麻酔が発明される前の外科医はどのように患者の痛みを減らそうとしたのか?
現代では歯の治療や傷の縫合などの手術時には患者が痛みを感じないように麻酔が施されますが、麻酔が発明される以前にも外科医という職業は存在していました。麻酔が発明される以前の外科医はどのように患者の痛みを減らそうとしたのかについて、イギリス・ダンディー大学で麻酔学の名誉教授を務めるトニー・ワイルドスミス氏が解説しています。
How did doctors perform surgery before modern anesthesia? | Live Science
https://www.livescience.com/surgery-before-anesthesia
1811年、イギリスの小説家であるフランシス・バーニーは乳がんの疑いがあると診断され、乳房を切除する手術を受けました。当時はまだ現代のような麻酔が開発されていなかったため、その痛みは壮絶なものだったそうで、妹に書き送った手紙には「私は切開している間中、無意識に叫び声を上げ続けていました。その音がまだ耳から離れないことに驚きです。あまりにも耐えがたい痛みでした」と記されています。バーニーの記述は麻酔が開発される以前の外科手術がいかに苦痛だったかを物語っていますが、医師はずっと昔から患者を落ち着かせ、苦痛を取り除くためのさまざまな方法を考え出してきました。
たとえば、12世紀にはアヘンとマンドレイクジュースを浸したスポンジを患者に塗布し、手術前に眠気を誘発して痛みを鈍らせる医師の記録が存在します。また、ローマ時代から中世にかけて記された「Dwale」と呼ばれる麻酔薬のレシピには、イノシシの胆汁・アヘン・マンドレイクジュース・ドクニンジン・酢などが原料として記されているとのこと。そして17世紀以降には、アヘンとアヘンチンキが麻酔として用いられるようになりました。
しかし、これらの薬は大雑把かつ不正確だったそうで、患者のニーズに合わせて調節することが困難でした。また、ドクニンジンはソクラテスの処刑に用いられた毒薬でもあり、アヘンやアヘンチンキには中毒性があるほか、高容量のマンドレイクジュースは幻覚や心拍数の異常を引き起こし、最悪の場合は死に至ります。このように、初期の麻酔は危険と隣り合わせだったとのこと。
麻酔技術の発達が不十分という背景から医師が選択した賢明な解決策は、「患者の負担が大きい外科手術はなるべく早く正確に行う」というものでした。ワイルドスミス氏は、「150年前にさかのぼれば、手術は短いものでした」と述べており、手術の効率と精度は外科医のスキルを示す尺度であったそうです。
手術を短時間で済ませようとすれば複雑な手術はできないため、帝王切開や部位の切断といった激しい苦痛とリスクを伴う手術は、1800年代半ばまで一般的ではありませんでした。その一方で、比較的痛みや危険性が少ない抜歯などの手術はより一般的なものでしたが、いうまでもなくこれらの患者も抜歯の痛みはなるべく避けたいと思っていたため、患者が歯を抜いてもらうために列をなすといったことはなかったとのこと。ワイルドスミス氏は、「当時の人の立場になってみましょう。あなたは痛みを覚えたから医師の手術を受けたのに、さらに痛みがひどくなるのです」と述べています。
医師たちがさまざまな方法を模索する中で、薬品以外を用いる変わった麻酔法も考案されました。その1つが「圧迫」であり、頸動脈に圧力をかけて失神させるか、あるいは神経を圧迫して身体の一部をしびれさせ、痛みの感覚を減らすというものです。ワイルドスミス氏によると、古代ギリシャ人の医師が名付けた「頸動脈(carotids)」という語には「失神」や「感覚をなくす」といった意味が含まれているそうで、当時から頸動脈を圧迫すると失神することが知られていたとのこと。しかし、この方法は一歩間違うとそのまま患者を殺してしまうため、広く用いられることはありませんでした。
一方で神経の圧迫については、1784年にジョン・ハンターというイギリスの外科医が患者の手足を縛り、感覚をなくすことで切断手術を行った事例が報告されています。実際にこの方法は成功し、体を切断された患者が痛みを感じることはなかったと伝えられています。
さらに奇妙な麻酔法の1つに挙げられているのが「動物磁気説(メスメリズム)」を利用したものです。メスメリズムとは、ドイツ人医師のフランツ・アントン・メスメルが提唱した「人間や動物は『動物磁気』という不可知の流体を持っており、そのバランスが崩れると病気になる」とする説のことです。
メスメリズムでは治療者の「磁気」を利用して病気を治療できるとされており、これを利用して患者を痛みに気づかない状態にできると信じられていました。実際に、メスメリズムによる麻酔法は19世紀半ばまでにヨーロッパやインドに広まり、外科医は患者が痛みを感じないうちに手術を行うことができたといわれています。
ところが、メスメリズムは疑似科学だとする声が科学者から上がっており、同時に科学的な手法による麻酔法が台頭してきたことでメスメリズムは衰退しました。19世紀半ばまでに、科学者らは硫酸をエタノールで蒸留したジエチルエーテル(エーテル)という有機化合物を使った麻酔法に着目し、1846年にはウィリアム・モートンというアメリカの外科医が、エーテルガスを使って首の腫瘍を無痛で切除することに成功。また、1848年にはクロロホルムを使って出産やその他の痛みを和らげられることも発見され、外科医は患者に対してより複雑で時間のかかる手術ができるようになりました。なお、日本では紀州藩の外科医であった華岡青洲が、1804年に全身麻酔を用いた手術に成功したとの記録が残されています。
記事作成時点では、エーテルもクロロホルムも麻酔には使われていませんが、この2つの薬品が今日広く使われている麻薬の開発につながったとのことです。
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