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インターネットを知らなかった囚人が年収1000万円以上のエンジニアになるまでの物語

by AlfredMuller

2019年時点で38歳のザカリー・ムーア氏は、15歳で人を殺し、終身刑を言い渡されて20年以上を刑務所で過ごしました。ニュースメディアThe Hustleが、そんなムーア氏が刑務所で罪を償い、シリコンバレーの有力企業に就職して年収10万ドル(約1080万円)を手に入れるまでの経緯を追いかけました。

How one man went from a life prison sentence to a $100k+ engineering job
https://thehustle.co/how-one-man-went-from-a-life-prison-sentence-to-a-100k-engineering-job/

◆殺人から更正まで
ムーア氏が生まれたのは、カリフォルニア州レッドランズの郊外にある閑静な住宅街でした。中流階級の家庭に生まれ育ち、普通の子どもと同じようにスポーツやビデオゲームを楽しんで過ごしていたムーア氏ですが、家庭の内側は問題だらけでした。

というのも、ムーア氏の両親はともにアルコール依存症で、ムーア氏は日常的に家庭内暴力や、ネグレクトなどの虐待を受けていました。その影響により、ムーア氏は10代になるころには自分の感情をコントロールすることができなくなり、ムーア氏自身もアルコールや薬物におぼれるようになってしまいます。

by Laura M

こうして迎えた1996年11月8日の夜、ついに感情の爆発を抑えられなくなったムーア氏は、ナイフで弟を刺し殺してしまいました。この時ムーア氏は15歳でしたが、当時のカリフォルニア州法では15歳でも成人と同じ扱いを受けることになっていたため、ムーア氏は成人と同様に殺人罪で有罪判決を受け、刑務所に収監されることになりました。

ムーア氏は刑務所に入ったばかりのころを振り返って、「刑務所はまるで高校と同じでした。囚人たちは精神的には10代の子どものような30代・40代・50代の男たちの集まりでしたから」と話しています。刑務所では常にトラブルの渦中にあったムーア氏は、ほどなくして独房に移され、1日に23時間は誰とも接触できない状態に置かれてしまいます。そこで初めて自分を見つめ直す機会を得たムーア氏は、「弟をあやめたのは環境のせいではなく自分自身のせいだ」ということにやっと気がついたとのこと。


こうして心を入れ替えたムーア氏は、同じように自分自身を変えようとしている人たちのグループに仲間入りしました。こうしたグループは、他の囚人たちの嘲笑の的となっており、いじめを受けることもままありましたが、その度に兄弟愛のような絆で結ばれた仲間同士で励まし合いました。そして、仏教の教えを学ぶための集まりや、瞑想を行うグループの助けを借りて「雑念を払う」すべを身に付けたムーア氏は、アイアンウッド州立刑務所の獄中でコミュニティ・カレッジの通信講座を履修。0~4までの5段階評定のGPAで3.89ポイントの成績で短期大学士の課程を修了しました。

そんなムーア氏が目にしたのが、社会復帰推進団体「The Last Mile(TLM)」のパンフレットでした。

◆The Last Mileとは?
TLMを立ち上げたのは、シリコンバレーで活躍する起業家で投資家でもあるクリス・ レドリッツ氏です。レドリッツ氏は2010年のある日、ビジネスの講師としてサン・クエンティン州立刑務所に招かれました。

by public domain

レドリッツ氏はその時の印象を「一体どんな悪人どもに会わされるのか戦々恐々としていましたが、すぐに受刑者たちが学びと自己表現の手段を見つけられないでいる起業家の卵だということが分かりました」と述懐しています。

受刑者たちの可能性を見抜いたレドリッツ氏は、さっそく妻ビバリー夫人とともにTLMを設立しました。最初は隔週での起業家育成プログラムを実施していたレドリッツ氏ですが、すぐにこのやり方には根本的な見直しが必要だということに気が付きます。それは、囚人たちの社会復帰が困難だという現実です。

カリフォルニア州では、刑務所から釈放された囚人は10ドル(約1000円)から200ドル(約2万円)の現金を渡されますが、ほとんどの場合仕事や住む場所の当てはありません。そのため、10人中7人が3年以内に再び罪を犯し、刑務所に戻ってきてしまいます。

職業訓練の必要性を痛感したレドリッツ氏は、複数の財団から資金提供を受けて印刷工場をテクノロジーセンターに改装。ただし、犯罪者にオープンなインターネットを使わせるわけにはいかないため、本物のインターネットとは隔離された疑似的なネットワークを構築して、そこにPCを接続することにしました。

こうして、レドリッツ氏がアイアンウッド州立刑務所でコーディング講座を開始したときに、最初にプログラムに申請してきた受講生の1人がムーア氏です。1996年からずっと塀の中にいるムーア氏は、人生の中でPCに触ったのは3回だけで、インターネットなど見たこともありませんでした。ムーア氏は、その時の心境を「IT技術のことなど何も知りませんでしたが、これが一生に一度のチャンスだと思いました」と話しています。

カリキュラムの受講資格を得るための試験に合格したムーア氏は、制限された環境の中でスキルを習得し、トップの成績で講座を卒業しました。また、サン・クエンティン州立刑務所でより高度なアルゴリズムやデータサイエンスについての追加プログラムを実施していることを聞きつけて、サン・クエンティン州立刑務所への移管を申請し、受理されます。

◆仮出所
サン・クエンティン州立刑務所に移ったムーア氏の耳に、あるニュースが飛び込んできました。それは、カリフォルニア州法の改正により、犯行当時18歳未満だった者に対し、刑期短縮に向けた仮出所の審理を受ける権利が与えられるというニュースです。

by Holger Detje

2018年に開かれた査問会で仮出所が許可されたムーア氏は、死に物狂いで追加プログラムを修了しました。TLMの手配でムーア氏に与えられた最初の仕事は、麻薬や強盗の罪で15年以上も服役していた元囚人のデイブ・ダール氏が立ち上げたオーガニックパンの販売会社Dave's Killer Breadのサイトを作成することでした。

こうした働きにより2018年11月12日についに出所を果たしたムーア氏は、TLMから衣服とPCを与えられ、元犯罪者向けの一時施設に入居しました。その後、ムーア氏は半年間TLMのパートタイムエンジニアとして働いてから、シリコンバレーのインターンシップに応募することを決意しました。ムーア氏は「そのままではとてもシリコンバレーの企業に雇ってもらえるなんて思えなかったので、面接の練習をしました」と話しています。

その後、2019年5月にシリコンバレーのスタートアップであるCheckrにインターン採用されることが決まったムーア氏は、9月には正社員として雇い入れられました。

Checkrとは、アメリカの大手新聞社であるThe New York Times誌から「潜在的なユニコーン企業」と評された企業で、身辺調査サービスを主な事業としています。また、元犯罪者の受け入れにも積極的で、従業員の6%は犯歴があるなどのさまざまな理由で「公平なチャンスが必要な人材」だとのこと。

Checkrの広報担当者はThe Hustleの取材に対し、「有罪判決が事実上の終身刑となるべきではありません。もし誰かが自分の人生に変化を起こそうとしているのなら、その人は過去にとらわれて未来を閉ざされるべきではないのです」と答えています。

ムーア氏は、その後両親と再会を果たしましたが、過去と折り合いを付けるのは難しかったとのこと。ムーア氏は「なにより自分で自分を許している未来が想像できません。弟にはもうやりなおす人生も、クリスマスも、感謝祭のお祭りも、誕生日もないのですから」と話し、悔いても悔やみきれない気持ちを吐露しました。

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in メモ, Posted by log1l_ks

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