末期がんすら寛解できる抗がん剤の「シスプラチン」とは?

チャンネル登録者数2580万人の科学系アニメーション動画を投稿するYouTubeチャンネルのKurzgesagtが、「末期がんを生き延びた方法」という動画を投稿しました。
How I Survived Late-Stage Cancer (A Fun Story) - YouTube

「化学療法を受けたことは、私の人生で最も興味深い経験のひとつであり、最も鮮明な記憶でもあり、とても面白いものでもあります」と語るのは、末期がんを化学療法で治療したという、フィリップさん。
2018年当時、フィリップさんはステージ3Bの精巣がんの治療を受けていました。がんはいくつかのリンパ節と肺に転移していたそうです。

ある日、フィリップさんの担当医は新たにシスプラチンを投与しようとしていました。シスプラチンは細胞毒性のある危険な化学療法剤で、「これは制御された医療暴力のようなもの」とフィリップさんは表現しています。シスプラチンはこの物語の主役であり、悪役でもあります。

シスプラチンは、冷蔵庫から取り出した緑色の不透明な2リットルの袋に入っています。医師は点滴を胸部にある中心静脈カテーテルに接続。カテーテルは心臓に直接つながっていました。
しかしその時、ほんの一瞬の不注意により、氷のように冷たいシスプラチンが一滴こぼれてしまったそうです。主治医はパニックになり、液体が二重に手袋をした手や皮膚に落ちたかどうかを必死に確認しました。「そんな恐ろしい液薬を私は体の隅々まで行き渡るように流し込もうとしていました」とフィリップさんは語っています。

シスプラチンは重金属化合物で、中心に白金原子を持ったクアッドコプターのような形をした微小分子です。多くの医学的ブレークスルーと同様に、その成功物語は事故から始まりました。

1960年代、物理学者のバーネット・ローゼンバーグは電気を使って生物を操作できるかどうか、そして面白いことを学べるかどうかを確かめるために実験を行っていました。結局、電気は何も効果をもたらさなかったものの、代わりに驚くべき発見をしました。

白金電極を含む溶液中のバクテリアがスパゲッティのように300倍も長くなることを発見したのです。しかし、より重要なのはバクテリアの増殖が止まった点にあります。白金分子がまさにその働きをしたことが判明しました。

当時、化学療法はがんの治療法として人気を集めつつあったため、細胞分裂を阻害する化学物質はすべて化学療法の候補となり得ました。ローゼンバーグは何が起こるかを確かめるために、がんを患ったマウスにシスプラチンを注射。すると、高用量のシスプラチンを注入したマウスは死亡したものの、低用量では腫瘍が縮小し、がんが再発せず、マウスが生き延びました。

しかし、マウスからヒトへの臨床試験に至るまでの道のりはかなり険しいものでした。多くの専門家がシスプラチンに対して懐疑的で、重金属は非常に毒性が高いため、リスクに見合うものではないと専門家は主張していました。
一方、ローゼンバーグは粘り強く働きかけを続け、毎週のように製薬会社に電話をかけ、ついにシスプラチンを人体で試験する段階にまでこぎつけました。しかし、事態は最悪の方向へと進むこととなります。
ヒトの臨床試験で、シスプラチンはさまざまな種類のがんを患う幅広い患者に注射されました。しかし、シスプラチンはほとんどのがんの進行を遅らせるどころか、一部の患者を死に至らしめます。

初期の研究では、患者の最大75%が重度の腎臓障害を患いました。しかし、被験者はすでにがんで死にかけていたため、シスプラチンの注射が直接的な死因となったかどうかを証明することは難しかったそうです。

その後、驚くべき研究が医学会を揺るがします。若い男性に最も多くみられるがんである「進行性精巣がん」の患者11人がシスプラチンを投与されたところ、6人はある程度の反応を示し、3人は完全に寛解しました。それまで転移性精巣がんは非常に致死率が高く、罹患した男性の95%が死亡していたため、これは前代未聞の結果でした。

もうひとつ、シスプラチンを耐えられるものにした方法があります。それは、「大量の水分補給を行う」という新しいプロトコルでした。患者に何リットルもの水分を投与し、腎臓からシスプラチンを洗い流すというものです。これは昼夜問わず患者がおしっこをしなければならなくなることを意味します。

これらにより、精巣がんをめぐる状況は一変しました。記事作成時点では、たとえ全身に広く転移しても、生存率は95%に達しています。

白金製剤はあらゆる種類の化学療法の大部分において、その根底を成す薬剤です。では、シスプラチンは具体的にどのような作用で、特に精巣がんに対して効果的なのでしょうか。
シスプラチンは中心静脈アクセス装置と呼ばれる、簡単に挿入できて心臓に直接つながる一種のハブに注射することができます。つまり、即座に全身に行き渡らせることができます。

シスプラチンは氷のように冷たい状態で投与されるため、全身に広がり、体の内側から冷やされるような感覚を覚えるそうです。これはかなり奇妙な感覚ですが、直接的な影響は特にありません。
最初の数時間でシスプラチン分子の約90%が血中の血しょうと結合。しかし、この時点では不活性状態です。

その後、シスプラチンは数日間かけて血しょうから徐々に放出され、全身に絶え間ない毒の集中砲火を浴びせます。その間、腎臓はシスプラチンをできるだけ早く体から取り除き、尿として排出するために最大限の力を発揮します。
血しょうに結合しない残り10%のシスプラチンは、血液から組織や臓器へと移行。細胞膜は何が内部に入ることができるかを注意深く監視する、要塞のようなものですが、これがシスプラチンを止めることはできません。

シスプラチンが細胞内に侵入すると、一部は能動的に取り込まれます。そして細胞内で塩化物イオンを放出し、水分子と結合。この段階で、シスプラチンは化学的に活性状態になります。しかし、毒性は非常に小さいため、人体の免疫システムによる検出は免れ、DNAへと侵入することが可能です。
人間のDNAはきちんと整然と束ねられた長さ2メートルのジッパーのようなものです。シスプラチンはこのシッパーの歯の間に入り込んで固まり、本来くっつくべきではない部分を塊にしてしまうガムのようなものだそうです。

これは異常事態です。なぜなら細胞がDNAを読み取り、複製する能力を著しく阻害するためです。修復分子が働き始めますが、混乱と損傷は深刻で、修復は非常に困難。
筋肉細胞のように急速に分裂する必要のない細胞は、代謝を遅くし、複製を停止して修復を開始することができます。少しずつ遺伝子の損傷を修復し、シスプラチンを除去していきます。
しかし、髪の毛を生やす細胞や腸の内壁、舌の味蕾(らい)、赤血球と白血球を作る骨髄などは急速に複製する必要があります。これらの細胞にシスプラチンが侵入すると、「内部の複製時計が止まらなくなり、DNAを複製することができなくなる」という問題が生じます。

細胞の損傷があまりに大きい場合、アポトーシスが引き起こされ、何十億もの細胞が死滅し、化学療法のあらゆる副作用を引き起こします。
シスプラチンが精巣がんに対して非常に効果的な理由は、精巣がんが他の種類のがんにはない特異な脆弱(ぜいじゃく)性を持っているためです。それは、「精巣がん細胞のほとんどが生殖細胞から発生する」という点にあります。
生殖細胞にとってDNAの完全性は極めて重要です。たとえ小さなミスであっても、遺伝的損傷があれば血統を弱体化させる可能性があるためです。そのため、生殖細胞は常に自己判断を行いながら、ほとんど一切のミスを許容しません。

シスプラチンが精巣がん細胞のDNAを破壊すると、精巣がん細胞は遺伝的完全性を守るという本来の目的を基に、自らを破壊します。損傷した物質が次世代に受け継がれることを防ぐためです。がん細胞が身体のどこに転移していても腫瘍は崩壊するため、精巣がんにシスプラチンは非常に効果的となります。
シスプラチンを利用した化学療法をはじめてわずか6週間で、数十年前であれば死刑宣告に等しかった重度の精巣がんが、完全に寛解したとフィリップさんは語っています。
また、ここ数年で化学療法による副作用を軽減する薬が飛躍的に進歩したため、シスプラチンの副作用も「耐えられるレベルのものになった」そうです。
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