取材

旧イギリス領と旧フランス領の違い、セネガルに囲まれた小国ガンビアが紳士の国だった不思議について



こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。セネガルの首都ダカールは3人で出発となりました。村の井戸で感動したり、パンク修理を手伝ったり、青年海外協力隊の方にお世話になったりしながらガンビアを目指します。

旧イギリス領だったガンビアは旧フランス領だったセネガルと違ってみえました。そこではなんとインド人が商売しています。再びセネガルに入ると、カザマンスと呼ばれる緑の多い地方を走ります。ジャンベのリズムに誘われました。そんなセネガルの首都ダカールから、ガンビア、カザマンスをまとめてみました。ところで、茹でたマンゴーって食べたことはありますか?

セネガルに囲まれたガンビアはこちら。

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ダカール出発は日本人チャリダー3人で一緒になりました。といっても、ルートの都合上で一日だけのトリオランなのですが。それでも、「一緒に走りたいですね」と常々話していたのでよかったです。

ダカールを出発する前に、お世話になっていたスイス人のサーシャと共に。



サーシャの家の近くで毎朝、立ち寄っていたサンドイッチ屋台とコーヒー台車。



Sさんが走っている姿を撮ってくれました。感謝。



ダートを走っている後姿。



大きなバオバブの木の下で写真を撮ることにしました。カメラをセットするSさん。



バオバブの木の下のチャリダー3人。



同じ夢を追いかけたからこそ、大切な人たちなんです。こうしてチャリ旅の友人とは旅が終っても繋がっていたいと強く願います。



ここで積算距離が70,000kmに達しました。60,000kmを突破したスウェーデンから南へ走って来ました。地球2周分となる次の80,000kmはどこになるでしょうか。



ダカールを出たその日は小さな村で一緒の宿に泊まりました。小さな村のメイン広場。



小さな村のメインストリート。



海へと続く小道を通って……



のんびりとした海へと出ました。



海から帰ると、3、4歳の子どもがビー玉を使って空き地で遊んでいたので、しばらく見ていました。2人でビー玉をはじきあっているのですが、いまいちルールが分かりません。でも、彼らの顔は真剣そのもの。セネガルの子どもは、よくこうしてビー玉で遊んでました。そうしていると1、2歳の子どもたちがやってきて、周りではしゃぎだします。ふとしたときに、その一人の男の子に後ろから抱きしめられてびっくりしました。抱きついた男の子は笑っています。その曇りのない無邪気さに、とても幸せな気持ちになったのでした。

肉とたまごとじゃがいもの炒めものを食べました。



こんな感じで調理をしてくれます。



セネガルにはアフリカコーラがありました。



翌日も3人で一緒に分岐地点まで走ります。

お猿さんを発見しました。野生なのか、飼育されているのか。看板の上に座って、客引きをしているみたいです。



それにしても毛並みの変わった猿です。



バオバブの大地を走るRさんの背中を追いかけてました。



ガソリンスタンドで2人と別れました。モロッコのラバト、マラケシュ、今回はセネガルのダカール、そして次はどこで会えるでしょうか。大まかな方向はいっしょなので、どこかで再会するでしょう。



そんなつもりでもなかったのですが、泊まる所が見つからず、セネガルでもキャンプをしちゃいました。暑いのでフライシートはつけません。



橋がない場所は船で河を渡ります。




対岸へたどりついて。



船の形をしたおしゃれな建物。



未舗装路が出現しました。



木陰で暑さをしのぐお牛様。



小さな村の井戸に立ち寄りました。そこでたくさんの子どもたちに見つめられていました。



前日にキャンプしたので体がべとついて仕方ありません。それに加えて、日中は暑いので頭がふらふらしてきます。だから、すっきりしたくて自前の洗面器を片手に井戸に立ち寄りました。服を洗ったり、体を拭いたりしているだけなんですが、子どもたちが集まってじーっとみつめます。照れます。そんな彼らの写真を撮らせてもらいました。

「こんな風になったよ」とデジカメを見せてあげると、小さな画面に子供どもたちは群がります。それから「ありがとうね」と握手を求めました。その中、それを見ていた若い青年たちの誰かが何かいいました。そうすると、あれだけはしゃいでいた子どもたちがいっせいに座りだします。「年上のお客さんだから、きちんと座って挨拶をしなさい」、そんな言葉だったかもしれません。そんな彼らの一連の行動に感動しました。そこまでされるとこちらもなんだか照れくさく、「いやいや、自分こそ写真を撮らしてもらったんだから」と腰を下ろしてしまいました。


洗った服は軽く絞り、濡れていますがそのまま着ます。こうした濡れた服で走っていると、気化熱で涼しくなるのです。でも、このときのさわやかさは涼しさだけでなく、いい体験ができたという心の晴れやかさもありました。気持ちよくペダルを回していました。

調子がよかったので、パンク修理を手伝いました。



前方で立ち止まっている彼らに声をかけたときの
「おい、大丈夫か?」
「Oui (Yes)」
「本当か?」
「Non (No)」
とそのやりとりが笑えたので、立ち止まってパンク修理を手伝いました。井戸ではお世話になったので、こうして世話を焼くのもいいかもしれません。

サコンという街を走っていると、東洋人らしい人が道を歩いていました。お互いにはっとしたので、立ち止まって確認するとなんと日本の方でした。青年海外協力隊で滞在しているようです。そのまま彼のフランス語レッスンに付き合いました。写真は彼の先生と、その子どもさん。



そのまま1泊、お世話になりました。彼が歩いていたのは宿から先生の家までの約1kmの道のり、自分は井戸とパンク修理で予定外の時間を費やしています。でも、こうして偶然が重なって、アフリカの片田舎で日本人に会う確率を考えると不思議で仕方がありません。

翌日の出発まぎわに写真を一緒に撮りました。子どもがじーっと見ていたので、一緒に入ってもらっています。



商店でジュースを飲んでいると、子どもたちがこっちを覗いては逃げています。「はいはい、あやしいおじさんですけどね」と省みつつ、写真を撮らせてもらいました。しっかりとポーズ撮っているじゃないですか。



そして、新しい国のガンビアに入ります。ガンビアは三方をセネガルに囲まれた小さな国で、その国土も東西に伸びるガンビア川沿いにしかありません。セネガルが旧フランス領、ガンビアが旧イギリス領です。アフリカ分割によって国の中に別の国があるという不自然な国境線となりました。

ガンビアに入ると、小学生くらいの男の子たちに声をかけらます。
「Where are you coming?」
「Your bike is so nice.」
ときまった英語を話す違和感で落ち着きません。それまではずっとフランス語だったんですから。

小学生はきちんとした制服に身を固めています。このガンビアでは、きちんとした制服の学生ばかりでした。セネガルの制服を思い出してみると、そうでもありません。ガンビアのきちんとした制服は、紳士の国と言われたイギリスの影響かもしれません。大人の男性の身だしなみも、セネガルよりは紳士にみえました。

ガンビア河の河口の広がる海。



この船に乗って対岸へと渡ります。



対岸でみた舟。



ガンビアではここに3泊しました。北から南に走れば1日もかからない国なので、ガンビアではここにしか泊まっていません。首都バンジュールではなく、バカウと呼ばれる観光地の近辺にいました。



1000円程度の部屋ですが、部屋にシャワーもあり、ゆっくりできました。ガンビア滞在では次の国のギニアビサウビザを取得します。先人のインターネット情報どおりに、ダカールより安く取得できました。



ギニアビサウ大使館の近くでは、穏やかな海が広がっていました。



それから、バカウと呼ばれるリゾート地を歩きます。



そんなリゾート地を歩いているとホテルの従業員に「チン・チョン」と言われました。(ホテルに勤めているなら慎めよ)といらっとしたので踵を返して詰め寄ると同時に、「お前はレイシストだ(人種差別主義者)」と言ってやりました。そうすると別の従業員が、「いや待て待て、ガンビアではチン・チョンってのは中国人に対する挨拶なんだ」「グッドモーニング=グッドイーブニング=チン・チョン」と訳の分からない弁解をします。まさかの展開でした。

落ち着いた小道。



街の中のネスカフェの看板。



ガンビアの公用語が英語ですから、看板の書いてあることも理解できて楽しいのです。



LG電子販売店の像が強烈です。



インド人が巨大なスーパーマーケットを経営していました。この近所にも、別のインド人スーパーマーケットを何軒もみかけました。インドもガンビアも公用語は英語です。だから、ガンビアではインド人をよくみかけました。



グレープフルーツはこの形でかぶりつきます。道を歩いているとオレンジやグレープフルーツでいっぱいのリヤカー屋台が出ていてこの形にしてくれます。



暑いときには商店に立ち寄って瓶ジュース。このガンビアの商店が綺麗でびっくりしました。棚はきちんと整理されていて、掃除も行き届いています。ですが、セネガルはそうはいきません。棚も冷蔵庫も整理が行き届かず、商品が散乱しています。それでもって、薄暗くて埃っぽいのがセネガルの商店でした。ここにも、国民性の違いを見た気がしました。



ガンビアでもぶっかけ飯を食べます。



ガンビアの1ダラシ硬貨の裏にはワニの絵がありました。このガンビア通貨ダラシ、地元の人は「ダラー」と言ってます。「ファイブダラー、テンダラー」と、まるでアメリカドルを使っているみたいです。



ガンビアとセネガル、旧イギリス領と旧フランス領と、確かに違いを感じました。お互いにイスラムの国ですが、女性の顔まで隠すベールをみたのはガンビアだけです。服装や、商店もそうですし、ガンビアの方がセネガルより、心なしかきちんとしていた気がしました。

そして、セネガルに再入国します。このセネガル南部はカザマンス地方と呼ばれていて、セネガル北部とも気候が違いたくさんの緑に覆われています。



田舎の街に宿があったので泊まりました。



部屋の鍵のキーホルダーがいかにもアフリカっぽいです。



ガゼルビアー。一日の走行を終えたあとの冷えたビールは最高です。



この田舎の街を散策してみます。

最近は空を覆うほどの大木をよくみかけます。



種子を運ぶ綿毛が空を舞っていました。



小さな街の小さな市場で彼らに呼び止められて取り留めない話をしていました。



道を歩いているとジャンベ(太鼓)の音が聞こえます。その音に惹かれていくと、自動車道を離れてあぜ道に入りました。その後ろから歩いてくる女性が「気になるなら、こっちへ来なさいよ」と案内してくれます。

学校の校庭みたいな広場に行き着きました。そこでは四人の男性たちがジャンベを叩き、そのリズムに合わせて十数人の女性たちが踊っていました。いつまでたってもジャンベのリズムは止まりません。彼らは三種類の太鼓で三つのリズムを四人で重ねています。それにあわせた女性の踊りもしなやかで美しくて見とれます。立ち止まって両腕だけを使う静かな動作から、全身を回転させて大きく立ちまわる激しい動作まで、観ていて飽きることはありません。しばらく惚けてみていました。そうしていると「なんだい、こっち来ないか」とジャンベの男性たちに呼ばれました。呼ばれて助かりました。観ていたことに「ありがとう」とちゃんと伝えることができたんですから。そうして座ったのはジャンベの隣の特等席、近くで叩かれるジャンベの音は心臓に強く響き渡ります。またとない素敵なものをみれました。

最近、手を伸ばせば届く距離に成っているマンゴーをよくみかけます。でも、まだ青くて食べられない。食べられないと思っていたら。



まさかの、茹でマンゴーを発見しました。ふかしたお芋みたいでした。ちょっと微妙です。



セネガルを抜けるとギニアビサウ、ギニア(ギニアコナクリ)と二つのギニアの国へと入ります。サハラ砂漠を旅していた頃が嘘みたいに、緑の大地が増えてきました。そして、ここから熱帯雨林の地域へと入ります。そこで、信じられない国境を越えました。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
)

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in 取材, Posted by logc_nt

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