アニメ

アメリカの哲学教授が「鬼滅の刃」の煉獄杏寿郎について本気で語る


アニメ化された日本の漫画「鬼滅の刃」は、英題「Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba」として海外でも人気を集めており、特に映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」は全世界での興行収入5億700万ドル(約760億円)を達成して、興行収入記録を更新しています。そんな鬼滅の刃に登場するキャラクター「煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)」や「猗窩座(あかざ)」を中心に、アニメに見られる日本の宗教観や死生観について、アメリカのコースタル・キャロライナ大学の哲学・宗教学部長であるロナルド・S・グリーン教授が、専門家ならではの着眼点で論じました。

How Japanese anime draws on religious traditions to explore themes of destiny, sacrifice and the struggle between desire and duty
https://theconversation.com/how-japanese-anime-draws-on-religious-traditions-to-explore-themes-of-destiny-sacrifice-and-the-struggle-between-desire-and-duty-246960


長年日本のアニメを研究し、その物語が文化的・哲学的・宗教的な伝統とどのように結びついているかを探究してきたというグリーン氏は、「日本のアニメの最も魅力的な側面のひとつは、スリリングなアクションと深い精神的・倫理的な問いを融合させる力です」と語ります。

こうしたテーマが、アニメの中でどのように描かれているかを示す好例とグリーン氏が絶賛しているのが、「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」です。その内容に切り込む前に、グリーン氏はまず仏教や神道の伝統に根ざした日本の宗教観について解説しました。


◆アニメにおけるスピリチュアルなテーマ
アニメでは、運命や自己犠牲、欲望と義務との間の葛藤といった哲学的なテーマを扱う際に、しばしば宗教的なモチーフが用いられます。その一例が宮崎駿監督の「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」です。

グリーン氏によると、もののけ姫では自然を神や霊的存在が息づく神聖な場所として扱うことで、神道の理念を反映しているとのこと。これにより、人間と環境の調和や、その均衡が崩れるとどうなるのかが強調されています。また千と千尋の神隠しには、万物に神が宿るという日本のアニミズム思想が色濃く現れており、主人公である千尋の成長を通じて、自然の中に息づく霊性への畏敬が描かれています。

グリーン氏が言及したもうひとつのアニメが「新世紀エヴァンゲリオン」です。この作品は、日本ではキリスト教的なテーマについて論じられることがよくありますが、グリーン氏は仏教的な観念の影響を指摘し、「この作品は仏教とグノーシス主義の思想の両方から影響を受けており、内なる精神的な知恵に焦点を当て、物質世界に固執しすぎると苦しみが生じるという信念を浮き彫りにしました。その中では、苦しみは執着や意味のある関係を築けなかったことから生まれるものとして描かれています」と述べました。

by Xiao Lhang

◆無私の英雄の体現者としての煉獄杏寿郎
グリーン氏によると、「無限列車編」の特筆すべき点は、鬼とそれを狩る鬼殺隊員の戦いに象徴される、登場人物たちの内面的な葛藤だとのこと。作中に登場する人食い鬼は人間の苦しみや執着を表しており、そのテーマには仏教思想が深く影響していると、グリーン氏は分析しています。

そして、この映画の中心的な人物が、揺るぎない無私と名誉を体現する鬼殺隊員の煉獄杏寿郎です。グリーン氏が特に象徴的だとしているのが、炎を中心とした煉獄の戦闘スタイルで、火は日本文化の中では破壊と再生の両方の性質を持つ物とみなされます。


例えば、毎年10月22日に京都で開催される鞍馬の火祭は、大きなたいまつを街中に掲げて邪気を追い払い、土地を清める神道の儀式です。同様に、仏教の護摩の儀式では、僧侶が神聖な炎に護摩木をくべて、無明(無知)と煩悩の消滅を象徴します。

グリーン氏は「煉獄の技はこの二重性を反映しており、彼の炎は世界から悪を浄化すると同時に、彼の揺るぎない精神を表しています」と語りました。


グリーン氏はまた、煉獄の性格の根底には忠誠、自己犠牲、他者を守る義務を重んじる武士道があるとも指摘しています。武士道は儒教、禅仏教、神道に根ざしており、まず神道の影響は神聖な義務を守る守護者としての煉獄の役割を強調しています。

また、煉獄が母親から言い聞かされた「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」という教えは、煉獄の行動指針であると同時に、儒教における「」の価値観や社会への奉仕に関する道徳的義務を反映しているとのこと。

そして、武士道と禅仏教のつながりは、規律の重視や無常観となって現れており、これが煉獄の確固たる決意を形作っています。この点は、人生のはかなさの中に美しさを見いだす仏教の根本原理である「無常」を受け入れ、死期が近づいても動揺しなかった煉獄の最期によって象徴されていると指摘した上で、グリーン氏は「彼の犠牲は、真の強さとは無私と道徳的誠実さの中にあるものだということを教えています」と評しました。


◆執着と苦悩の象徴としての猗窩座
「無限列車編」で煉獄杏寿郎と対決するのは、力と不死への執着を体現した鬼のひとりである猗窩座です。猗窩座はかつて人間でしたが、力への執着から無常を受け入れられず鬼になったという点で、煉獄と対をなしています。

猗窩座が死を認められないことは、苦しみが執着と欲望から生まれるとする仏教の教えと一致しているとのこと。プリンストン大学宗教学部の日本宗教学名誉教授であるジャクリーン・ストーン氏のような学者らは、苦しみの根本的な原因としての衆生への執着が仏教の経典でどう論じられているかを研究してきましたが、猗窩座の性格にはこのテーマが鮮明に反映されていると、グリーン氏は指摘します。

グリーン氏はまた、全身に入れ墨が施された猗窩座の姿にも注目しています。日本の入れ墨は、歴史的に犯罪や苦悩と関連付けられた烙印(らくいん)としての側面を持っており、江戸時代には罪人の顔などに入れ墨を施す入墨刑が行われてきました。

こうした経緯を踏まえ、グリーン氏は「猗窩座の入れ墨には、彼が苦しみの輪に囚われていることを視覚的に伝え、煉獄の解放の炎との対比を強調しています」と述べました。


◆人間の闘争としての戦闘描写
グリーン氏は、劇中で描かれた煉獄と猗窩座の衝突は、単なる善と悪の戦いにとどまらず、無私と利己主義、受容と執着といった相反する世界観の相克であると論じています。「無限列車編」が日本のみならず世界中で共感を呼んだ理由は、こうした人間の普遍的な葛藤を映し出したからだとのこと。

「無限列車編」は、無常や道徳的義務、生と死の意味について考えさせることで、深遠なテーマと娯楽性を融合させるアニメの役割に貢献したと、グリーン氏は評価しています。

また、作中に登場した2人の主要キャラクターについては、「煉獄の無私の勇気や猗窩座の悲劇的な没落を通じて、『無限列車編』は目的と誠実さを持って生きることの意味について見つめ直す、時代を超えた機会を提供してくれます」と述べました。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
煉獄杏寿郎vs猗窩座の激闘を描いた劇場版「鬼滅の刃」新PV&ビジュアル公開 - GIGAZINE

日本アニメ100周年を記念して「100年後のアニメ文化のため」のプロジェクトがスタート - GIGAZINE

日本のアニメの制作システムは変えられないのか「ANIME FANTASISTA JAPAN 2024」で井上俊之・押山清高・小島崇史が激論を交わす - GIGAZINE

日本アニメではなぜ徹底的に電線が描かれるのか?を海外メディアが推察 - GIGAZINE

日本のアニメとウォシュレットとオタクのただならぬ関係を解説したムービー「Washlet & Japan Vol.1」 - GIGAZINE

アニメ大国日本の礎を築いた最初期の国産アニメ作品が無料で見られる「日本アニメーション映画クラシックス」 - GIGAZINE

in アニメ, Posted by log1l_ks

You can read the machine translated English article American philosophy professor speaks ear….