取材

ネパール大地震で多くの建物が倒壊したカトマンズ市街を歩いてみて


まさか、ネパールで地震が起きるとは……。首都カトマンズの街を歩くと、ところどころで目に飛び込んでくる、大地震の爪あと。歴史的な建造物の「ダルバール広場」や「ダラハラ塔」は崩れ落ちてしまいます。

こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。随分と迷ったのですが、2週間ばかりネパールを旅してきました。地震発生から10日後にカトマンズに入ったので、安宿も食堂も開いていて、思っていたよりは平穏な日常。しかし、街を歩けば被災した建物は点在し、この地を地震が襲ったのは明らかでした。

◆首都カトマンズ
ネパールの首都で政治経済の中心であるカトマンズは、周囲を山に囲まれた盆地の底に位置しています。標高は1300メートルを越えるので、平野部に比べるとそこまで暑さも厳しくなく、夜は少し冷え込んでもいました。エベレストやアンナプルナといったヒマラヤ山脈におけるトレッキングの登山基地として、多くの観光客で賑わう場所です。

カトマンズは山岳地帯に広がる貴重な平地です。


◆カトマンズの状況
カトマンズには5月5日に到着して、5月10日の出発まで、5日間滞在しました。旅行者が集まるタメル地区は新しい建物が多いのか、それほどの異常は感じられず。ただ、古い家屋が集まる地区になると、煉瓦で造られた建物の壁は耐震強度など存在しそうになく、瓦礫が目立っていました。

てっぺんがひん曲がってしまった仏塔。


崩れ落ちてしまった建物の、瓦礫を運んでいくトラック。


警察による瓦礫の除去作業中。倒壊した建物で営業していたお店の商品を回収していました。


小道に流れ込んだ、瓦礫の山。


塀も煉瓦なので、崩れている箇所が目につきます。


雪崩れるように、上の階が流されてしまった建物。


アジア的な密集した土地で、ポツリと目立つ空白地帯。


上から、グニャリと押しつぶされたように。


お寺でもあったような場所は、救援隊の前線基地となっていました。


ポッキリと折れてしまった入口の門。


グチャグチャになってしまった建物を横目に。


大きな亀裂。


一階部分が、グネリと曲がったビルは……


全体が傾いて、屋上部分が隣のビルにぶつかっていました。


巨大な包丁で、真っ二つにしたかのように、切断面がくっきりと残る住宅。


平和な日常を、残酷に奪い去ります。


新しそうなビルでしたが、強度が足りなかったのか、見るも無残な姿に。


原型はとどめているものの、全体へのダメージが浮かび上がっている、カトマンズ郊外の住宅。


郊外でも、やはり古い建物は、被害が大きいように見えました。


余震もあるので、倒壊の心配がある建物は、木材で支えて補強しています。


倒れないように大きな木材で支えて。


ひびの入った箇所を、取り囲むように。


中心部から少し離れた場所にある、大型のショッピングモールは休業中でした。


ダメージがないように見えた建物も、目を凝らしてみると壁がひび割れています。


別のショッピングモールも、ガラスの割れた跡。


◆ダルバール広場
歴史的な宮殿や寺院が集中し、世界遺産にも登録されているダルバール広場は、カトマンズを代表する観光地として多くの人が訪れます。侘寂が漂う周囲一帯は、中国にも似た雰囲気。このダルバール広場も地震で大きな被害となっていました。

倒壊の危険性もあるので、ロープが張られて建物に近寄れないようになっています。


歴史的な建造物に、深刻なダメージ。


剥がれ落ちた壁。


ここも避難場所になるのか、テントの中で生活している人たちがいます。


広場のすぐ側にあるテント。


煉瓦と木材の山。


多くの建物が、被害を受けていました。


更地と化しています。


かつての姿を分からないほどに、何もかもが崩れ落ちていました。


◆ダラハラ塔
市内を一望できる展望台として賑わっていたのはダルバール広場のすぐ近くにあるダラハラ塔。1832年に造られたものの、1934年のビハール・ネパール地震で倒壊します。それから再建されていたのですが、今回の地震で再び崩れてしまいました。

在りし日の姿。


現在は、根元だけしか残っていません。


大きく崩れ去ってしまいました。


◆避難生活
不幸にも住む場所を失った人たちは、テント生活を余儀なくされています。

広場に建てられた無数のテント。


中国の国旗が入ったテントは家のようで、十分な居住空間を確保できそうでした。


競技場のグランドにも、テントが張られています。


市街の小さな広場も避難所に。


カトマンズへ向かう道中の集落でも、建物の崩壊に怯えて、庭にテントを張って過ごす人たちがいました。


◆追悼集会
このような未曾有の大災害に、ネパールの人たちは団結することで、乗り切ろうとしています。日本もそうですが、そこに住み続ける限り天災は降りかってきます。だからといって、その地を離れるわけにもいきません。追悼のために、ろうそくに火が点けられていました。

カトマンズのダルバール広場でキャンドルを片手に行進する人たち。


夜に向けて準備。


慰霊のためのろうそくの光。


地震の被害をほとんど感じなかった、平野部のブトワルという町でも、ろうそくの灯りが揺らいでいました。


キャンドルはネパールの形。


横断幕とともに。


◆徐々に日常の生活へ
本来の賑いを想像することができませんが、それでもカトマンズは安宿に泊まれましたし、アウトドアショップや日本食レストランも遊びに行けました。シャッターを降ろしている店もありましたが、徐々に日常の生活へと戻りつつありました。

楽しみにしていたサイクリングショップは閉まっていて残念。


大勢の人が行き交っていた商業地区。


路地で遊ぶ元気な子ども。


地震が起きたことで、「またにしてもいいじゃない」と脳裏をよぎったのですが、次の機会がいつあるかなんて誰にも分かりません。ちょうどその時そこにいて、伝える手段もあったので、今回はこのような記事としてまとめてみました。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
Twitter @shuutak
)

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in 取材, Posted by logc_nt

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