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半導体メーカーのAMDはいかにして成り上がり没落していったのか


PC用CPU市場で圧倒的シェアを確保し続け絶対王者として君臨するIntelに対して、今や唯一のライバルであるAdvanced Micro Devices(AMD)は近年低迷を続け、最近では大手IT企業に買収されるのではないかという噂が出ては消える状態です。AMDがどのようにして生まれ、成長し、Intelに戦いを挑み、脅威を与える存在にまで上り詰め、そして打ち破れたのかについて、Hackadayが考察しています。

Echo of the Bunnymen: How AMD Won, Then Lost | Hackaday
http://hackaday.com/2015/12/09/echo-of-the-bunnymen-how-amd-won-then-lost/

AMDは1969年にフェアチャイルドセミコンダクター出身のジェリー・サンダースらによって設立されました。ちなみに、フェアチャイルドセミコンダクターを設立したのはIntelの創業者の一人であるゴードン・ムーアであり、その後、ムーアはフェアチャイルドセミコンダクターを離れて1968年にIntelを設立したという経緯もあり、AMDは最大にして最強のライバルIntelと同門の関係にあるとも言えそうです。


AMDは当時、数十社あった半導体のセカンドソースメーカーとしてチップの製造をスタートしています。当時は半導体チップの代替品が入手し易いことを要求する顧客は、オリジナルのプロセッサやチップの代替品であるセカンドソースが存在することを重要視していました。例えば、IBMは自社製PCの製造販売にあたってCPUを提供するIntelに対して、CPUを安定的に供給するための「保険」として他社とセカンドソース契約を結ぶことを要求するなど、オリジナル品と代替性がある半導体チップの需要が確実にあり、この代替品を製造するセカンドソースメーカーとしてAMDは産声を上げたというわけです。

AMDは1974年にIntel 8080をリバースエンジニアリングして作った代替可能チップ「Am9080」を発売。当初はIntelからライセンスを受けていなかったため、AMDは無断でチップを売っていたわけですが、このようなセカンドソースメーカは当時、珍しくありませんでした。なお、AMDは後にAm9080製造販売に関してIntelから正式にライセンスを受けています。


その後もIntel製CPUのセカンドソースを製造することで力をつけたAMDは、特定機能についてみればIntelチップを上回る性能を持つチップの開発にも成功。AMDが開発したチップ「Am9511」のセカンドソースをIntelが製造するなど、半導体市場で確実に存在感を増していきます。そして1982年には、前述の通りIBMがPCに搭載する半導体のセカンドソースをIntelに要求したため、IntelとAMDはIntel 8088チップのセカンドソース契約を締結、10年間にわたって互いに製造技術やプロダクトデザインを交換し合うことに合意しています。

AMDはIntelとの提携を得て、オリジナルのIntel 80286(286)以上の高速な「Am80286」などをリリースして286プロセッサの代替品市場を席巻します。しかし、IntelはIntel 80386(386)以降、セカンドソースを廃止したためAMDやCyrixなどの半導体メーカーは独自にIntel製チップを互換できる製品を開発することになり、AMDはIntelの386プロセッサの互換品である「Am386」を開発し、Intelの486プロセッサとほとんど同等の高速性能を持ちながら圧倒的な低価格を実現したことによって大成功を収めます。


しかし、1987年にIntelが386のライセンスに関して、1988年には286のマイクロコード使用に関する特許権侵害などについてAMDを提訴するなど、AMDはIntelとの法廷闘争に巻き込まれていきます。そしてIntelとの訴訟の和解条件にしたがって、Intel製プロセッサを置き換える代替品の開発をやめ、1999年にIntelプロセッサと一切互換性のない独自製品として「Athlon」プロセッサを発売。Intelの廉価版CPU・Celeronシリーズには「Duron」シリーズをぶつけるなど、2000年代にVIAなどのライバルメーカーが次々と脱落していく中でもAMDは生き残り、Intelに対抗できる唯一のCPUメーカーとしての地位を確立します。

AthlonがIntelに先んじてクロック数1GHzの大台に到達するなど、価格性能でIntelを上回るAMD製CPUは、DellやGatewayなどのPCメーカーに次第に採用されていき、AMDは徐々にCPUシェアを高めていきます。さらに、64ビットCPUの普及競争でもIntelに先行し、サーバー市場でも成功。2000年代中盤には25%までシェアを高めIntelに脅威を与える存在になりました。


しかし、AMDの大躍進を受けてIntelは、なりふり構わぬ販促活動に出ます。2003年から2006年にかけてPCメーカーのDellに対してAMD製CPUを採用しない見返りとして10億ドル(約1000億円)の販売奨励金を出したり、Intel製CPUの大量一括仕入れに対して赤字覚悟のディスカウントを実行したりしてAMDの切り崩し作戦を敢行。そして、2006年以降にPentium 4で失いつつあった性能上の優位性を奪い返すべくIntel Coreシリーズを投入すると、AMDを一気に突き放すことに。

さらに、IntelはAMDと違って単なる半導体メーカーではなく優秀なコンパイラ開発部門を持っていることが対AMD戦略上、大きな意味を持つことになります。2005年にAMDがIntelを独占禁止法違反で訴えた際に、「IntelのコンパイラはAMD製プロセッサで動作していることを認識でき、そうした場合には性能を劣化させたりクラッシュを引き起こしたりするコードが実行されるようになっている」と指摘しました。このころまでにCPUはSSEIA-32に代表されるような命令セットによって性能向上を図っておりコンパイラがCPUの実行速度に大きな影響を持つようになっていました。

そのため、IntelのコンパイラがIntel製CPUを有利にするプログラムを備えている結果、CPU性能を計測するベンチマークソフトや画像編集ソフトではAMD製CPUはIntel製CPUに比べて能力を引き出せないという事態を引き起こします。Hackadayによると、このIntelコンパイラによるトリックは2005年ころから存在が知られ始めましたが、Intelが市場シェアを奪い返すのに決定的な働きをしたとのこと。AMDがお得意としてきたIntelにくらべて価格性能で上回るというアピールが難しくなり、さらにはIntel CoreシリーズからIntel Core 2シリーズ、Intel Core iシリーズへと続くIntelの高性能CPUに太刀打ちできなくなり、AMDはシェアを急速に落としていきました。


2015年第3四半期の決算で1億9700万ドル(約240億円)もの損失を出したAMDはすでに青息吐息の状態で、Microsoft、Qualcomm、Appleなどが買収するのではないかという噂が後を絶ちません。一方で、IntelはAMDの息の根を止めれば独占禁止法というやっかいな問題が起こることから、現在のAMDのような生かさず殺さずの状態を望んでいるのではないかとしてAMDの存続を予想する声もあります。PS4やXbox Oneでチップが採用されたSoC部門は黒字を確保するなどグラフィック性能に強みを持つAMDは、CPU内蔵のGPUに関しては依然としてIntelをしのぐ技術力を持つのも事実です。2016年のリリースが期待される次世代x86 CPU「Zen」とARM CPU「K12」がAMDを窮地から救い、再びIntelの牙城に挑む起死回生のプロセッサになるのか、注目が集まっています。

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in メモ,   ハードウェア, Posted by darkhorse_log

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