長年見過ごされてきた「アジア」がホモ・サピエンスの足跡をたどる上で重要なカギを握っているかもしれない
現生人類であるホモ・サピエンスはアフリカで誕生したと考えられており、最古の化石は2017年に北アフリカで発見された30万年前の化石とされています。アフリカで誕生して世界中へ広がっていったホモ・サピエンスの足跡をたどる上で、これまで見過ごされてきた「アジア」が重要なカギを握っているかもしれないと考古学者らが注目しています。
Early Human Migrations Are Being Rewritten by Asia - SAPIENS
https://www.sapiens.org/archaeology/early-human-migrations/
2016年1月、サウジアラビアのネフド砂漠で発掘調査を行っていた考古学者と古生物学者の研究チームが、かつて湖底だったと考えられる場所から小さな骨を発見しました。発掘調査に携わった古生物学者のIyad Zalmout氏は、「私たちはこれが重要なものだとわかっていました」とコメント。霊長類か人類の骨だと考えられたこの化石は、2018年に研究所の調査によって「8万5000年前のホモ・サピエンスの指の骨」であることが判明しました。
以下の記事で、ネフド砂漠で発見された「ホモ・サピエンスの指の骨」に関する詳細が報じられています。
8万5000年前のホモ・サピエンスの指の骨がサウジアラビアで発見される - GIGAZINE
8万5000年前にサウジアラビアまでホモ・サピエンスが到達していたという証拠は、かつて提唱されていたホモ・サピエンスの移動に関する物語と矛盾します。これまで、アフリカで誕生したホモ・サピエンスは約12万年前にアフリカを出て、現代のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルに当たる地中海東部沿岸地域・レバントに進出したと考えられてきました。しばらくレバントに定住したホモ・サピエンスは、数万年後に北上してヨーロッパに進出したとみられており、レバントの東にあるサウジアラビアへの進出は、約5万年前まで行われなかったと推定されていたとのこと。
近年、ネフド砂漠で発見された化石以外にも、ホモ・サピエンスの移動に関する従来の定説を覆す発見が相次いでいます。2018年にはイスラエルのミスリヤ洞窟で、少なくとも17万7000年前のものと見られるホモ・サピエンスのアゴの骨が発見されました。骨の下の層からは古い石器も発見されていることから、17万7000年前よりも早い時期にホモ・サピエンスがレバントまで進出していた可能性が示唆されているそうです。また、2015年には中国南部の湖南省で、8万年以上前のホモ・サピエンスの歯が発見されており、定説が大きく揺らいでいます。
湖南省で発見された歯の調査に携わる考古学者のMaría Martinón-Torres氏は、「私たちは新たな発見により、ホモ・サピエンスが世界中に広がった時期とルートについて再考することを余儀なくされています」と述べ、アフリカからほかの地域への移動が1つのルートではなく、複数のルートで行われた可能性があると指摘。いくつかの証拠は、アフリカを出たホモ・サピエンスがレバントを迂回し、直接アジアに向かった可能性があると示唆しているとのこと。また、ネフド砂漠での発掘に携わった考古学者のMichael Petraglia氏は、「新たなストーリーが広がっています」とコメントしました。
by S. Xing and X-J. Wu
新たな発見によってアフリカからホモ・サピエンスが拡散した時期、ルート、地理的範囲に関する理解が変わりましたが、一連の発見は考古学者らの「盲点」を示すものでもあるそうです。Martinón-Torres氏は、「これらの発見は、アジアに関する大きな警告でもあります」「長年にわたって、アジアは人類の進化において二次的な役割しか持たない、行き止まりのようなものと思われてきました」と述べました。
Petraglia氏も「考古学的フィールドワークと調査される場所には大きな偏りがあり、人類の進化に関する私たちの理論は、これらの地理的偏りに基づいて構築されています」とコメント。考古学者であり、「Archaeology: A Brief Introduction」の共著者でもあるNadia Durrani氏は、考古学が西洋の科学分野として始まった点が、そもそもの偏りが生まれる原因だったと指摘しています。
初期の考古学者らはヨーロッパやアメリカなど、キリスト教圏に住む人々であり、聖書に登場するイラン、イラク、エジプト、イスラエルなどの地中海沿岸部に興味を持っていました。この地域でいくつかの発見がされるにつれて、新たな研究所が設立されて発掘調査も進展していきましたが、「考古学的な発見がされた地域では考古学への理解が深まって資金援助も容易になる一方で、これまで考古学的な調査が行われていない地域では資金調達が難しい」というゆがみも生み出してしまったとのこと。
Petraglia氏は、十分に事前の調査が進んでいない地域では基礎的な調査やマッピングから始める必要があるため、先行調査がない地域での考古学的調査は困難だと指摘しています。また、考古学的調査は地域のインフラストラクチャーや、政治問題の影響も強く受けます。たとえばDurrani氏は1990年代にイエメンでフィールドワークに参加し、その後もイエメンの遺跡で調査を続けてきましたが、政治的に不安定になったため2008年に作業が中断されてしまいました。このように、政情不安や紛争も考古学的調査の深刻な障壁となっています。
一方で、中国は1990年代前半から未調査地域の研究に援助を表明しているほか、近年ではサウジアラビアも考古学的な調査を支援しているなど、アジアにおける考古学的調査には追い風も吹いています。その結果、近年はアジアにおいて新たな考古学的発見が相次ぎ、アフリカを出たホモ・サピエンスのルートや移動時期を再考することにつながっています。
ミスリヤ洞窟の発掘調査に携わったMina Weinstein-Evron氏は、依然として考古学者らもホモ・サピエンスについての理解が深くないことを指摘。「私たちは何も知りません。私たちはあちこちに散らばった証拠の点と点を持っているだけですが、『移住』や『拡散』といった大きな言葉を使っています。私たちは初期のホモ・サピエンスがチケットを持って移動したように語りますが、彼らは自分たちがどこに向かっているのか知りませんでした。1世代当たりの移動距離はおそらく10kmほどで、彼らにとっては移動ですらありませんでした」と述べました。
ホモ・サピエンスがアフリカを出た時期は当初より早い可能性があるものの、いくつかの遺伝的発見は、初期のホモ・サピエンスが進化的な観点から見ると失敗に終わったことを示しています。2016年の研究では、ユーラシア人のDNAは6万年~8万年前にアフリカ人から分岐したことが示されており、現在生きている人類はこの時期にアフリカを出たホモ・サピエンスの子孫であることが示唆されているとのこと。
ユーラシア人とアフリカ人のDNA分岐について研究した生物人類学者のLuca Pagani氏は、「どの移住が成功したかという私たちの考えを変えるつもりはありませんが、新たな考古学的発見はホモ・サピエンスが分散する、より多様な試みを示しています」とコメントしました。
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