メモ

「数学のノーベル賞」とも呼ばれる「フィールズ賞」が置かれた現状と未来への課題とは?


数学の分野で著しい業績を上げた研究者に贈られるフィールズ賞は、1936年に初の受賞者が発表され、その後は4年ごとに新たな受賞者が発表されてきました。数学の将来を担う人物を表彰するという目的で「原則40歳以下」の研究者を対象とし、政治的な色合いを排することなどを理念に掲げたフィールズ賞でしたが、近年はその理念が薄らいできているといいます。

The Forgotten Dream of the Fields Medal – Math with Bad Drawings
https://mathwithbaddrawings.com/2018/07/25/the-forgotten-dream-of-the-fields-medal/

近年のフィールズ賞についてのエントリをブログで公開したのは、数学に関するブログ「Math with Bad Drawings」を運営しているベン・オーリン氏。科学史の専門家であるマイケル・バラニー氏にインタビューを行い、オーリン氏手書きのイラストともにまとめています。


フィールズ賞は、比喩的に「数学のノーベル賞」と述べられることが多い数学に関する賞で、4年に一度開催される国際数学者会議(ICM)において2~4人の受賞者が決定されています。その名称は、賞を提唱したカナダ人数学者のジョン・チャールズ・フィールズの名前から取られています。フィールズ氏は自身の名前を含め、あらゆるものや人物から賞の名称が決められることを嫌っていましたが、提唱者であることと、遺産が賞の基金として寄付されたことから、意向に反して「フィールズ賞」と名付けられることになりました。


フィールズ氏は賞の対象に数学のどの分野を含めるのかを指定しませんでした。また、受賞者の選定については可能な限り自由であること、そして最も大事なこととして、可能な限り政治的な要素を含まないことを望んでいました。賞の内容が過去の業績を評価するものであれば、そこには必ず国家間の競争の概念が持ち込まれると考えたフィールズ氏は、有名な一節「賞は単に過去の業績に対してのものではなく、前途有望な未来のためのものでなければならない」という言葉を残しています。

しかし、そのような理念のもとで設立されたフィールズ賞も、近年では「賞レース」の様相を呈し、「フィールズ賞受賞者」というステータスを求めたバトルが繰り広げられるようになってきているとのこと。バラニー氏は「フィールズ氏は『数学のノーベル賞』として賞を設立した訳ではない」と述べ、フィールズ賞が理念から外れてきていることを指摘します。

バラニー氏によると、かつてのフィールズ賞はノーベル賞ほどの名声を持っていたわけではないとのこと。1940年代から1950年代の数学の歴史をひもとくと、フィールズ賞は「グッゲンハイム奨励金」など多くの著名な賞の1つとして認識されてはいたものの、ノーベル賞や全米アカデミーズのような抜きん出た存在ではなかったといいます。


そんなフィールズ賞が大きく取り上げられ、「数学のノーベル賞」とさえいわれるようになったのは、1966年に起きた2つのできごとだとバラニー氏は述べています。1950年代ごろ、フィールズ賞の受賞者を決めるICM(国際数学者会議)は受賞者の絞り込みに頭を悩ませていました。対象となる数学者の数が多すぎるというのがその理由だったのですが、1966年には受賞者がそれまでの「2人」から「2人から4人」へと拡大されました。

また、1966年の授賞式がソビエト連邦のモスクワで開催されたこともフィールズ賞に大きな影響を残しました。受賞者の1人にはアメリカ人数学者のスティーヴン・スメイル氏が名を連ねていたのですが、スメイル氏がアメリカ人であることが大きなポイントとなりました。当時、アメリカとソ連は冷戦の真っただ中であり、両国の交流は全くないといって過言ではない時代でした。そんな時代にスメイル氏はフィールズ賞を受け取るためにモスクワに渡るのですが、ちょうどその時、アメリカに対して批判的な言動を行っていたスメイル氏は反米活動対策委員会から召喚されていました。

政府側から召喚を受けていたスメイル氏でしたが、なんとこの召喚を無視してスメイル氏はモスクワを訪問してフィールズ賞を受け取りました。この時、冷戦という状況がありながらソ連に渡って賞を受け取るための理由をつけるために「数学のノーベル賞」という概念がメディアで大きく取り上げられることになったといいます。


そんなフィールズ賞が置かれている現状の課題についてバラニー氏はまず、「40歳」という年齢制限の存在を挙げています。「天才数学少年」として才能を発揮してきた数学者ではなく、地道にコツコツと努力と研究を続けてきた数学者にとって、40歳という年齢制限は高いハードルとなっているとのこと。年齢制限をクリアするためにはなるべく若い段階で多くの実績を挙げておく必要があるため、そのほかの要因、とくに「子育て」という大きな仕事が負担になる状況があるとのこと。これは、特に女性の数学者にとって大きな負担になっているとのことです。

次に挙げているのが、いくつかの分野では大衆にとってわかりやすい結果が求められる傾向にあるという状況。誰もが重要と捉える問題を解消することは大きな功績となりますが、第二次世界大戦後の時代において、重要な数学的研究の多くは「企業秘密」や「国家機密」といった壁に阻まれて広く公表されにくいという状況が存在しているといいます。


3つ目の状況としては、「学際的バイアス」の存在が挙げられています。フィールズ賞の受賞者を大学別に分類すると、受賞者はハーバード大学やパリ大学、プリンストン大学などのトップクラスの大学に集中していることがわかるとのこと。これはもちろん、優れた数学者が優れた研究機関に集まるということでもあるために問題とすべきかは微妙なところではありますが、もっと広く受賞者の門戸を広げる必要があるという意味では注目すべきポイントなのかもしれません。

フィールズ賞の将来に必要なものを尋ねられたバラニー氏は、「委員会は4年ごとの受賞者検討の際に理念を再確認し、何が欠けているのか、どの分野の研究が多くの支援を求めているのかを見直すべきだ」としています。バラニー氏はまた、委員会にはそれを行う自由が生まれつき備わっており、それを示すためにフィールズ賞のメダルが存在しているとも述べています。

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in メモ,   サイエンス, Posted by darkhorse_log

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