「金を出すほど死ににくい」、エベレスト登頂を支える経済学とは?
世界最高峰のエベレストの頂に到達することは、多くの登山家にとっての夢だと言えますが、登山家の登頂を支えるために、多大な人的・物的サポートが行われています。サポートによって昔に比べると簡単になったエベレスト登頂の現状と、エベレスト登頂ビジネスに潜む問題点を描いたムービー「The Deadly Logistics of Climbing Everest」が公開されています。
The Deadly Logistics of Climbing Everest - YouTube
ヒマラヤ山脈のエベレストは世界で一番高い山です。
地球上でもっとも標高の高いエベレストの頂上は、すべての登山家が目指す文字通り「最高峰」です。
しかし、世界一高いエベレストは、決して世界一危険な山というわけではありません。100人の登山家が登頂にチャレンジするとして、そのうち死ぬ登山家は、エベレストが4人に対して……
標高8611メートルの世界で2番目に高い山「K2」では26人。
エベレストの近くにある「アンナプルナ」に至っては34人も死にます。
これらの危険な山に比べて圧倒的にエベレストが安全と言える理由は、商業的なオペレーションが確立しているからです。
お金を払う登山家が登頂に成功するように、極めて良好な環境が整備されているのがエベレストです。
エベレスト登頂を目指す場合、どこから登るのか?という戦略が最初に問われます。
エベレストの頂上のある尾根によって中国(チベット)とネパールに分かれているため、チベットルートとネパールルートの2種類が存在しますが、ほとんどの登山家はネパールルートを選びます。
1年のうち数カ月間はチベット側の山頂付近には「街」が出現します。
冬のエベレストでは、時速100マイル(時速160キロメートル)の風が吹き荒れ……
夏のモンスーンの時期には、雪が降り積もります。
この冬と夏のわずかな間隙を突くように、春にエベレスト登頂にとって最高の条件が現れます。
一般的に、5月の15日から25日の間にエベレスト山頂への「窓」が開きます。そのため、エベレスト制覇を目指す多くの登山家がその直前には待機しています。
さらにその2カ月前にはシェルパがエベレスト入りすることになります。
シェルパはよく職業に間違われますが、本来はチベットの少数民族を指します。
シェルパはエベレスト周辺に住む人たちなので、最もエベレストのことを知っています。
標高の高い環境で生活するため、生まれながらにして強大な肺を持つなど、登山家としての資質を備えています。
シェルパのサポートによって、これまで多くの登山家がエベレスト登頂に成功してきました。
シェルパの中にはエベレスト登頂に21度成功した伝説的な人物もいるそうです。登山家を支えるシェルパは世界一過酷な仕事をしていると言っても過言ではありません。
エベレスト登頂を目指す登山家のグループは、それぞれシェルパを雇い、ベースキャンプの構築やガイドなどのサポートを受けます。
そのため、エベレスト登頂のために登山家がコーディネーターに支払う料金は4万ドル(約450万円)を下りません。
最高レベルの環境を得るために、13万ドル(約1500万円)の費用を投じる登山家グループもあるほどです。
裕福な登山家はこのような高額な支払いと引き換えに、個人で複数のテントをゲットでき……
ゆったりと食事をするダイニングテントを確保できたり……
医療チームを同行させたり……
熱いお湯や、太陽光発電による電気を得られたり……
モバイル通信さえ可能になります。
エベレスト登頂のために滞在する2カ月から3カ月の期間をかなり快適に過ごせます。
とはいえこれはキャンプ地での話。山頂までの「登山」では快適とは程遠く、死と隣り合わせの過酷な環境が続きます。
エベレストでは、滑落、雪崩、寒さでの凍死、高山病など、登山家の命を脅かす危険があふれています。
標高の高さから生じる体への影響を抑えるため、エベレストの環境に慣れる作業が必要です。
標高が3500メートルでは海抜0メートルの地点に比べて酸素の量は65%になり、標高5500メートルでは50%になります。そのため脳や体の機能の低下は避けられません。
そして、標高7600メートルを超えると酸素の量は33%まで低下し、次第に体の機能が停止していくレベルで、もはや人間の体は順応することが不可能になります。
優秀な登山家でも判断能力が損なわれるこの領域は「Death Zone」と呼ばれます。
いきなり山頂を目指して生き残れる登山家はいません。
登山家たちは、山頂へアタックする前に数週間かけて、酸素の薄い環境に体を慣らす必要があります。
登山家たちは4月の初めに「Kathmandu」から「Lukla」へと移動し、そこから10日ほどかけて標高1万7500フィート(約5300メートル)のベースキャンプを目指します。
一方、ベースキャンプを完成させたシェルパは、すぐに「Icefall Doctor」という役割に取り掛かります。
Icefall Doctorは氷河で覆われた危険な場所「Khumbu」氷瀑(ひょうばく)の状況を調べるオペレーターで、シェルパの中でも選りすぐりのエリートが担当します。
クレバスに橋を渡す作業はそれ自体が危険ですが、氷河の動きによって裂け目は日々、広がるとのこと。Khumbuはエベレスト登頂のために最も危険な難所の一つです。
Icefall Doctorがクレバスに橋やロープをかけ終わると、登山家一行はシェルパの先導でキャンプIを目指して移動し始めます。
登山家のエベレスト登頂をサポートするため環境を整備するシェルパは、世界で最も過酷な作業を行っていると言われることがあります。
危険なKhumbu氷瀑を、お金を支払った登山家は3度通過するだけなのに対して、シェルパは環境整備や物資の運搬のため20回も通過する必要があるからです。
実際にシェルパの死亡率は、イラク戦争に従事したアメリカ兵の10倍以上だとのこと。
世界一危険な仕事をするシェルパですが、先進国の基準でいえば、金銭的には恵まれているとは言えません。
ネパールはアジアで3番目、世界でも25番目に貧しい国です。
国民の平均年収は835ドル(約9万5000円)ほど。
その中で3カ月だけ働くことで5000ドル(約56万円)を稼ぐシェルパは、非常に稼ぎのよい仕事となっています。
しかし、高収入と引き換えに命を落とすシェルパは少なくありません。
2014年に発生した雪崩によって16人のシェルパが犠牲になり、2015年には地震に伴う雪崩で11人のシェルパが犠牲になっています。
金を出すことで比較的安全にエベレスト登頂を目指すことができる登山家の陰で、2014年以降で53人のシェルパが亡くなっている状況は、倫理的な問題を提起しています。
そのため、危険なシェルパの仕事をしなくてもいいようにと多くの国や登山家が基金を作って教育への資金援助がされていますが、シェルパを止める人は少ないというのが現状です。
危険なKhumbuを抜けて3月後半から4月前半には、シェルパはキャンプIの設置に取りかかります。キャンプIが完成するとすぐにキャンプIIの設置と、作業が続きます。
シェルパはベースキャンプで数日休んだ後、4月中旬には登山家たちとともに、Khumbuを抜けてキャンプIを目指します。これは登山家たちにとって、高所に体を慣らすためのテスト登山です。キャンプIIで数日過ごすことで、山頂アタックのための準備を行います。
なお、キャンプIIまでは温かい食事をとることができます。
体を慣らした登山家たちは、再びベースキャンプまで下って待機します。
これに対してシェルパはキャンプIII、キャンプIV作りのためさらに高くまで登っていきます。
ベースキャンプまではヤクという牛によって物資の運搬が可能ですが……
Khumbuが待ち構えるそれ以降の行程ではヤクを使えないので、すべての荷物をシェルパが抱えて運びます。
「ヘリで物資を輸送する……」ということも不可能です。
高所では空気が薄くなるためヘリコプターのローターが揚力を得られにくくなります。そのため、キャンプIIまで救援ヘリが飛ぶことさえまれ。
危険な難所のKhumbuはヘリコプターのパイロットをも危険にさらします。
かつてヘリコプターでエベレスト登頂に成功した例がありますが、これは一般的なものより強力なパワーを持ち、さらには機体を限界レベルまで軽量化して、荷物は一切積まないという条件で行われたものです。
エベレスト山頂付近では、人力で作業するしかないというわけです。
登山家たちは2度目のキャンプI、IIに到着すると、一晩過ごした後にキャンプIIIに初めて入ります。
キャンプIIIに入った後は、いよいよ山頂アタックのタイミングを探すため、天気予報とにらめっこの日々が始まります。
登山家たちは天候と風から天気を大きく5つに分類します。雲がなく晴れ渡り、風のない日こそ、山頂に挑むべき日です。
しかし、すべての登山家が最高の条件を待っているもの。条件が揃うと、一斉に登山家たちは山頂を目指します。
10日間で800人もの登山家が山頂に挑んで山に登ることもあり、エベレスト山頂付近は混雑します。
キャンプIII以降は多くの登山家が酸素マスクをつけて挑みます。これは、Death Zoneで生きられる時間を少しでも長くするため。
中には酸素マスクによる補助なしで登頂にチャレンジする登山家もいて、これまで200人が無酸素登頂に成功しています。しかし、酸素マスクを使う場合に比べると圧倒的に死のリスクが高く、無酸素登頂を「純粋な方法での登頂」と呼ぶ人もいれば、「無謀な登頂」と批判する人もいます。
酸素ボトルは1本で4時間しかもちません。
そのため、登山家1人につき予備を含めて12本のボトルが用意されます。
つまり、キャンプIIIとキャンプIVにはチームあたりで200本の酸素ボトルが必要となります。
当然、これらの酸素ボトルを運び込むのはシェルパです。
キャンプIIIとキャンプIVのテントは極めて原始的なものですが、登山家たちは山頂アタックに備えてできるかぎり食べておく必要があります。
キャンプIVでは登山家は1日に1万キロカロリーも消費するとのことで、過酷な環境では「食事」は非常に重要になってきます。
食事と同じく「睡眠」も大切な要素です。寝つけない環境でも、できる限り素早く眠ることが求められます。
そして、山頂アタックは晴れ間が出次第すぐに行われます。およそ200人の登山家がたった一つしかないルートを毎日登ります。
大混雑する一本道ですが、Death Zoneであることを忘れてはいけません。渋滞は死を意味するからです。
登山家はなかなか動きの取れない状況で、酸素を素早く消費してしまいます。
頂上まであと少しの「ヒラリーステップ」までの道のりは、エベレスト登頂で最も技術的に難しい要所です。登るのに5分かかる場所を、登山家は一人ずつしか登ることはできません。そのため山頂付近のボトルネックになっています。
ヒラリーステップを超えると、山頂までは楽な最後の行程。
何カ月もかけて大金をかけてようやくたどり着いた山頂ですが、登山家たちはエベレスト制覇の余韻に浸る間もなく移動を余儀なくされます。全体で見れば山頂に立つのは「瞬間」と表現できるとのこと。
30分足らずで下山開始。下界を目指します。
シェルパなどのサポート体制が整えられて、ますます多くの登山家がエベレスト登頂に成功できるようになる現状に対しては議論があります。
少なくともエベレストでは「金をかけるほど安全」と言えるとのこと。
エベレスト登頂をサポートする多数のツアーが開催されており……
お金さえあれば、わずか数分で予約手続きをして、エベレスト登頂にチャレンジできるようになっています。
しかし、エベレストは世界一高い山で登山家の4%が死ぬ危険な山であることに変わりはありません。
中国やネパールはエベレスト登頂を目指す登山家から得られる収入をあてにして、ますます簡単にエベレストへの入山を認めるようになっています。
世界一高い山に登ることが簡単になりましたが、皮肉なことに簡単になればなるほど安全性はより小さくなっているのかもしれません。
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