サンタクロースはソ連での激動をどうやって生き抜いたのか?
by stokkete
サンタクロースといえば「赤い服を着てトナカイの引くそりに乗ったおじいさん」というイメージが一般的ですが、実は国によって風習やイメージが異なるとのこと。ロシアでは青い服を着て、孫娘と共に現れるジェド・マロースがロシア版サンタクロースとして知られています。平和的なイメージのあるサンタクロースとは対照的に、過去100年、暴力と政治に翻弄(ほんろう)されたジェド・マロースの激動の歴史に、海外メディアのAtlas Obscuraが迫っています。
How Santa Survived the Soviet Era - Atlas Obscura
https://www.atlasobscura.com/articles/soviet-santa
そもそも、サンタクロースにはさまざまなパターンがあるものの、その起源はキリスト教以前に存在した、北欧神話に登場する戦争と死の神「オーディン」にあると考えられています。オーディンはひげをはやし、空飛ぶ馬に乗り、冬至のお祭りユールタイド(ユール)に関連させられてきました。キリスト教がヨーロッパを席巻するとユールの風習はクリスマスの風習となり、オーディンのイメージが教区の貧しい娘にひそかに持参金を恵んだ聖ニコラオスのイメージと混ざりあい、サンタクロースが作り上げられたと考えられています。
そこからサンタクロースのイメージは分岐し、オランダではシンタクラース、フィンランドではヨールプッキ、ハンガリーではミクラス、そしてロシアではジェド・マロースが生まれました。
by ergeev Pavel
ロシア皇帝のもとでクリスマスは主要な祝日の1つでしたが、イースターほど重要視されておらず、当時は「お祭り」という認識もなかったとのこと。18世紀のロシア帝国は数多くの地域を支配しており宗教的にも多様でしたが、大部分がロシアかベラルーシであり、キリスト教徒の多くは東方正教会に属しました。このことが、ロシア帝国やソビエト連邦でのサンタクロースの運命を、大きく左右することになります。
ジェド・マロースのイメージは、19世紀の劇作家であるアレクサンドル・オストロフスキーが書いた「雪娘」に由来すると考えられています。オストロフスキーは商人社会や腐敗した貴族社会を作品で描く政治的作家であり、その作品の中でおとぎ話の雪娘は異色ともいえます。
物語には雪娘(スネグーラチカ)と、その祖父であるジェド・マロースが登場します。マロースは古いロシアの神話に登場する雪の精ですが、ロシアでは厳しい冬は翌年の収穫を約束するものであり、雪の精は必ずしも邪悪なものではありません。しかし、当時のロシア帝国では、オストロフスキーの劇が登場するまでマロースや他の異教の存在に注目が集まることはなかったそうです。
by Uuuiiiccc
雪娘は人気のオペラとなり、スネグーラチカやマロースは教養人からの関心が高まりました。セントラルフロリダ大学の歴史家であるウラジミール・ソロナ氏によると、雪娘をきっかけに都市部でサンタクロースやツリー、子どもたちへの贈り物というイメージが形成されていったとのこと。そして、3頭の空飛ぶ馬が引く馬車に乗り、青や白の服を着て、魔法の道具を持ち、孫娘のスネグーラチカと共に子どもに贈り物を配る「ロシア版サンタクロース」が完成しました。
東方正教会はキリスト教のものではないサンタクロースに感心を示しませんでしたが、迫害もしませんでした。しかし、その後、1917年の共産主義革命で組織的な宗教を廃止し、ソビエト連邦で無神論を確立しようという動きがあった際に、「明白に宗教的な祝祭」は取り除かれました。この時代、教会は破壊され、司祭は処刑され、政府はより科学的・反宗教的なプロパガンダで攻撃されました。プロパガンダの1つでは家庭の窓からクリスマスツリーの有無が監視され、クリスマスツリーがある家庭は「問題」に巻き込まれることになったとのこと。
このようなムーブメントは都市部で「宗教を実践すること」に対する人々の恐怖心をあおりました。しかし、1935年ごろから再び冬の祝日がクリスマスではなく「Novy God」(新年)として受けいられていき、1950年までには冬の行事として確立されるようになります。このため、過去40~50年にわたってクリスマスではなく「新年のツリー」が飾られ、新年を祝うジェド・マーロスが現れたそうです。当時、キリスト教は敵視されていましたが、マーロスはキリスト教以前に起源を持っていたため、ソビエト連邦の指導者にも認められたとのこと。マーロスは宇宙開発競争の際には馬車ではなく宇宙船に乗り、共産主義的な勤勉で筋肉質な人物として描かれることもありました。
そして1991年にソビエト連邦が崩壊し、宗教的慣行は再び認められるようになりました。しかし、人々は先祖にわたってクリスマスを祝ったことがなかったため、うまくなじめなかったそうです。ウォータールー大学の歴史家であるアレクサンダー・スタティエフ氏は、「ロシア、ベラルーシ、モルドバ、ウクライナといった国に住んでいる人の大多数は、新年をクリスマスよりもはるかに重要な祝日として認識しています。人々にとってクリスマスは宗教的なものではなく、単にパーティーをする日だと認識しています」と語りました。
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