ローランドのリズムマシン「TR-808」の名機たる魅力と隠された不遇の時代
By Jochen Wolters
1980年に日本の楽器メーカー・ローランドが発売したリズムマシン「TR-808」、通称「やおや」はその独特の音色が世界中で支持され、現在でも多くのジャンルで欠かすことのできない「名機」としての評価を不動のものとしています。しかし、そんなTR-808も発売当初は評価が得られず、発売から3年後の1983年に販売を終了するという不遇の歴史が存在していました。暗い過去から一転、今や世界的名機と評されるに至るまでにはどのようないきさつがあったのかを、The Guardianでクラブカルチャー系の記事を多く掲載しているBen Beaumont-Thomas氏が海外の目線で振り返っています。
The Roland TR-808: the drum machine that revolutionised music | Music | The Guardian
http://www.theguardian.com/music/2014/mar/06/roland-tr-808-drum-machine-revolutionised-music
◆リズムマシン「TR-808」とは
ローランド「TR-808」は、当時としては画期的だったオリジナルのリズムパターンを自分でプログラミングできる「リズムマシン」として1980年に定価15万円で発売されました。同時代に発売されていたリズム系機材は、プリセットされた「Rock」や「Bossa nova(ボサノバ)」などのリズムパターンのみを淡々と演奏するものがほとんどで、それらは一般的に「リズムボックス」と呼ばれていたことから、ローランドでは差別化を図るために「リズムマシン」という名称を採用しています。
TR-808はアナログ音源を採用しており、その独特の音色がさまざまな音楽ジャンルで欠かせないものとして不動の地位を築いています。後に主流となるデジタル音源による機材とは全く異なる仕組みで作り出される独特の太いキックの音色やスネア、カウベル、ハンドクラップなどのサウンドは、発売から35年が経過した今でも色あせることのない魅力を保ち続けているといえます。
Roland TR-808 - Famous Drum Beats - YouTube
デジタル機材が主流になり、あらゆる音色を録音してサンプリングできる「サンプラー」が手に入るようになってからも、アナログ音源であるTR-808の音色は愛され続けました。その結果、TR-808の音色をサンプラーに取り込んでリズムトラックを作成するという、一種の逆転現象まで見られるようになりました。このように、多くのクリエイターの間で欠かせない機材となったTR-808ですが、1980年の発売当初は駄作にも近い低評価を得ていたという過去があるのです。
TR-808が登場した当時、いわゆる「ドラムマシン」といえば一定のパターンを刻むものばかりで、ギターやベース、キーボードなどの練習用に用いられることがほとんどでした。「しかしそこに、自前のリズムパターンをプログラムできる『リズムマシン』を、プロ向け用途にも耐える機材として作ろうという機運が起こってきたのです」と、現在、ローランドでプロダクトマネージャーを務めているショーン・モンゴメリー氏は語ります。
ローランドは可能な限り「リアル」なドラムサウンドを再現することを試みたのですが、当時の主流はアナログ回路で生みだされた電子音を合成して1つの音色を作り上げるアナログシンセサイザー方式だったため、生の楽器の音色を再現することはほぼ不可能。モンゴメリー氏が「当時の技術者はアナログ技術でできることを全てやったのですが、その音色は(生楽器とは異なる)ヒドいものでした」と語るとおりにその評価は芳しくなく、発売後もセールスは不調続きとなり、3年後の1983年には販売が終了。
現在の中古市場では20~50万円レベルで取引されているTR-808ですが、評判の悪かった1980年代初頭には非常に安い価格で手に入れることが可能でした。これに飛びついたのが、少ない予算しか与えられていなかった音楽プロデューサーやアマチュアミュージシャンたちで、その後の彼らの活躍と歩調を合わせるようにここからTR-808の伝説ストーリーが幕を開けることになります。
◆TR-808のサウンドとテクノ・クラブシーン
アメリカ・デトロイトを拠点に活動するテクノ系プロデューサーで、のちに「デトロイト・テクノ」のオリジネイター(創始者)と呼ばれるようになるホアン・アトキンスは、まだ高校生の頃に「1台目のTR-808」を手に入れ、その頃に活動していたユニット「Cybotron」で使い始めました。アトキンスは「高校の授業で、工業社会から技術社会への変化を研究する『未来研究』というのを取っていたんだけど、そこで学んだ手法の多くを自分の音楽製作に取り込んだんだ」と語っており、TR-808はそんな彼の音楽にとって完璧なツールだった様子。
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ドイツのテクノユニット・クラフトワークやファンクミュージック開拓者の1人であるジョージ・クリントンに影響を受けたアトキンスの「ハイテク・ファンク」にとって、TR-808はまさにベストな機材。アトキンスは「TR-808は自分だけのリズムパターンを作ることを可能にしてくれたんだ。欲しい位置にキックやスネアを鳴らすことができる。多くのクリエイティビティを与えてくれた」と語っています。そんなアトキンスが結成していたCybotronの音源がこちら。いかにもTR-808らしいサウンドを聴くことができます。
Cybotron - Clear - YouTube
1982年には、ニューヨーク出身で「ヒップホップ」の名称を世に送り出したミュージシャン、アフリカ・バンバータがTR-808を音楽製作に取り入れて活躍を広げることになります。アトキンスと同じく、アフリカ・バンバータもクラフトワークの影響を受けており、クラフトワークの代表作「ヨーロッパ特急(Trans-Europe Express)」に影響を受けた楽曲「Planet Rock」をラップグループ、ソウルソニック・フォースとリリースし、大ヒットを得ることになります。以下の「パーリィーピーポー!」から始まるムービーでは、TR-808によるリズムトラックと、ところどころに入れられているヨーロッパ特急のフレーズを聴くことができます。
Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force - Planet Rock - YouTube
「The Egyptian Lover」の名で活動するロサンゼルスのプロデューサー・グレッグ・ブルーサードは、Planet Rockが持つ独自のキャラクターはTR-808によって生みだされていると考え、地元の楽器店に足を運んで実際にTR-808にリズムをプログラムして鳴らしてみたとのこと。その時に受けた衝撃の様子を彼は「まさにブッ飛んだね。他の全てがまるでオモチャのように聞こえるようになってしまい、思わずダンスしたくなってしまうような感覚だった。もちろんすぐにその場でマシンを買ったよ」と振り返っています。
TR-808を入手したブルーサードは一晩かけて操作をマスターし、次の日にはスタジアムで開催された1万人クラスのイベントに持ち込んで実際に使ってみたとのこと。すると「ステージ上ではTR-808以外に何の機材も持っていなかったんだが、この小さなリズムマシンのビートが1万人の観客を揺さぶっていたんだ」と語るように観客は大きく盛り上がりを見せたそうです。また同じ頃、デトロイトで行われたDJイベントではアトキンスが同じようにTR-808をステージに持ち込み、レコードに合わせてビートを奏でたところ、会場はクレイジーな盛り上がりになったとのこと。「何か新鮮な、単にレコードを回すだけじゃない何かがあった」とアトキンスは語っています。
80年代も半ばに入ると、音楽シーンの中にコンピューターが大きく存在感を示すようになってきました。数々のリズムマシンを集めた写真集「Beat Box: A Drum Machine Obsession」を出版したリズムマシンコレクターのジョー・マンスフィールド氏は、当時の様子を「とても未来的な音楽に聞こえました。もしコンピューターがドラムを演奏することができたら、こんな音になるんだろうと思わされる音でした」と語っています。リズムマシンも一般的な音楽に浸透するようになり、往年のソウルシンガー、マーヴィン・ゲイも1982年のヒット曲「Sexual Healing」でTR-808の音色を全面的に取り入れたサウンドを作り上げています。
Marvin Gaye - Sexual Healing - Extended Version - YouTube
アメリカで盛り上がりを見せたTR-808の波は、大西洋を横断してヨーロッパへも上陸します。当時のイギリスでは、1970年代後半に巻き起こったパンク・ムーブメントの終焉とともに電子楽器を取り入れてダンス色の強いポストパンクと呼ばれるジャンルが興っており、グラハム・マジーらによる「808ステイト」などのユニットがTR-808を活用した音楽作りを行うようになっていました。
808 State - Pacific State (Original Extended Version) - YouTube
◆TR-808が音楽シーンに与えた影響
マジーはTR-808が世界に与えた影響について「TR-808は産業遺産としての意味合いと同時に、『魂の遺産(Soul Heritage)』としての意味を持っている。ローランド製のこのマシンは、世界共通言語のエスペラント語のように音楽における共通言語のような役割を果たした。世界はこのテクノロジーを通じて隔たりが小さくなり、そのサウンドには洗練されたものがある。このマシンを使うものは、例え世界の片隅で音楽を作っていたとしてもその隔たりを超越することができるんだ」と語っています。
TR-808のサウンドは、ダンスミュージックの中で確固たる地位を築き上げ、「サウンドの一部」といえる存在になりました。マンスフィールド氏は「音楽プロデューサーは新しい機材を何百と探し回った結果、結局最後にはTR-808に戻ってくるのです。もはやTR-808は音楽と強く結びついており、不変なものとなっています」と、特にダンスミュージックなどにおける変わらぬ存在感を語っています。
ズ太いサウンドが特徴のダブステップ系クリエーター、Addison Grooveとして活動するアントニー・ウィリアムズは、「TR-808でキック、スネア、ハンドクラップの音を積み重ねていくと、特有の、そして周波数帯域がパーフェクトに整ったサウンドができる。そしてそのサウンドはクラブであろうと自宅であろうと、ノートPCのスピーカーであろうとベストなサウンドを奏でるんだ」と、TR-808の優れた音色について語ります。
以前はソフトウェア版のTR-808を使っていたウィリアムズですが、ロンドンの高級クラブ「fabric」でのプレイが決定した際に求められたことから、自動車を購入する予定を変更してTR-808の実機を手に入れたとのこと。その理由をウィリアムズは「本来は言うべきではないんだけど」と前置きしつつ、「ローランドは、TR-808を酒に酔っている時でもプレイしやすいように作っているんだ。パネル上にレイアウトされたサウンドパレットはこれまでで最も優れたデザインで、どんな操作をしてもオーディエンスを躍らせることができる。僕はそれがとても楽しいんだ。だって、僕は酔っ払うのが好きだから」と独自の視点でTR-808の別の魅力を語っています。
By Dan Sicko
しかしこの「操作性」は実はプレイヤーにとって重要なポイントで、現在では多くのTR-808エミュレータがPC向けにリリースされていますが、プロデューサーたちは実際にツマミやボタンを備え、リアルタイムの操作性に富んだハードウェアへの回帰に向かっているとのこと。前出の「The Egyptian Lover」ことブルーサードはレストアしたTR-808を6台所有しているのですが、そのマシンたちについて彼は柔らかく優しい口調で「こいつらはまるで僕の子どものようなものだ。手離すなんてとてもできないね」と語っていたそうです。
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