サイエンス

中世スペインのキリスト教徒が暮らした洞窟の調査で近親交配や暴力の痕跡が浮かび上がる


スペイン北部に位置するブルゴス県トレビーニョ郡には、岩肌をくりぬいて作られた洞窟に中世のキリスト教徒らが住んだ集落跡であるラス・ガボス(Las Gobas)遺跡があります。この洞窟から出土した遺骨の調査により、人里を離れて生活していた当時の人々が疫病や剣による流血を経験したことが判明しました。

Five centuries of consanguinity, isolation, health, and conflict in Las Gobas: A Northern Medieval Iberian necropolis | Science Advances
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.adp8625

DNA reveals secrets of cave-dwelling medieval community that survived conquest and epidemics
https://theconversation.com/dna-reveals-secrets-of-cave-dwelling-medieval-community-that-survived-conquest-and-epidemics-235936


ラス・ガボス遺跡には6世紀半ばから11世紀ごろまで人が住んでいたといわれており、イベリア半島がイスラム勢力に支配される前後における、都市部を離れた人々の暮らしを垣間見ることができます。

また、付近にある墓地からは41人分の遺骨が出土しており、そのうち39人の遺骨は遺伝子分析が行われています。分析によって33人(男性22人と女性11人)の性別が判明し、さらに28人からはより詳細な調査に必要なDNAが得られています。


まず、この地域はイベリア半島におけるイスラム支配領域、いわゆるアル=アンダルスの北端に位置しているにもかかわらず、入植の中心となったベルベル人などの北アフリカ人の影響はごくわずかで、住民の圧倒的多数は地元のイベリアの人々だったことがわかりました。

また、入植初期にさかのぼる遺骨のうち2つには、剣による頭部への打撃が原因とみられる暴力の痕跡がありました。この2人は遺伝的に近縁関係にあり、驚くべき事に1人は刃が頭蓋骨を突き破るほどの重症を負ったにもかかわらず、しばらく生存したとのこと。2人が剣で襲われた時期はイスラム教徒がこの地域を征服する前であるため、2人が負った傷はイスラムとの戦いによるものではないとされています。

以下のうち、左が頭部に深手を負った後に生存した人の頭蓋骨で、右は傷が原因で死亡した人の頭蓋骨です。


また、遺伝子解析には近親交配の痕跡が色濃く表れており、分析が可能なゲノムデータがあるサンプル23件中14件、割合にして約61%に近親交配の兆候が見られました。これは、当時の人々がコミュニティ内同士で婚姻する族内婚を行っていたことを示唆しています。

族内婚の痕跡は、10世紀ごろに住人の大半が洞窟から付近の農村集落に移住し、ラス・ガボス遺跡を教会と墓地として利用するようになってからも続いたとのこと。

最も古い男性の何人かが近親者だったのも判明していることから、研究者は「7世紀頃には戦争の経験があったかもしれない父系集団、つまり夫婦が夫の家庭に属するような人々の小さなグループが住んでいた可能性があります」と述べています。

初期の遺骨からは、豚から人に感染して皮膚病を引き起こす豚丹毒菌の痕跡がいくつか見られました。これは、養豚がこの地域での生活に欠かせないものだったことを示唆しています。

西暦569年頃(左)と10世紀頃(右)のイベリア半島の地図。西暦569年頃にはイベリア半島の大部分が西ゴート王国(REGNUM VISIGOTHORUM)の勢力下にありましたが、10世紀頃にはイスラム王朝である後ウマイヤ朝(Caliphate of Córdoba)の勢力が広がっていることがわかります。


また、末期である10世紀の個人からは、天然痘ウイルスのDNAも検出されました。イベリア半島の天然痘はイスラム教徒が持ち込んだものだとする説もありますが、ラス・ガボス遺跡の天然痘は同時期にスカンジナビアやロシア、ドイツなどで発見されたものに類似しており、パンデミックの感染ルートの少なくとも一部は東からだったと考えられています。

この遺跡について、調査にあたった研究チームの一員であるストックホルム大学の考古学者のRicardo Rodriguez Varela氏とAnders Götherström氏は「9~10世紀のキリスト教巡礼者の間でサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の重要性が高まったことに象徴されるように、人々の移動がウイルスのまん延を助長した可能性があります。このように、ラス・ガボス遺跡はイベリア半島が激動期にあった中世初期の時代を反映するユニークな遺跡として際立っています」とコメントしました。

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in サイエンス, Posted by log1l_ks

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