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少女性愛を描いた「ロリータ」の出版時に起きた「わいせつ」としての規制と「優れた文学」として出版を進める闘争とは?


ロシア生まれの作家であるウラジーミル・ナボコフ氏の小説「ロリータ」は、少女性愛者のハンバート・ハンバートと、ハンバートが愛する少女ドロレス・ヘイズとの関係を描いた作品で、1955年にフランスで出版された後に、一部の国ではベストセラーとなり、5カ国ではポルノ文学として発禁処分を受けています。そのような「ロリータ」を取り巻く伝説の編集者や文学界と司法や政府も巻き込んだ闘争を、ベストセラー作家でジャーナリストのトーマス・ハーディング氏が解説しています。

How Obscenity Laws Nearly Stopped Nabokov’s Lolita from Being Published ‹ Literary Hub
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「ロリータ」はもともと、1955年9月にフランスで出版されました。「ロリータ」を出版したオリンピア出版は、ポルノ専門で知られる会社でありながら、挑戦的な文学タイトルの出版でも実績がありました。書版発行部数は5000部でしたが、出版当初「ロリータ」はほとんど注目されなかったとハーディング氏は指摘しています。

by Markus Zavalla

フランスでの出版から数カ月後、「ロリータ」のコピーが少数だけイギリスに「密輸」されました。「ロリータ」のコピーは20世紀イギリスの著名な小説家であるグレアム・グリーン氏の手に渡り、グリーン氏が寄稿していたサンデータイムズで好意的にレビューされました。一方で、レビューの直後にタブロイド紙のサンデー・エクスプレスでは「ロリータ」を「まったく無制限のポルノ」と痛烈に批判する記事が掲載され、その後イギリスの内務省は国内にある「ロリータ」のコピーをすべて押収するよう命じています。

そのような規制の中で、「ロリータ」の出版に貢献したとして知られているのがジョージ・ヴァイデンフェルド氏という編集者です。ヴァイデンフェルド氏は初めて「ロリータ」を読んだ時に「出版したい」と思ったと語っています。周囲の人からの反対や、法的な問題もありましたが、一方で当時イギリス労働党が新たな「わいせつ法」を議会に通す方向に動いており、新法案では政府が出版を差し止めた作品について、出版社は著者や学者に証言を求めることで本の文学的価値を主張できるようになっていました。依然として出版停止に伴う巨額の損失のリスクはありましたが、「ロリータ」にはそれだけの価値があるとヴァイデンフェルド氏は考えていました。

by julochka

1958年夏ごろ、弁護士との協議やビジネスパートナーであるナイジェル・ニコルソン氏の同意も得て、ヴァイデンフェルド氏はニューヨークに住むナボコフ氏に出版の許可を取りました。ヴァイデンフェルド氏はナボコフ氏に宛てた手紙の中で、「この機会を利用して、私と同僚がこの本にどれほどインスピレーションと感動を感じているか、そしてこの本がこの分野で威厳と成功を収めて発売されることを私たちがどれほど決意しているかをお話しさせてください」と「ロリータ」に感銘を受けた旨を語っています。同年11月には合意に達し、ナボコフ氏は「『ロリータ』の英語版が近づいている」と手紙に残しています。

ヴァイデンフェルド氏が「ロリータ」を出版するつもりだというウワサが流れ始めた結果、後にイギリス首相となるエドワード・ヒース氏が出版の中止を進言したり、当時の司法長官がニコルソン氏に「『ロリータ』を出版したら裁判にかけられることになる」と忠告したりと、さまざまな圧力がありました。ニコルソン氏は「わいせつ法案が可決された後でも裁判は起こせますか?」と尋ねたところ、司法長官は「それは関係ありません。『ロリータ』は完全にわいせつな内容です。私はあなたに明確な警告をしました」と回答しています。

1958年12月に新しいわいせつ法案が下院で審議された際には、議事の途中でニコルソン氏が「ロリータ」出版の計画について直接提起し、芸術作品とわいせつ作品についての主張が行われました。また、「ロリータ」はこの時点でフランス、イタリア、アメリカで出版されており、アメリカでは25万部以上売れた文学的に価値の高いものだとニコルソン氏は述べています。ニコルソン氏は主張の中で「『ロリータ』は12歳の少女に対する中年男性の倒錯的な愛を扱っています。この行為が幸福に繋がると示唆されているなら、私も問題のある作品だと考えたかも知れないが、実際には『ロリータ』ではこの倒錯的な愛への非難が組み込まれています。この倒錯は、男と少女の両方に悲惨な不幸をもたらします」と「ロリータ」の文学的価値について語っています。


ニコルソン氏が「ロリータ」出版を公に宣言した後、ヴァイデンフェルド氏は多くの作家や学者、知識人などから「ロリータ」出版を支持する署名を集めました。一方で、カトリックの週刊評論紙であるThe Tabletで編集者を務めるダグラス・ウッドラフ氏は「もし文学的価値が、常に主張されるような規制対象のものに完全な免除を与えるとすれば、公序良俗の主張は、自由と芸術の主張に対して何の価値も持たないことを意味します」と批判的な意見を述べています。

ヴァイデンフェルド氏は新しいわいせつ法案の可決を待ちつつ、「ロリータ」を出版するための印刷業者を探していました。しかし、複数の印刷業者に連続して断られた他、イギリス最大の印刷会社であるクレイ・アンド・カンパニーのリチャード・クレイ氏には、「『ロリータ』の出版について訴訟を起こされた時のリスクを考えると、危険を冒すことはできません」と回答されました。印刷会社からの拒否は30件以上続いたものの、1959年の5月頃にはシェンヴァル・プレスという会社が「新わいせつ法案が成立次第印刷することに同意しました」とヴァイデンフェルド氏はナボコフ氏に報告しています。翌月の6月15日、わいせつ法案は修正を加えてイギリス貴族院を通過しました。

印刷された約2000部の「ロリータ」は1959年10月末までに全国の書店に送られ、ナボコフ氏は宣伝のためにロンドンへ向かいました。11月1日にはヴァイデンフェルド氏はナボコフ氏と初めて対面し、ニコルソン氏や労働党の政治家も合わせて「ロリータ」のリリースを決断しました。そして11月5日の午後10時ごろ、イギリス内務省から電話があり、「私はあなたたちの大義を大いに支持します。『ロリータ』に関する起訴は行いません」と連絡がありました。

by SLPTWRK

出版以後も依然として「ロリータ」に対する批評は大きく分かれていましたが、「ロリータ」の初回印刷分は即完売となり、第2版も第3版も同様に即座に売り切れ、2週間で8万部以上が売れたとされています。ニコルソン氏は「私自身を含む多くの落胆に直面しても、ジョージ・ヴァイデンフェルドの神経は持ちこたえていました。これは彼にとっての勝利です」と述べています。ヴァイデンフェルド氏は「ロリータ」出版の成功について、「『ロリータ』はイギリスのわいせつ法自由化における、画期的な作品となりました」と後に語っています。

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in メモ, Posted by log1e_dh

You can read the machine translated English article What was the regulation of 'obscene' tha….