マグダラのマリアの指をかみちぎって持ち帰った主教はなぜ罰せられなかったのか?
亡くなった聖人の聖遺物は奇跡を起こすと考えられており、さまざまな宗教で信仰されてきました。中でもキリスト教では、聖餐の儀式に聖人の遺体や体の一部などの聖遺物が必要とされ、多くの主教や修道士が、贈与や購入といった手段だけでなく、強奪まがいの方法でも聖遺物を手に入れていたとされています。
When Monks Went Undercover to Steal Relics | JSTOR Daily
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12世紀頃、リンカン大聖堂のヒュー主教は、フランスのフェカン修道院を訪問しました。フェカン修道院には、「マグダラのマリアの腕のミイラ」と伝えられる聖遺物が安置されていました。ヒュー主教は「マリアの力が欲しい」と願っており、何人もの修道士らが見ている前で、自らの手でマリアの腕をそぎ落とそうとしたとのこと。
しかし、力が足りずうまく腕をそぎ落とすことができなかったヒュー主教は、マリアの手にかみつき、2本の指をかみちぎります。光景を目の当たりにした修道士らは、ヒュー主教がマリアの指をポケットにしまってしまうまで、あまりの恐怖に何もできなかったとのこと。その後、ヒュー主教は聖餐の度に、「自分が手に入れたマリアの指ほど神聖なものはない」と修道士らに説き、自己を正当化しました。
実際、9世紀から12世紀頃にかけて、主教や修道士らが、ありとあらゆる手段で聖遺物を手に入れることで修道院の巡礼者や資金を増やし、他の修道院と競い合っていました。サント=フォワ修道院に収められている、聖フィデスの頭蓋骨も、もともとは別の場所に安置されていたものです。
聖フィデスの遺骨は、アジャンと呼ばれる町の修道院に安置されていましたが、9世紀頃にアジャンに住み着いた修道士によって盗み出されました。修道士は10年間もアジャンで暮らし、時間をかけて町民の信用を得ることで、聖遺物の守護を任されました。修道士は任務に就くやいなや、聖フィデスの頭蓋骨を盗み出し、後にサント=フォワ修道院が建つコンクの町に持ち帰ってしまったとのこと。
聖遺物の窃盗における奇妙な点は、主教や修道士たちが特別罰せられることなく、なぜ盗みを働けたのかという点です。聖遺物窃盗の話が後世に伝えられたのは、修道士らが窃盗の一部始終を記した本を残していたためで、「furta sacra(聖なる盗難)」と呼ばれるジャンルが作られるほど多くの本がありました。一部の歴史学者たちは、歴史上で行われた聖遺物窃盗の多くは誇張されているか、完全な作り話であると主張しています。
しかし、仮に誇張や作り話であったとしたら、本来なら後ろめたいはずの窃盗を武勇伝のように本に記して残すことは奇妙です。実話であったとしても、隠すべき窃盗の手段をおおっぴらに書いた本もあるため、聖遺物の窃盗が事実であるかどうかは不明な点が多く残されています。
また、窃盗が罰せられなかった理由として、「聖遺物を持ち去ることができた人は泥棒ではない」と考えられていた説があります。聖遺物には「奇跡を起こす聖人の力が残されている」と考えられており、「泥棒を止めることができる」とも考えられていました。持ち去られるべきでない聖遺物は、泥棒が触れると持ち上げられないほど重くなったり、部屋のドアが開かなくなったりすると信じられていました。つまり、聖遺物が何者かによって持ち去られるということは、「聖遺物が持ち去られることを望んでいた」と考えられ、窃盗が罰せられなかったという可能性が高いとされています。
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