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Windowsの「3D ピンボール」完成までの物語、無名のスタートアップが20年も愛されるゲームをどのように作ったのか?

by henry9112

Windows 95の拡張パックに入っていたWindows 3D ピンボールはWindows Vista以降には収録されていないのですが、実はこれは「Microsoftの誰もコードがどのように動いているのか理解できなかった」ため。約20年前、Windows 95のリリースを前に無名の小さなスタートアップがどのようにしてWindows 3D ピンボールを開発したのか、知られざる歴史が明らかになっています。

How Space Cadet pinball won the Windows desktop
http://kernelmag.dailydot.com/issue-sections/headline-story/14948/space-cadet-pinball-windows-history/

MicrosoftはWindows 95のリリースに関して、ローリング・ストーンズの楽曲「スタート・ミー・アップ」を使用するなどして膨大な宣伝広告費をかけていますが、リリースの前年である1994年から既に広告マーケティングは始まっており、スローガンを「Where do you want to go today?(今日はどこに出かけたい?)」に変更して専門知識をもたない大衆に訴求するための宣伝キャンペーンを行っていました

ゲーム開発者のデイビッド・スタンフォード氏がチャンスを得たのは、ちょうどこの頃。当時、多くの開発者たちがWindows 95用のアプリケーションを開発していた一方で、ゲームに関しては、技術的な理由から、引き続きMS-DOS向けのアプリケーションが開発されていました。そんな中、スタンフォード氏はカンファレスで出会ったマイク・サンディージ氏とケビン・グライナー氏という2人の仲間と共にCinematronicsという会社を立ち上げ、Windows 95向けのゲームを開発することを決意。スタンフォード氏はマネージャーとして契約を行ったりクライアントと関係を作ったりする役目で、グライナー氏はグラフィック担当、そしてサンディージ氏はグライナー氏が作ったグラフィックを元に実際にコードを書き出していく役割でした。Cinematronicsは「お金はないけれど夢は大きく、少人数のスタッフで毎日、長時間作業に取り組んでいた」というスタートアップの典型だったとのこと。

3人は始め、トップダウン視点の2Dの射撃ゲームを作り上げたのですが、多くの人は3Dのゲームを欲しがっていたため、2Dゲームは見向きもされませんでした。しかし、3人は落ち込むことなく、「みんなが3Dゲームを欲しがっているなら3Dゲームを作ろう!」ということで、当時特に人気の高かったDOOMのWindows版を作ることに。そして、DOOMのクローンは1994年の夏までに完成しました。

by Scott Kellum

当時のMicrosoftはリバーシやソリティアと共にOSに収録するゲームを欲していました。これまでにない画期的な機能を実装していたWindows 95は、カードゲームなどよりわくわくするような最新ゲームを搭載できるだけの能力がありましたが、既にWindows 95に関して連邦取引委員会やアメリカ合衆国司法省から反トラスト訴訟を起こされていたMicrosoftは、血の気の多いゲームを収録してさらなる問題が起こることを避けたがりました。

Microsoftの動向を知り、行き詰まったCinematronicsは銃弾の代わりに接着剤を発射する仕様にしてみましたが、「Gluem」と呼ばれるこのゲームは「罪深いほどにばかばかしいゲームになってしまった」とのこと。


スタンフォード氏は友人でありMicrosoft DirectXの創設者でもあるアレックス・ジョン氏にも相談してみたのですが、ジョン氏の上司でありWindows 95の責任者デイビッド・コール氏はGluemに対して、あまり反応を示さなかったそうです。しかし、ジョン氏によるとコール氏はGluemのアイデアを聞いた際に、「ピンボールか何かじゃだめなのか?」という言葉を漏らしていたとのこと。

「ピンボール」という言葉をジョン氏から聞いたスタンフォード氏は、その場で「Pinball Wizard」という架空のピンボールマシンを使った3Dピンボールゲームの構想を書き出し、仲間たちに連絡することなく、独断でMicrosoftにゲームの内容を伝えました。すると、Microsoftはアメリカ・サンタクルーズ生まれの小さな一企業であるCinematronicsに興味を示します。さらに、企画書をMicrosoftに見せるとMicrosoftは「そのゲームが見たい」と非常に良好な反応を示しました。

そして、スタンフォード氏はCinematronicsのアーティストたちと協力し、休日を犠牲にしてデザインの作業を進めだしましたが、パーツごとのグラフィックをつなぎ合わせて作ったピンボールのデザインは「ひどいものだった」と、当時を振り返ってスタンフォード氏は語ります。

しかし、過重労働を行うプログラマーたちにもMicrosoftは容赦なく「いつゲームをプレイできるのか」「デモを送ってくれ」とせっついてきたそうです。何か形のあるものをMicrosoftに送る必要に迫られたスタンフォード氏は「もしかすると本物のゲームのように見えてくれるかもしれない」と思い、ドットマトリックスのプリンターで印刷したものをさらにサーモファックスで送る、という方法でゲームのスクリーンショットをMicrosoft宛に送信。祈る気持ちで送ったスクリーンショットでしたが、Microsoftは「気に入りました。早くこれで遊びたいです」と色よい返事をよこしたとのこと。

by Thomas Hawk

上記のような経緯を経て、1994年の夏の終わりに、CinematronicsはWindows 95がリリースされるまでの間はピンボールゲーム開発に集中することを決意します。リリースが行われる1995年4月までわずか9カ月しか残されておらず、やるべきことはたくさん残されている状態でした。現在からは想像がつきにくいかもしれませんが、Windows 95のプロトタイプを搭載した弱いマシンで開発するには、Windows 95版3D ピンボールは複雑なゲームだったのです。

また、グラフィックを担当するグライナー氏はグラフィックを勉強していたものの、自ら作成したグラフィックを使ってゲームを作った経験がなかったのも苦戦を強いられた要因の1つ。グライナー氏はよくゲームセンターに出かけ、写真を撮ってはバンパー、フリッパー、プランジャーなど、それぞれのコンポーネントが全体にどう働きかけているのかをチェックしていたそうです。なお、3D ピンボール開発は当時高価だった最新のレンダリング技術を使うのではなく、誰が作ったか分からないようなコードを利用していたため、「あまり洗練されたものとはいえないのです」とグラインダー氏はコメントしています。

by Thomas Hawk

そしてグラインダー氏の作ったグラフィックをもとにサンディージ氏がコードを実装していくことに。スタンフォード氏は「トップダウン視点の2Dゲームみたいにシンプルで、かつ3Dグラフィックっぽいゲームを」と考えていましたが、もし本当にトップダウン視点の2Dゲームであれば、ゲーム開発はずっと簡単であったはず。なぜかと言うと、真上から見た2Dのグラフィックであれば、ボールの大きさはずっと一定でいいためです。しかし、奥行きのある3Dゲームの場合、ボールは台の向こう側に行けば行くほど小さくなり、手前にある時に一番大きく見えなければなりません。細かな点ですが、サンディージ氏にとって、この「細かな点」が非常に大事でした。当時のサンディージ氏は、短い時間でこの複雑なゲームを完成させられるとは思っていなかったとのこと。

さらに、ゲームの開発に関してMicrosoftはほとんど関与しなかったため、Cinematronicsのメンバーは自分たちでバグを発見・修正していく必要があったのも大変だった点。「私たちは常にパニックになっていました。私もいつもパニック状態でしたよ」サンディージ氏は語っています。朝の早い時間にコーディングを始め、1日18~20時間ほど作業し、家に帰る代わりに倉庫で眠っていたサンディージ氏ですが、倉庫に入ってきた誰かがサンディージ氏の存在に気付かず体の上に荷物を落とした時、さすがに倉庫で眠るのはやめたそうです。

1994年の12月、MicrosoftはOSの後方互換に時間がかかっていることを理由に、Windows 95の発売を8月まで延期することを発表。3D ピンボールは「何とか納期までに完成形が作れそう」というところにまでこぎ着けていましたが、猶予期間が生まれたことで、さらなる改良が行えたとのこと。

そして、1995年8月、Windows 95のリリースと共に、3D ピンボール「Space Cadet」が日の目を見ることになります。

90年代アメリカの大ヒットドラマ「フレンズ」に出演していた俳優マシュー・ペリーと女優ジェニファー・アニストンを起用したWindows 95のビデオガイドでも、Space Cadetが大きく取り上げられます。

Microsoft Windows 95 Video Guide with Jennifer Aniston and Matthew Perry from Friends - Full Video - YouTube


Windows 95の拡張パック「Microsoft Plus! for Windows 95」に収録されていたSpace Cadetはその後、Windows NT 4.0、2000、Me、XPに収録されるようになりますが、Windows Vistaが開発されている時、バグがあったにも関わらず「Microsoftの誰もコードがどのように動いているのか理解できなかった」ことから収録されないようになります。

Cinematronicsは、その後マクシスに買収され、マクシスは1997年にエレクトロニック・アーツに吸収されたため、Space Cadetの開発メンバーは散り散りになり、2度と連絡を取ることがなかったとのこと。MicrosoftはCinematronicsのデータを元にオリジナルのピンボールゲームを開発しようとしたらしいのですが、結果は散々なもので、現在もマイクロソフトオリジナルのピンボールゲームは実現していません。そして、リリースから20年たちWindows 95が使われなくなった今でも、3Dピンボール「Space Cadet」は忘れ去られず、多くの人に愛されているのです

by ScaarAT

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in ソフトウェア,   動画, Posted by darkhorse_log

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