アート

19世紀オーストリアの画家グスタフ・クリムトが「金色」に執着した理由とは?


鮮やかな色彩で女性を官能的に描いた絵画で知られるオーストリアの画家のグスタフ・クリムトは、裸の女性を描いたことで当時の有力な芸術団体から反発を受けたり帝国議会で初めて文化的な議論を勃発させたりといったエピソードが有名です。また、クリムトはきらびやかに輝く金を使った作品でも知られていますが、クリムトが金の使用に執着した理由について、ニューヨークのアート系メディアであるArtnetが解説しています。

The Surprising Backstory Behind Gustav Klimt’s Obsession With Gold
https://news.artnet.com/art-world/gustav-klimt-gold-2543498


19世紀末のウィーンで展示会場を持っていたのはクンストラーハウスという保守的な芸術家団体で、オーストリアの画家はクンストラーハウスに所属することが義務のようになっていました。それに不満を持ったクリムトらは、ウィーン分離派を結成し、その後クリムトは「Nuda Veritas(裸の真実)」など官能的な裸婦画を繰り返し制作しており、クリムトの生み出した作品は「挑発的」と評されました。

クンストラーハウスとの対立や、官能的なテーマのほかにクリムトが執着していたのが「金(gold)」です。クリムトの代表作である「接吻(せっぷん)」は、一見すると派手で美しいですが、よく見ると男性の首が醜くねじ曲がっており、「男性は性欲を擬人化したもの」と解釈される「汚れた現実」を描いたものとされています。この「接吻」では、全面にわたって金箔(きんぱく)が多量に使われています。



また、1907年の「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像I」でも、全面にわたって金箔があしらわれています。「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像I」はその豪華さから2006年に史上最高値となる1億3500万ドル(当時の約160億円)で購入され、「世界で最も高価な絵画」にランクインしています。

世界で最も高価な絵画10点 - GIGAZINE


クリムトは1902年にウィーン分離派の展示会用に描いた「ベートーヴェン フリーズ」を発表しており、この作品にも金箔が使用されています。また以下は、1903年に発表された「Life is a Struggle(The Golden Knight)」という作品で、Google Arts & Cultureで詳細を見ることができます。Artnetによると、鎧(よろい)の描写は、クリムトがキャンバスに金色を取り入れることが多いテーマのひとつとなっていたそうです。


Artnetは、クリムトが20世紀初めの約10年ほど金の装飾に夢中になっていた理由について、クリムトの来歴が影響していると指摘しています。というのも、クリムトは音楽家を志していた母と、彫刻家兼金細工師の父を両親に持つ家庭に産まれました。クリムトは後年、父親と同じく彫刻家であり金細工師でもあった弟のゲオルクと仕事をするようになり、金色の額縁をゲオルクに依頼することもありました。Artnetは「これらの共同作業は、クリムトの装飾芸術への熱意、金への情熱、そして作品を形作った家族の永続的な絆を強調しています」と述べています。

そのほか、1900年にウィーン分離派会館でジャポニズム(日本趣味)展が開催されたように、クリムトは浮世絵や琳派(りんぱ)などの日本芸術からインスピレーションを得ていたと言われています。クリムトは日本の版画以外にもエジプト神話のモチーフ、印象派のモダニズムなどあらゆる芸術を好んでいました。特に6世紀ごろの東ローマ帝国の文化様式であるビザンチンのモザイク画やイコン(聖像画)では金を「永遠の領域」という意味で用いていたため、クリムトはビザンチンからインスピレーションを得て、金による永遠の感覚を表現していたと考えられます。

金箔を使用したのはクリムトだけではありません。以下は、19世紀末から20世紀始めに活躍したオーストリアの建築家であるヨゼフ・マリア・オルブリッヒが設計したウィーン分離派会館です。建物の上部には金箔状のドームがあり、その形状から「金のキャベツ」とも呼ばれています。

by Gryffindor

クリムトは多作の画家で、今日まで残っている作品は4000点以上あり、絵画作品に限っても200点以上を仕上げたと考えられています。そのうち金箔をふんだんに使った作品は代表的なごく一部の作品のみです。また、クリムトやオルブリッヒ以外にも金の装飾を使用したウィーン分離派のアーティストは何人かおり、ウィーン分離派の主要アーティストが作ったウィーン工房が制作したオブジェクトの中で、金や金箔を使ったオブジェクトやディテールは非常に人気がありました。クリムトは自身の作品に金色を使うことで作品に意味を込めると同時に、金色を通じて当時のデザインや他の芸術家たちと対話していたとのこと。その結果、「金色はウィーン分離派の芸術家たちの非常に現代的な感性を反映したものになりました」とArtnetは結論付けています。

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in アート, Posted by log1e_dh

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