シムシティの登場により、人々のシミュレーションゲームに対する認識は大きく変化しました。1989年に登場したシムシティの成功は予想外のことで、発売から2年間で500万ドル(約5億4000万円)以上の売上があり、販売元のマクシスの会社の規模は約3倍にまで膨れ上がることに。しかし、当時のマクシスの従業員はわずか32人しかおらず、共同創業者のジェフ・ブラウンCEOがマネージャー兼財務スタッフの役割を1人で担っている状況でした。
また、シムシティが人々の都市計画に対する考え方に与えた影響の大きさはすさまじく、1990年にアメリカのロードアイランド州プロビデンスで行われた民主党予備選挙では、地元メディアが市長候補に「シムシティをプレイさせて、当選後の都市計画をチェックする」という試みが行われました。市長候補の1人はシムシティ上で不注意なミスを犯してしまい、それが選挙結果にまで影響したといわれるほどでした。そのため、「シムシティは現実のシミュレーターとして十分に機能していた」とThe Obscuritoryは記しています。
ライト氏はシムシティを「現実世界の一部を理解するためのメンタルモデルを構築する手助けとなるツール」と考えていたため、現実世界のシミュレーターとして受け入れられたことはライト氏の思惑通りだったそうです。マクシスはシムシティの成功を受けて、アリの生態系をシミュレーションするゲーム「シムアント」を開発。マクシスがシムシティやシムアントのようなシミュレーションゲームを開発したのは、都市計画やアリの生態系について詳細に教えるためではなく、シミュレーションを通してさまざまなシステムがどのように相互作用しているかを理解してもらうためでした。
しかし、多くの人々はそのニュアンスを理解しておらず、「マクシスは現実世界を正確にシミュレートできるシミュレーターを構築できる」と受け取ってしまいました。そのため、マクシスやライト氏は多くの人々から「シムシティのプロ版は開発しない?」と言われる羽目になりました。ライト氏はWIREDのインタビューで、「シムシティを発売してから最初の数カ月で、我々は多くの企業から『シムシティはスゴいですね!都市でこのようなシミュレーションを実現できたなら、我々はシムピザハットや何かしらのシミュレーターを製作してほしいです』とアプローチされました。我々はそのようなシミュレーションゲームはおかしいと考えたため、申し出を拒否しましたが、今もそのような申し出を受け続けています」と語っています。
さらに、ライト氏は「ある時点で申し出が多くなりすぎたため、そのアイデアを実際に試してみることにしました」と語り、当初は拒否し続けていた企業向けのシミュレーションゲームを開発することに着手したことを明かしています。
マクシスは企業向けにシミュレーションゲームを開発するために、出資を受けてDelta Logicという企業を買収。マクシスはこのDelta Logicを同社の新しい部門であるビジネスシミュレーション部門とし、Delta Logicのジョン・ハイルズ氏がヴァイスプレジデント兼ゼネラルマネージャーに就任しました。
by yoko
ハイルズ氏が率いるマクシスのビジネスシミュレーション部門が最初に開発したのは、石油精製工場をシミュレーションする「SimRefinery」でした。SimRefineryは石油関連企業のシェブロンが「従業員に複雑な工場内の業務を教えるため」に、マクシスに製作を頼んだシミュレーションゲームです。ただし、シェブロンは石油精製工場の業務を正確に従業員に伝えるためにSimRefineryの製作を依頼したわけではなく、工場内の作業工程がどのように機能・連動しているのかを示すために計画されたものだったそう。
石油精製工場のオペレーターは1つの工場や1つの作業に集中しがちな傾向があり、その結果工場内や他の系列工場にどのような影響が出るかにまで、考えが及んでいない人が多かったそうです。シェブロンはシムシティのようなシミュレーションゲームを用いることで、オペレーターに工場がどのように連動して動いているかを理解してもらうことを目標に、マクシスに石油精製工場のシミュレーションゲームの製作を依頼しました。
シェブロンは石油精製工場シミュレーションゲームのプロトタイプ開発に、マクシスに7万5000ドル(約800万円)を支払いました。なお、詳細に言えば石油精製工場シミュレーションゲームの開発はマクシスがDelta Logicを買収する前の段階からスタートしています。
石油精製工場シミュレーションゲームの開発に際し、ハイルズ氏はリッチモンドにあるシェブロンの石油精製工場を訪れ、工場見学ツアーに参加して工場全体がどのように機能しているかを説明する専門家に会いました。マクシスに協力してくれたシェブロンの従業員について、ハイルズ氏は「石油精製について、すべてを教えるのに十分忍耐強い、非常に経験豊富な男性でした」と語っています。マクシスに協力したのはシェブロンのスタッフエンジニアであったテレル・タッチストーン氏であると考えられており、同氏は少なくとも精油生成の過程にあるさまざまな計算式をマクシスに送った人物であることが明らかになっています。
SimRefineryの開発にはシムシティのコードがそのまま利用されており、そこに石油精製工場から入手した計算式を導入しています。ただし、ゲームのシミュレーションは可能な限り単純化されており、あくまでも「石油精製工場の全体の動きを把握するためのシミュレーション」であり、「石油精製工場の動作を正確にシミュレーションするもの」ではなかったそうです。
SimRefineryでは原料の投入量を変更できるだけでなく、さまざまなグレードの石油をさまざまな価格で生成することができます。さらに、メンテナンス費用を節約して工場がダウンすれば、1週間生産がストップし、工場全体の収入が低下してしまい、さらにメンテナンスに回すことができる予算が少なくなるなどの要素も含まれているそうです。SimRefineryの目的は石油精製工場の収益性を長期的に最大化することで、定期的にコツコツと工場が良くなるように修正を加えていく必要があります。
また、SimRefineryではプレイヤーがデータをセーブしたり、教育に使用するためのデータをプログラミング経験のない人が手軽に製作したりすることも可能です。そのため、SimRefineryはシムシティやシムアントのような商業ゲームと同じように動作します。加えて、ゲームを台無しにしてしまうような方法も存在しており、工場で取り扱う化学薬品のバランスを崩せば、最悪の場合、工場が爆発するようになっていたそうです。
開発されたSimRefineryについて、シェブロンの教育スタッフのほとんどが「従来の教育ツールと併用したい」と述べました。また、スタッフの中には「さあ、始めましょう。石油精製工場を壊すことができるかどうか、入力と設定を悪用して試してください」と、工場爆発プロセスを教育に活用した人もいたそうです。実際、工場の一部を破壊すれば石油の製造工程にどのような不具合が生じるかをチェックすることができるため、工場全体のフローを理解するにはピッタリでした。
なお、SimRefineryは1992年の10月26日にシェブロンに正式に納品されたそうです。シェブロンは9月の時点からスタッフにSimRefineryをプレイさせており、マーケティング部門や財務部門のスタッフとのコミュニケーションが「劇的に改善された」という報告が挙がったそうです。シェブロンで社員教育を務めていたスーザン・カスティン氏はSimRefineryの有効性を称賛しており、「人々に関する情報を捨てるだけでは効果的ではありません。人々は自分が使用したものだけを覚えています。シェブロンの従業員がSimRefineryをプレイするまで、これらの関係は不明瞭なままでした」と語っています。また、マクシスの中でもSimRefineryに批判的だったライト氏も、最初はSimRefineryに懐疑的だったものの、最終的にSimRefineryを承認したそうです。
高評価を得たSimRefineryですが、それでもシェブロン社内で広く使用されることはなかった模様。メディアによっては「SimRefineryはシェブロンではまったく使用されなかった」とまで報じられています。
それでもSimRefineryはエンジニアリング業界で静かなブームを起こしており、カリフォルニア大学デービス校の化学工学部のカレン・マクドナルド教授は1993年にコンピューター研究所でSimRefineryを使用したいと報告し、1997年に実際に使用することに成功しています。
シェブロン社内でものちにSimRefineryが注目を集めており、シェブロンの従業員からマクシスに「SimRefineryをアップデートして欲しい」という連絡もあったそうです。また、2016年の時点で、未確認の石油精製工場でSimRefineryが使用されていたというウワサもあります。
・つづき
18年前に開発された幻のシミュレーションゲーム「SimRefinery」がインターネットアーカイブに公開中、ブラウザからインストール不要でプレイ可能 - GIGAZINE