抽象絵画などの近代美術はかつてCIAの「兵器」だった
by Michael Moore
抽象表現主義やシュルレアリスムなどの近代美術は1940年代後半から始まり、世界中で注目された美術の表現として知られています。ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニング、マーク・ロスコなど前衛的な当時の画家・作家の多くは、現在でこそ評価されていますが、1950年代から60年台にかけてアメリカ中の嫌われ者でした。しかし、元CIAエージェントの発言によって、これら近代画家たちはCIAによって秘密裏に支援・推進されてきたことが明らかになりました。
Modern art was CIA 'weapon' | World | News | The Independent
http://www.independent.co.uk/news/world/modern-art-was-cia-weapon-1578808.html
なぜアメリカの国策や外交の決定に必要な諜報活動を行うCIAが、飲んだくれの芸術家たちをサポートしたのか。そこには当時の時代背景が大きく関わります。当時のアメリカはソ連と冷戦関係にあり、近代美術の持つクリエイティビティや知的人たちによる自由の謳歌などは、共産主義の芸術に勝るアメリカの文化的なパワーだとしてとして宣伝戦に利用されたのです。
近代画家たちがあずかり知らないところで「近代美術を兵器として利用すること」が決定されたのは1947年、CIAが設立されてからすぐのこと。CIAは近代美術を利用すべく、800以上の新聞・雑誌・組織などに影響を及ぼすことが可能な「宣伝財産目録機関」を設立しました。当時のエージェントたちは宣伝財産目録機関のことを冗談でジュークボックスに例え、「エージェントがボタンを押すと世界中のどこでも好きな音楽を聴くことができる」と話していたそうです。
by Terence Faircloth
そして1950年、CIAによって国際組織機関(IOD)が設立されると、さらにCIAは近代美術との関わりを深くします。ジョージ・オーウェルの「動物農場」は全体主義やスターリン主義への痛烈な批判を寓話的に描いた物語ですが、IODは動物農場のアニメ化に補助金を交付することを始めとし、ジャズアーティスト・旅行作家、そして抽象表現主義たちの金銭的支援を全面的に開始しだしたのです。
しかし、抽象表現主義に対する世間からの風当たりはきつく、ソ連の「アメリカは文化的に荒れ地である」という主張に対抗して1947年に行われた、アメリカの表現の自由と多様性を示す「Advancing American Art」という展覧会は、皮肉なことにアメリカ国内で大きな反発を引き起こします。当時のトルーマン大統領は「こんなゴミに対して税金を払わなければならないなんて閉口する」という発言をしたほど、抽象表現主義に対して批判的でした。
1930年ごろから文化の拠点はパリからニューヨークに移り始めていましたが、俗物主義の政治家たちの批判はこの移行を邪魔するものでした。アメリカが文化的に豊かな民主主義国家であるということを示すには抽象表現主義を推進すべきことは明らかでしたが、俗物主義の政治家たちの反発により、ジレンマが起こりました。そこでCIAが「内密に」活動を行うことになったのです。
元CIAのドナルド・ジェイムソン氏は「CIAが抽象表現主義を作り出したと言えば、明日ソーホーやニューヨークで何が起こるだろうね」と冗談を交えつつ「我々が行ったのは、抽象表現主義を示すことで、社会主義リアリズムがいかに型にはまっていて限定的なものであるかを示し、両者の差を人々に認識させることでした」と語りました。
CIAの抽象表現主義は内密に行われたものであり、アメリカ左翼のアバンギャルドの人々に気づかれない必要がありましたが、そもそも彼らは政府に何ら敬意を払っておらず、CIAなど目もくれなかったため、最後まで両者が接近することはなかったそうです。そして、誰にも知られないところでCIAは知識人・歴史家・詩人・画家たち人知れず支援し、世界35カ国にあるオフィスで20以上の雑誌を出版することで、共産主義の侵攻から文化を守ったわけです。
by Emory Allen
1950年に創設された文化自由会議もCIAが抽象表現主義を推進する活動の一環でした。1952年に行われた「20世紀の傑作展」、1955年に行われた「アメリカのモダンアート展」、1958年から59年にかけてヨーロッパで行われた「アメリカの新しい絵画展」などは、CIAの資金提供のもと文化自由会議の主催によって行われたものです。
また、モダンアートの蒐集家としても知られる政治家のネルソン・ロックフェラーが大きく関わっているニューヨーク近代美術館は、近代美術の収集と整理に関する契約を文化自由会議と結んでいました。抽象絵画は移動させ展示するのに膨大な費用がかかったため、これら美術館が利用されたわけです。
IOD創設時のチーフだったトム・ブレイデン氏は「アメリカが表現の自由や知的な業績に力を入れていると示すために、我々は作家・ミュージシャン・アーティストたちを強制的な力なしで統合したかったのです。強制こそがソ連で行われていたことですから。IODは冷戦において大きな役割を果たした、重要な機関の1つであると私は考えています」と語り、前衛芸術に対する世間の敵意から、内密に活動を行ったことについて「アートや交響楽団を海外に送るのは非常に骨を折ることでした」と当時を振り返ります。
また、ブレイデン氏は「『システィーナ礼拝堂は世界で最も美しい造形物だ』と言う人がいますが、大富豪や教皇がいなければ芸術は存在しませんでした」として、「芸術が認識されるには、それを支援する、富を持った誰かが必要です」と語っています。
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