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任天堂は20年以上前からゲームボーイカラーにウェブサイトの閲覧やライブストリーミングの導入を計画していた


1998年に発売された任天堂の携帯型ゲーム機で、カラー液晶を搭載したゲームボーイが「ゲームボーイカラー」です。このゲームボーイカラーでメールの送受信やウェブ検索、写真の送信、ライブ映像のストリーミングを可能にするという幻の周辺機器「PageBoy」を、レトロゲーム関連のYouTubeチャンネル・DidYouKnowGaming?が解説しています。

Page Boy: Nintendo's LOST Game Boy Add-on - YouTube


携帯ゲーム機はゲームをプレイするだけでなく、周辺機器によってゲーム以外の機能を追加することができるものもあります。例えば以下の画像はセガが1990年に発売したカラー液晶の携帯型ゲーム機であるゲームギアで、TVチューナーパックを挿すことでアナログテレビが見られるというものでした。


ゲームボーイも多くの周辺機器が登場しました。DidYouKnowGaming?は、ゲームボーイを電卓やスケジュール帳、連絡帳などとして使える「WorkBoy」を紹介しています。


WorkBoyは任天堂とイギリスのゲーム開発スタジオであるSource R&D、任天堂のアメリカ法人であるNintendo of Americaの元幹部が創設したゲームパブリッシャーのFabtekが共同開発したものだとのこと。


WorkBoyの本体がコレ。QWERTY配列のキーボードで、ゲームボーイと接続して使います。


結局WorkBoyは発売には至らなかったとのことで、DidYouKnowGaming?が動かして見せているのはあくまでもプロトタイプ版。


ただし、Workboyの開発者だったエディー・ギル氏はマキシム・フィリップスに入社し、このWorkboyの開発コンセプトをそのまま受け継いだ携帯電話コミュニケーターの開発に携わります。この携帯電話コミュニケーターはのちにNokia 9000 Communicatorにつながっていくことになります。


そして、1997年にマキシム・フィリップスを退社したギル氏が目をつけたのがゲームボーイカラーでした。ギル氏はWorkBoyの開発でも一緒だった兄を誘い、ゲームボーイカラーの周辺機器の開発に着手しました。


ギル氏はゲームボーイカラー向け拡張機器を「Page Boy」開発チームを「Wizard」と名付けました。


さらに、NoAの元幹部であるフィリップ・バロウズ氏もこのWizardの後ろ盾となっていました。バロウズ氏はPage Boyの詳細を聞き、すぐにNoAと交渉する場を設けてくれたとのこと。


WizardはNoAにPage Boyのコンセプトを紹介し、プレゼンテーションの中でゲームボーイカラーの画面解像度でレンダリングされた画面のサンプルを提示しました。


以下がそのプレゼンで紹介されたタイトル画面の予定図。


「Page Boy」という名前の通り、Page Boyはスケジューリングソフトというよりも、ウェブページや電子化した雑誌を閲覧することを主な目的としていました。特にNoAが発行していた人気雑誌「Nintendo Power」を読める機能や、ゲームの新作情報を映像で見られる「ゲームボーイTV」を閲覧できるという点が非常に斬新でした。つまり、ギル氏はゲームボーイカラーで、現代のニンテンドーダイレクトを可能にしたいと考えていたというわけです。


通信は有線ではなく、Page Boy本体に内蔵された無線モデムによるワイヤレス通信で行い、プリセットされたフォントやアニメーションを使うことで、データ使用量を最小限に抑えて読込速度を高速化し、1分あたり400文字程度の送受信を行えるようにすると想定されていました。さらに、ポケットカメラと併用して自撮り写真を相手に送信したり、相手から受け取った写真をポケットプリンタで印刷するアイデアもあったそうです。


もちろん時計機能やカレンダー機能など、WorkBoyに搭載されていた機能がさらに強化されてPage Boyにも搭載されることが計画されていました。


また、これらのアイデアを実現するため、Page Boyはゲームボーイカラーのカセットスロットに差し込んで使う、かなり大型の周辺機器になる予定でした。


Page Boy本体の背面側にはクリップがついており、ゲームボーイカラーを腰にぶら下げられるという点もユニーク。


当時NoAの社長だった荒川實氏はこのプレゼンテーションに大きな関心を示し、Wizardと協力することに合意しました。


Page Boyの開発は1999年から2002年にかけて、3年間にわたって行われました。当初は非常に魅力的な企画内容でしたが、開発が進むにつれて次第にこのアイデアがアメリカなどの限られた市場でしか実現できないことがわかってきました。日本の任天堂本社では、世界中で利用可能であることこそがゲームボーイカラーというデバイスの魅力の核であると認識していたため、Page Boyに難色を示したとDidYouKnowGaming?は伝えています。


結果としてPage Boyは2002年7月頃に開発が中止となりました。ただし、ゲーム機本体にさまざまな情報を配信するというアイデアは、スーパーファミコンのサテラビューに始まり、任天堂がかねてから挑戦してきたものと重なっており、結果としてWiiに受け継がれています。


なお、Page Boyの開発が終了する直前の2001年に、日本ではゲームボーイカラーに携帯電話やPHS端末を接続して通信が行える「モバイルアダプタGB」が発売されています。モバイルアダプタGBを使うことで、ゲームボーイカラーから任天堂のモバイル版ホームページにアクセスすることが可能となり、一部ソフトでは友達と通信プレイも可能となっていました。

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in 動画,   ゲーム, Posted by log1i_yk

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