寿司に欠かせない「海苔」の生産を救った知られざるイギリス人植物学者とは?
世界で最も人気のある日本食の一つである「寿司(すし)」にとって不可欠な「海苔(のり)」は、江戸時代までは養殖技術が確立しておらず、不安定な生産量から「運草」と呼ばれるほどでした。しかし、第二次世界大戦後にイギリス人植物学者のKathleen Mary Drew-Baker(キャスリーン・メアリー・ドゥルー=ベーカー)博士が執筆した論文がきっかけで、日本で海苔の安定的な生産が可能になり、今日のすし文化を大きく支えることになりました。Ars Technica UKが知られざる海苔生産技術の確立に貢献した「海の母」についてまとめています。
How an unpaid UK researcher saved the Japanese seaweed industry | Ars Technica
https://arstechnica.com/science/2017/11/how-an-unpaid-uk-researcher-saved-the-japanese-seaweed-industry/
ベーカー博士はイギリスのマンチェスター大学で藻類について研究する植物学者で、大学では講師として教壇に立っていました。しかし、当時のイギリスの大学では、女性研究者は結婚すると未払いになるという慣例があり、植物学者のヘンリー・ライト=ベーカー博士と結婚をしたことで、研究者としての給与をカットされ無給の講師として働いていたそうです。
大学から給料をもらえないベーカー博士でしたが、ウェールズの海岸でとれるPorphyra umbilicalisという藻類について研究は続けていました。Porphyra umbilicalisは世界的には無名の存在ですが、ウェールズ地方では伝統的にパンやスープに入れて食べる海苔の原材料として知られている藻類だとのこと。当時、誰からも注目されていなかったPorphyra umbilicalisのライフサイクルを研究するために、ベーカー博士は夫とともに海辺に私費の研究室を作ったそうです。
ベーカー博士は、当時、Porphyra umbilicalisとは別の種類の藻類として知られていたConchocelisというピンク色の細い糸のような植物に注目しました。Conchocelisが大量に繁殖して夏に海面がピンクに色づく年には、冬に海苔の原材料であるPorphyra umbilicalisが大量に獲れることに気づいたベーカー博士は、二つの植物の生育の関連性を調べることにしたというわけです。
ベーカー博士の調査の結果、死んだ牡蠣などの貝殻に付着してピンク色になるConchocelisは、なんとPorphyra umbilicalisが送り込んだ胞子が育ったものと判明。つまり、それまで異なる藻類と考えられていたPorphyra umbilicalisとConchocelisは同一の植物だったというわけです。ベーカー博士は1949年にこの発見を論文「Conchocelis-Phase in the Life-History of Porphyra umbilicalis」として発表すると科学誌Natureに掲載されることになりました。
時同じくして戦後復興に努めていた日本では、海苔の生産が大ピンチに陥っていました。江戸時代から和紙の製法を応用する形で海苔の養殖技術が確立されていましたが、海苔の胞子を定着させて成長させる採苗(さいびょう)を人工的に作ることはできず、主に海苔職人の経験と勘を頼りにした生産が行われており、年によって生産量に大きなばらつきがありました。特に、戦後復興の過程で工業化が進むと、海苔の生産は大打撃を受け、1950年ころには全国から海苔の生産地が消えかねないほど深刻な状態に陥ったそうです。
ベーカー博士と親交のあった九州大学の瀬川宗吉博士は論文に書かれた事実を聞かされると、ウェールズの海で成り立つことは日本の海でも成り立つはずだと考えて日本の海苔への応用研究を開始。1953年に熊本県水産試験場技師の太田扶桑男氏が牡蠣の貝殻を利用した人工採苗の製造に成功し、海苔を人工的に養殖することに成功しました。この後、瀬川博士に続いた研究者たちの成果によって、海苔が安定的に生産できるようになり、日本の海苔養殖業は劇的な復活を果たしました。
遠く日本から離れたイギリスの研究者の発見が、工業化できないと思われた海苔の完全人工養殖を実現し、その後、世界中で愛されることになる「すし文化」を支えたという歴史は、「地球規模の物語」と言えます。海苔のライフサイクルを発見したベーカー博士は、1952年にイギリスのPhycological Society(藻類学会)の初代会長に選出されましたが、1957年にがんのため55歳の若さで亡くなりました。ドゥルー博士の功績については、海苔漁業者からの寄付によって「Mother of the Sea(海の母)」と刻まれた記念碑が熊本県の住吉自然公園に建てられ、毎年4月14日に「ドゥルー祭」という形で、偉業がたたえられています。
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