セネガルの首都ダカールで黒人奴隷の歴史が残る負の世界遺産ゴレ島に行って来ました
こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。セネガルの首都ダカールでは休息と雑用で17日も滞在してしまいました。ダカールは海に囲まれた半島にあり、いつも気持のよい風が吹いているのでそこまで暑くもなく、ゆっくりするにはお勧めです。負の世界遺産であるゴレ島、アフリカ最西端のペリカン、巨大なリクガメと、発見と驚きの楽しい日々でした。今回はダカールの魅力を存分にお届けします。
西アフリカ随一の大都市、セネガルの首都ダカールはここ。
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セネガルの通貨セーファーフランの硬貨。25と250の硬貨は珍しいです。225セーファーフランの瓶コーラを頼んで250セーファーフランを渡したら、「おいおい、25セーファー足りないじゃないか」と200セーファーと勘違いされました。地元の人も混乱しています。
ダカールの中心街は大きなビルが林立しています。
中心部のストリートとサムスンの看板。
中央市場の付近。
この中心部の市場付近では、怪しい連中がいつも観光客に声をかけています。運悪くその一人に捕まってしまいました。「スポーツショップを知らないか」と聞いただけです。調子のいい英語を話す彼に警戒しつつも、その場所まで連れて行ってくれました。日曜日だから閉まってましたが、場所が確認できたので次は迷いません、これで用事は終了です。ですが、彼は引き続き「俺にできることはないのか、何でもいってみろ」と必死で迫ります。
「いやいやいいから、ありがとうありがとう」と抜け出したいのですが、彼は「まだ終わってない」と食い付きます。嫌な予感がしたと同時に「何か飲みたいから金くれよ」最初からこれが目的だったみたいです。「誰がいつそういう約束をした、ポリスへ行くか」と言い放ち、交通誘導している警官付近へ逃げました。でも、普通のセネガル人はいたって親切です。「おいおい、どうしたんだ」と心配してくれてきちんと道を教えてくれます。
気に入っていたアフリカらしいペインティング。立体交差の壁面。
「カシノ」はフランス本土でよくみかけたスーパーマーケットです。
世界に展開するフランスの金融グループ
それなりの自転車も置いてあるスポーツショップもありました。ワイヤーやチューブなどの消耗品は手に入ります。
別の場所にある「カシノ」を中心としたショッピングモール。この「カシノ」ダカール市内で確認しただけで4軒もみかけました。売られている物はヨーロッパとほぼ変わりなく、そして大半が舶来品で、結構な値段がするのであまり買物はしませんでした。たいていはセネガルで作られた物がおいてある近所の商店などで買物をしていました。
ホステルの近くにあった、VDNと呼ばれるしっかりとした道路。
ホステルから中心部までは離れていたのでバスに乗っていました。バスはいつも混んでいます。中型のバスは通路を挟んだ2列ずつの座席に、通路の補助席が加わった5人が肩を寄せ合って座っています。
隣と隣との隙間は圧迫されていて身動きが取れません。楽しい位にぎっしりでした。大型バスは日本の通勤電車の様でぎゅうぎゅうです。大変な移動ですが、アフリカ生活を体感できるので悪くはありませんよ。こうして動いている日常もあるのですから。
ダカールでは停電が頻発していてます。銀行、ホテル、商店などで、この様な自家発電機をよくみかけました。
たくさんのコンテナが保管されているダカール港。
ダカールでも変わらず日が暮れていきます。
陽気なセネガル男性。
ユネスコの世界遺産に登録されているゴレ島に行ってきました。ゴレ島はダカールの沖合い約3kmに浮かぶ東西300m、南北900mの小さな島で、かつては奴隷貿易の拠点として栄えました。現在も島内には奴隷収容所が残っており、負の世界遺産としてたくさんの観光客が訪れます。フェリーの発着場は立派でした。
この船に乗って島へと向かいます。
ゴレ島が見えてきました。
波打ちぎわで遊ぶ子どもたち。
日本の援助で作られたらしい学校。
無造作に置かれた洗濯物。
要塞にはたくさんの砲台があります。
防備を固めてある海岸線。
砲台へと続く通路。
そして砲台。
本来なら緊張感のある場所なのに、和やかな生活が混じっている景色が面白いのです。
サボテンの花が咲いていました。
海の向こうにはダカール市街。
高台から島内を見おろしました。
こんな島にも牛がいました。
断崖が続く海岸線。
打ち捨てられた何かの部品。
椰子の木に見せかけたアンテナ塔はおしゃれです。
鮮やかな花の色。
そして奴隷の家を見学しました。たくさんの人が説明に耳をかたむけています。
アメリカ大陸へと連れて行かれたと書かれてある展示。
拘束道具。
男性と書かれてある部屋。奴隷たちは分けられていました。その中には子供の部屋もありました。
重苦しい雰囲気が漂う部屋の内部。
運ばれる船を待つ為の通路。
かつての奴隷たちは海をみて何を思ったのでしょうか…と、奴隷制度についてしみじみと考えて外に出ました。すると小学生か中学生と思われる団体が並んでおり、セネガル語で「チャイナ、チン、チョン」とにやにやしながら笑ってました。
いったい彼らは何を勉強しにいくのでしょうか。私たちは人種差別はいけないと言われてきました。ですが、ここにいる人たちはいかにもそれが当たり前かの様に差別的な言葉を浴びせます。わたしもあなたもおなじではありません。世界にはどうしようもない人たちが存在します。
奴隷解放を表していたオブジェクト。
ゴレ島の港。ここに船が行き来しています。
ダカール近郊にあるアフリカ大陸の最西端まで行ってきました。丘の上にぽつんと建つ灯台。
貝殻が散らばる浜辺。
アフリカ大陸最西端付近の海で記念撮影をしました。実はここが最西端ではなく、本当の最西端はこの近くの高級レストランの敷地内だそうです。とてもじゃないですが自分には手が出せません。だから、あそこで満足しました。風が気持ちのよい海でした。
ペリカンを発見しました。
てくてくと歩く姿はとてもユニークです。
愛らしい大きな目と
キョトーンとした姿が可愛くて仕方ありません。
ダカールのシンボルマーク。
海岸道路で風変わりなモスクをみかけました。
マラケシュで別れた二人の日本人チャリダーとここダカールで再会しました。お互いここまで無事にたどり着けて何よりです。彼らの友達のスイス人チャリダー宅に自分も移動してしばらく一緒にいました。同じことをしている同士いつまでも話は尽きません。皆でいろんな場所に行きました。ピンクレイクと呼ばれる湖では塩が作られていました。
たくさんの船が作業しています。
バオバブ(リンク)の木
海まで歩きました。
広がる砂浜。
そしてようやく海へと出ました。波は大きく広がっていました。
波に揺られていた小さな巻貝を手にとって。
リクガメを見にも行きました。
草を食べる姿。
手と比べるとこんなに大きいんです。
巣穴近くの二頭。
若い四頭。
赤ちゃん亀。
アフリカ最西端の岬に近い沖に浮かぶンゴール島へも出かけました。歩いているとすぐに一周してしまう小さな島です
断崖で写真を撮っている二人。
自分も写真を撮ってもらいます。
和やかな島でのんびりとできました。
観光ばかりしていたんじゃありません。実はアフリカの風土病らしい髄膜炎の予防接種をしたりと、日本へ荷物を送ったり、携帯電話を手に入れたりとやることもやってました。
そして観光ビザ(査証)も手に入れないといけません。ビザは許可証みたいなものです。これがないと当該国で滞在できません。ヨーロッパやアジアの国では免除されている国も多いですが、アフリカではそうにもいきません。
マリ大使館でマリビザを手に入れました。
これがマリビザ。発効日から二ヶ月有効の一ヶ月のシングルビザ。
こちらはガンビアビザ。国境で取れるという話も聞いたのですが、不確実な情報だったのでダカールで取得しました。
ギニアビザもダカールで手に入れました。あとギニアビサウビザも必要なのですが、ダカールではビザ代が高額なので次の国のガンビアの大使館か、カザマンス地方のジガンショールの領事館で取得するつもりです。マリビザは有効期間があったのですが、ギニアビザは入国日指定のビザでした。この入国日指定も、別の日の別の係官では「そんなことはできない」と言われていたのですが。ビザは難しいので、ちょっとまとめてみました。
【有効期間のあるビザ】
1ヶ月、2ヶ月という有効期間があり、それ以内に入国しないといけません。入国した日から滞在日数がカウントされます。マリやイランでは30日のシングルビザの場合、3月1日が発行日であれば、3月15日が入国日、出国は4月13日までにしないといけません。
【入国日指定のできるビザ】
ギニア、ウズベキスタンで発行されるビザで、入国指定日以降にしか入国できません。入国指定日から滞在日数がカウントされます。30日のシングルビザの場合、3月1日が発行日であれば、3月15日に入国指定、4月1日に入国、出国は4月13日までにしないといけません。
【有効期間のないビザ】
アゼルバイジャン、ガンビアのビザで、受取日から滞在日数がカウントされます。30日のシングルビザの場合、3月1日が発行日であれば、3月15日に入国、出国は3月30日までにしないといけません。
この様にビザによっていろいろな制約があり、加えてどこでどんなビザが取れるかよく分かっていません。グルジアやアルメニアみたいに国境で取れるビザもあります。いろいろなケースを考えて、ビザを組み合わせないといけなく、何度も頭を抱えます。このセネガル以降の西アフリカは、当面はビザが必要な国ばかりなので大変です。
ダカールを出たらセネガルに挟まれたガンビアという国を目指します。セネガルが旧フランス領なのですが、ガンビアは旧イギリス領らしいのです。何か違いがあるのでしょうか?
(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com)
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