サイエンス

キュリー夫人の研究用ノートは100年が経過した今も放射線を出している


歴史上の人物について調べるには、その人物が残した作品や文献にあたる必要がありますが、現存する資料が少なかったり原典の入手が難しかったりなど、調査が困難を極めることもあります。その中でも、ポロニウムとラジウムの発見で知られるマリ・キュリー(キュリー夫人)の残した研究資料は、100年以上経った現在でも放射線を出し続けているため、安易に手にすることはできない状態になっています。

Marie Curie's century-old radioactive notebook still requires lead box
http://factually.gizmodo.com/marie-curies-100-year-old-notebook-is-still-too-radioac-1615847891

Marie Curie's Research Papers Are Still Radioactive 100+ Years Later | Open Culture
http://www.openculture.com/2015/07/marie-curies-research-papers-are-still-radioactive-100-years-later.html

マリ・キュリーとピエール・キュリー夫妻は「どのような物質がなぜ放射能を持っているのか」について研究し、キュリー夫人は1903年と1911年にノーベル賞を合計2度受賞しています。しかし、夫妻は放射性物質の危険性については理解しておらず、自宅の研究室にはトリウムやウランなどが裸のままで置かれていたそうです。これらの放射性物質は暗いところでぼんやりと発光するため、キュリー夫人の手記には「研究の楽しみのひとつは、夜中に研究室に入ることでした。試料の詰まった試験管が淡い妖精の光のように美しく輝いていました」と書かれています。

by R K

また、キュリー夫人は研究のためにポロニウムとラジウムを小瓶に入れて常に持ち歩いていたのですが、研究用の標準服以外に放射線から身を守るような服は何も着ていなかったそうです。キュリー夫人は研究に用いた放射性物質が原因で再生不良性貧血を患って、1934年に66歳で亡くなっています。

キュリー夫人の死後、彼女の自宅はパリ原子物理学研究機関とキュリー財団が1978年まで使用していました。しかし家の中に残った放射性物質の危険性が明らかになった後、家全体が政府の監視下に置かれることとなり、しばらくの間は誰も家に入ることができなかったそうです。1991年にようやく自宅と研究室の除染作業が行われ、研究資料やノートが家の外へと持ち出されました。

キュリー夫人の出身地であるポーランドのワルシャワには「マリ・キュリー博物館」があり、館内ではキュリー夫人の研究室を再現した展示物を見ることができます。

by Jorge Láscar

現在、キュリー夫人の手書きノートはフランス国立図書館で保管されているのですが、キュリー夫人が持ち歩いていた放射性物質の半減期は1601年のため、ノートを始めとした研究資料や衣服、家具、料理本に至るまで、キュリー夫人の持ち物はいまだに放射能を持っており、今後何世紀にもわたって鉛の箱に入れて保管しなければ危険な状態です。フランス国立図書館では下記の写真に写っているキュリー夫人のノートを見ることができるのですが、免責同意書にサインした上で、防護服を着て慎重に取り扱う必要があるとのことです。

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in サイエンス, Posted by darkhorse_log

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