核攻撃に備えたDIYシェルターはどのように流行して廃れていったのか
アメリカには核爆弾による攻撃があることを想定して、放射性降下物から身を守るためのシェルターが各地に存在します。このシェルターの中には一個人がDIYで作ったものも数多く存在しますが、どのようにしてDIYシェルターが人気を集めていき、そして廃れていったのか、歴史を紐解くムービーが公開されました。
The rise and fall of the American fallout shelter - YouTube
コンクリートを練る男性の白黒映像。
作ったコンクリートを割ったりと、日曜大工にいそしんでいるように見えますが……
実は、この映像は核シェルターの作り方を一般人に向けて解説した、連邦政府による映像。
アメリカでは1950年代から1960年代にかけて「核シェルターブーム」が起こり、一般の人々によって各地にシェルターが作られました。画像で男性が立っている駐車場にも、核シェルターのマークが表示されています。
以下は当時の映像を切り取ったもの。「現代のアメリカの家庭に家族用各シェルターはなくてならないもの。今は核の時代なのです」と語られています。
このような民間防衛の動きは1950年代から1960年代にかけて活発化したもの。しかし、その始まりは1933年にフランクリン・ルーズベルト大統領によって国家有事会議が持たれたころから見られます。そして第二次世界大戦がヒートアップするにつれ、国防の意識は高まっていき、1949年にソビエト連邦が核爆弾の実験を行っているとわかると、より民間防衛の重要性が叫ばれるようになります。
1950年、自宅における防衛方法を推進すべく、議会は連邦民間防衛本部(FCDA)を創設。
アメリカでは避難行動のことを「Duck and Cover」と呼びますが、Duck and Coverが一般に対して呼びかけられるようになったのはこの頃から。以下はバートという亀を主人公としたアニメ。「Duck and Cover、危険が彼を脅かしても、彼が傷つくことはありません。何をすればいいのかを彼は知っているからです」という歌詞の歌が流れます。
バートが後ろを振り向くと、そこには爆弾。
サルが持っている爆弾が爆発し……
サルごと周囲は消滅しますが、甲羅の中に隠れていたバートは一命を取り留める、という内容です。
アニメーションによってDuck and Coverの重要性が説かれ、学校でも子どもたちを対象にDuck and Coverの訓練が行われるようになります。
一見するとバカバカしく思えますが、バートのアニメーションは決して冗談目的で作られたものではありませんでした。
当時、ソビエト連邦の核爆弾はアメリカの脅威でしたが、一方で威力が限られており、飛行機で落とされるタイプのものでした。つまり、市民は迫り来る脅威を目で確認することが可能であり、建物の中に入って頭を覆うという行為によって生死が分けられると考えられたからです。
ソビエト連邦の脅威に対抗して1952年にアメリカが行った水爆実験は、これまでに存在したいかなる武器よりも大きな威力を発揮しました。
司令室からカウントダウンが行われる様子。
「これまでに見た火球で最大のものです」
「後から把握したことには、マイク実験は10メガトンもしくは1万キロトンの核出力を記録。これは1発で、過去の核爆弾全てを合わせた威力の10倍以上のエネルギーを放出したことを意味します。また、英米がドイツやその植民地に落とした爆弾全てを合わせたものの約4倍のエネルギーを持ちます」
そして翌1953年にはソビエト連邦が水爆実験を行ったと発表したことによって「Duck and Cover」は時代遅れのものとなりました。FCDAは妥当性が疑問視され、アイゼンハウアー大統領が軍による抑止を優先したこともあり、FCDAは廃止されるべきではないかとも考えられましたが……
1954年にビキニ環礁などで行われた核実験「ブラボー実験」などによって、やはり民間防衛は必要だと判断されます。ブラボー実験ではアメリカが行った危険水域の設定が不十分だったため、放射性降下物によって2万人以上が被爆しました。
これによってFCDAが注意を促すものの中心が爆弾ではなく放射性降下物に移行します。
そして放射性降下物を避けるために、FCDAや関連組織が核シェルターの必要性について説き始めました。
1957年にソビエト連邦が大陸間弾道ミサイルが開発され「建物の中に避難する」という方法が時代遅れになってしまったことで、核シェルターの重要性がさらに増します。
しかし、市民が避難できるよう核シェルターを作るには膨大なコストがかかったため、アイゼンハウアー大統領は「市民に自分で核シェルターを作ってもらう」という方法をFCDAを通して提案します。
「私たちはみんな助け合わなければいけません。家族全員が放射性降下物についてや、自分自身を守る方法を理解するべきです」と語るアニメーションも。
核シェルターをDIYで作る方法も公開。
その後、1961年にケネディ大統領がスピーチでベルリンの壁建設を伝えましたが、このとき民間防衛ポリシーの変更についても伝えられます。ケネディ大統領は民間防衛のための資金を議会に要求し、現存する場所の核シェルターとして使えるものを国が把握する意向を発表したのです。これは攻撃への備えであるとともに、「アメリカ国民は攻撃を生き延びる」というソビエト連邦に対するメッセージでもありました。
この時政府によって登録された核シェルターには、公的に作られたものもあれば、ホームメイドのものもありました。では、実際にそれらシェルターは有事の際に役立つのでしょうか?
1961年、ソビエト連邦はツァーリ・ボンバという、出力50メガトン以上の、過去最大の水素爆弾を開発しました。
歴史学者のアレックス・ウェラーステイン教授が開発した核爆発シュミレーター「NUKEMAP」では歴史上の核爆弾を地図上で爆発させ、被害がどれほどまでに及ぶのかを見ることができます。
NUKEMAPを使ってツァーリ・ボンバをワシントンD.C.で爆発させてみるとこんな感じ。都市全体が破壊されてしまうことがわかります。突風や火球によって街が破壊されるため、放射性降下物について心配するどころではありません。家にある核シェルターも、それ自体が破壊されてしまいます。
一方、1950年代に作られたムービーが言うように、突風や火球によって破壊される範囲を越えた場所に住む人々は放射性降下物について心配すべきであるとのこと。都市が攻撃された場合、田舎の核シェルターに入っていた人だけが生き延びられるわけです。
ケネディ大統領の暗殺後、リンドン・ジョンソン副大統領が大統領に昇格しますが、大統領暗殺とベトナム戦争の存在を受けて、ジョンソン政権における民間防衛費用は年々減少していきました。そして民間防衛機関はケネディ大統領以前の「ムービーを作って存続する」という形に戻っていったわけです。
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