな川で区切られています。地形的な障害がほとんどないため、ロシア軍の進軍を長い間止めることはできず、毛沢東のように敵軍が到達できない場所に退却することは不可能です。
しかし、この戦争には持久戦モデルの多くが当てはまります。ロシアが進軍する第一段階では、決定的な戦いを行わず、戦力を保持したままロシア軍を疲弊させることが目標です。ウクライナの攻撃はロシア軍の補給線をターゲットにしているようで、確認できたロシア軍の車両損失の大部分は貨物トラックとのこと。ドローン攻撃の映像のほとんども後方部隊だったり戦闘ゾーンに移動中だったりする部隊をターゲットにしており、毛沢東の「運動戦」の現代的な応用とみることができます。
都市部で包囲戦を行うことは、ウクライナがまだ国の大部分を保持している間に第二フェーズに移行する可能性を提供しています。戦闘が主要都市の包囲戦に移った場合、戦線が停滞する可能性があり、ロシア軍が都市を占領するまでにはシリアとイラクの紛争のように数か月から数年かかる場合も考えられるとのこと。
ウクライナの戦争が都市包囲戦やロシアの占領地域の反乱に移行した場合、民間人死傷者が増加するだけでなく、都市や地域がより大きな損害を被ることになります。戦争は期間の増加に応じて破壊が進行し、民間人はゲリラの隠れみのになるため抑圧の対象になっていきます。ロシア軍は都市の包囲戦に対しては無差別砲撃で対応し、反乱には抑圧と暴力で対応してきました。デヴェローさんは損害の大きい持久戦に移行しないことを願っていると書きつつも、ウクライナの勝利につながる唯一の方法である可能性があると述べています。
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