「培養したウイルスを自分のがん腫瘍に注入する」という型破りな自己実験を行った結果とは?

がんは世界中のさまざまな人を苦しめている深刻な病気であり、多くの科学者らが新たな治療法の開発に取り組んでいます。科学系YouTubeチャンネルのKurzgesagtが、「培養したウイルスを自分自身のがんに注入する」という型破りな自己実験を行った科学者の事例を紹介しました。
This Woman Cured Her Cancer with an Insane Method - YouTube

クロアチアのウイルス科学者であるベアタ・ハラシー氏は乳がんと診断され、2016年に腫瘍切除手術を受けた後に過酷な化学療法を4サイクル受けました。

化学療法は効果を発揮し、体内のがん細胞は急速に消え去ったものの、その副作用は過酷なものだったとのこと。

また、化学療法をもってしてもすべてのがん細胞を殺すことはできず、2018年にはがんが再発。腫瘍切除手術を受けたものの再び大きな腫瘍ができて、がんはステージIIIまで進行してしまったそうです。

そこでハラシー氏は、自分や同僚たちの専門知識とリソースを活用し、「研究室で培養したウイルスを自分のがん腫瘍に注入する」という自己実験を行うことにしました。

一見すると「がん腫瘍にウイルスを注入する」という方法は奇妙に思えますが、20世紀初頭の時点で「インフルエンザや麻しんなどのウイルス感染症にがん患者が感染すると、がん腫瘍が縮小する」という事実が知られていました。

ウイルス感染によりがん腫瘍が縮小するという現象は、がんとウイルスの仕組みを理解するとよくわかります。まず、通常の細胞がウイルスに感染すると、細胞は自らの動きを遅らせてウイルスが増殖するのを妨げます。また、免疫系を呼び出してウイルスごと自身を壊すように指示します。時には細胞自らに備わった「自爆ボタン」を起動して、ウイルスを道連れに死ぬこともあります。

しかしがん細胞は、がん化の原因となっている異常のためにこれらの防御機構を一切利用できません。がん細胞は増殖のスピードを遅らせることができず、自分自身が免疫系の標的になるため、免疫系を呼び出すこともしません。

つまり、ウイルスはがん細胞にとって恐ろしい敵であり、がん細胞はウイルスによって簡単に死滅させられてしまうというわけです。

さらに、ウイルスががん細胞を殺すとそれに伴ってウイルスや腫瘍の断片や粒子が放出され、これらが免疫系を引き寄せます。これにより、免疫系がその他のがん細胞を殺す現象も引き起こされるとのこと。

近年ではがんのウイルス療法は活発な研究分野となっており、がん治療に向けた希望となっています。しかし、うまくがん細胞を殺すにはウイルス・がん・免疫系という3つの存在をうまく殺し合うように仕向け、それでいて患者が無事に済むように調整する必要があります。

患者によってがんの症状はさまざまであり、個々の患者に効果を発揮するウイルス療法を見つけるのも困難です。

これに対し、一般的にがん患者に対して行われる化学療法は非常に効果が高く、高い生存率が得られる治療法だといえます。Kurzgesagtも、がんの標準治療が化学療法であることに異論はないとしています。

とはいえ、化学療法にはさまざまな副作用があり、そのひとつが「免疫系を著しく弱体化させる場合がある」というものです。

ウイルスを用いたがん治療では免疫系が重要な役割を占めているため、免疫系が弱体化しているとうまくいかない可能性があります。そこでハラシー氏はリスクを承知で化学療法を一時的にストップし、免疫系を万全の状態に整えて自己実験に臨みました。

通常、実験室でウイルスを培養する際は細胞が入った容器にウイルスを注入し、増殖した後に混合物を精製します。この際、細胞の残骸や老廃物も混ざってしまいます。

ほとんどの実験にはこうして精製されたウイルスで十分ですが、臨床試験などで人体への使用が許可される純度ではありません。今回ハラシー氏は、通常の精製度でもリスクは許容範囲内だと判断して自分に投与することを決めました。

今回の実験において重要な要素のひとつが、「どのウイルスを用いるのか?」という点です。

がん腫瘍を撃退できてもウイルス感染症によって死んでは意味がありません。そのためハラシー氏は、がんが発生した種類の細胞を特異的に攻撃しつつ、深刻な症状を引き起こすことはなく、人を対象にした臨床試験済みのウイルスを探しました。そして最終的に、ワクチンにも使われている弱毒化した麻しんウイルスが選ばれました。

こうしてハラシー氏らのチームは約60万個の麻しんウイルスが入った注射液を製造。数週間にわたって数日おきに注射を受け、経過を観察することにしました。

注射針はがん腫瘍に直接注射され、麻しんウイルスが大量に入った液体を注入しました。

最初の注射の後、ウイルスたちは増殖にとって最適な環境であるがん細胞を発見し、一気にがん腫瘍内で感染を広げました。

死亡したがん細胞からは死んだ細胞の破片や無数の新生ウイルスが放出され、がん腫瘍の防御壁を越えて健康な組織に漏れ出し、免疫細胞を活性化させました。

免疫系はがん細胞の存在を検知し、大量の免疫細胞をがん腫瘍に送り込んでがん細胞やウイルスとの戦いを始めました。この影響で、2回目の注射後にはハラシー氏の腫瘍が約2倍の大きさに膨れ上がったとのこと。

免疫細胞によるウイルスとがん細胞の破壊が進み、さらに2回の注射後にはハラシー氏の腫瘍は縮小していきました。

ところが、合計で約8000万個のウイルスが注入された頃、ハラシー氏の体は麻しんに対する完全な免疫を獲得してしまいました。がん細胞が消え去る前にウイルスが根絶されてしまうと、その後の治療を完了することができません。

そこでハラシー氏らは麻しんウイルスに代わり、狂犬病ウイルスの比較的無害な近縁種である水疱性口内炎ウイルス(VSV)の注射を開始しました。

最初のVSVワクチンの投与から1日以内に、ハラシー氏は発熱や悪寒を伴う体調不良を経験しました。

しかし、驚くべきことに実験期間中にハラシー氏が経験した副作用はこれだけでした。

ウイルスの種類が変わったことで、ウイルスはがん腫瘍への攻撃を継続しました。

麻しんウイルスとVSVウイルスを用いた治療を約2カ月続けると、がん腫瘍は約63%も小さくなって柔らかくなり、密度も低下しました。特に重要だったのは、がん腫瘍が筋肉や皮膚組織への浸潤を完全に停止した点です。

ハラシー氏のがん腫瘍を切除して調べたところ、その約半分は免疫細胞であり、依然としてがん細胞を激しく攻撃していることが確認されました。

こうしてハラシー氏は自己実験によってがんを克服。残存したがん細胞による再発を防ぐため、医師による追加の抗がん剤治療が1年間行われました。

Kurzgesagtの動画作成時点では自己実験から6年が経過していますが、ハラシー氏のがんは再発していないとのことです。

ハラシー氏の「ウイルスをがん腫瘍に注射する自己実験でがんを克服した」という報告には多くの称賛があった一方で、医療倫理学者からは批判も寄せられました。批判の主な理由は、ハラシー氏が用いたウイルスや手法が人間に対して承認されていなかったためです。

現代の医学界では、臨床試験を迅速から安価にしないことで安全性を担保し、一般の患者に及ぶ害を可能な限り減らす方針となっています。これは安全性を高める一方で、場合によっては新しい治療法の開発が阻害されてしまう可能性もあります。

多くの新しいがん治療法は、従来の治療法を使い果たしてがんが進行した患者に対して行われます。そのため、新しい治療法の被験者の多くは末期がんを患っており、すでに体力や免疫システムが弱った状態のことが多いとのこと。

ハラシー氏の自己実験は危険も伴っていましたが、新たながんの治療法につながる道を切り開くものでもありました。

記事作成時点では、ウイルスを初期段階のがんの治療法として用いるための研究が10件以上進行しているとのこと。Kurzgesagtは、「これは私たちにとって非常に素晴らしいニュースです」と述べました。

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