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あの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にも登場した幻の名車「デロリアン・DMC-12」とは?


1985年に公開されたSF映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の劇中で、エメット・ブラウン博士が開発したタイムマシンに使われている自動車が「デロリアン・DMC-12」です。DMC-12は実在した自動車ですが、生産されたのはわずか2年足らずという幻の名車でもあります。DMC-12がどういった経緯で作られ、なぜすぐに生産されなくなってしまったのかを、車についてのムービーを多くアップするDonut Mediaが解説しています。

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ロバート・ゼメキス監督のSF映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は1985年に公開され、世界的な大ヒットを記録し、その後PART3までシリーズ化するほどの人気を得ました。その中に登場するタイムマシンが「デロリアン」です。


デロリアンが時空を飛び越える瞬間に炎のタイヤ痕を残して消えるシーンは特に印象的です。


デロリアンという名前はタイムマシンのベースとなった車「デロリアン・DMC-12」に由来しています。


DMC-12が市場に登場したのは1981年ですが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開された時には既に販売終了していました。


「デロリアン」という名前は、ジョン・ザカリー・デロリアンという1人のデザイナーの名前から付けられています。デロリアンはDMC-12を作った男として知られています。


デロリアンは、1925年に自動車の街として知られるデトロイトに生まれました。自動車に囲まれた環境で育ったデロリアンは自動車デザイナーとしてデビューし、やがてデトロイトに本社を構えるゼネラル・モーターズ(GM)で働くこととなります。


デロリアンがデザインした車には、ポンティアック・GTOポンティアック・ファイヤーバードなど、現代もなお名車と評されるものが多くあります。


デロリアンがデザインした車はことごとく大ヒットし、デロリアンは出世街道を猛進し、わずか40歳で部長職に就任、47歳でGMの副社長に就任します。


しかし、デザイナーだったデロリアンはかなり型破りな人物で、スーツ・ネクタイに身を包む他の幹部と違い、ラフな髪型に胸元までボタンを外したシャツとジーンズで出社をするという、当時としてはかなり自由なスタイルを貫き通していました。


また、花形カーデザイナーとして世間から注目を集めていたデロリアンは数々のセレブリティと交友を深め、数々のモデルと浮名を流すプレイボーイぶりでも知られるようになります。


そのため、デロリアンは保守的な他の幹部とはしばしば衝突を繰り返していました。度重なる社内抗争に巻き込まれ、自分の意見が黙殺されることも多かったと、デロリアンは後に述懐しています。


「保守的なGMでは自分の理想の車を作ることはできない」と考えたデロリアンは、副社長の座を捨てて、1975年に自分の名前を冠した「デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)」という会社を立ち上げます。


そこで開発されたのがデロリアンの理想の車となるDMC-12です。


DMC-12のデザインを担当したのは、「アルファロメオ・ジュリア・スプリントGT」や「ASA・1000GT」などを手がけたデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロです。


さらに、DMC-12のメカニカルな設計を手がけたのが、ロータス・カーズのコーリン・チャップマンでした。チャップマンはF1カーに航空力学を取り入れ、レーシングカーの歴史を大きく塗り替えた革新的なメカニックとして知られていました。


DMC-12のデザインで最も特徴的なポイントはガルウィングの2ドアと、メンテナンスフリーを目指した無塗装ステンレス製のボディです。


プジョーとルノーとボルボが共同開発を行ったV型6気筒エンジンを後部に搭載。


5年以上の歳月をかけて開発を行われたDMC-12は、デロリアン・ジウジアーロ・チャップマンら一流のスタッフによって手がけられた斬新なモデルとして大きな話題となり、北アイルランドに工場を作り、十分な生産設備が整えられました。


発売価格は2万5000ドル(現在の価値で約1500万円)とかなりの高額ですが、初年度は6500台と悪くない売り上げを見せます。また、純金製のボディを搭載した特別モデルのDMC-12もわずか数台ながら生産され、12万5000ドル(現在の価値で約7500万円)で販売されました。


しかし、発売直後からデロリアンの経営は急速に悪化していきます。


北アイルランドに建造した工場は製造工程に不備があったため、トラブルが続出して予想外のコストが必要となってしまいました。その上、本来イギリス政府から得られるはずだった補助金がストップしたり、アイルランドが独立運動で政情が不安定となって物流が絶たれてしまったことも大きな影響を与えました。


また、DMC-12は高い販売価格と車のスペックが釣り合っていなかったということもあり、売り上げが初動から伸びることがなく、大量のキャンセルが発生してしまいました。


さらに、デロリアンが資金提供を受けていた人物が麻薬ビジネスに手を染めていたために、デロリアン自身がコカインの売買に関する容疑で逮捕されてしまいます。


デロリアンにかけられた薬物売買の容疑は、後の裁判で事実無根として無罪となりましたが、社長の逮捕という一大スキャンダルは会社の経営にとどめを刺し、1982年にはデロリアン・モーター・カンパニーは解散してしまいます。


結果として、最終的に生産されたDMC-12は8500台ほど。「かつての一流デザイナーが生み出した理想の車」として、一部の車好きにのみ記憶される幻の車となっていきました。


しかし、4年後に公開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、DMC-12は劇中に登場する科学者のブラウン博士が発明したタイムマシンとして登場します。


サンドペーパーで磨かれ鈍く光るステンレス製のボディ・直線的ながらシャープな外観・ガルウィングのドアというDMC-12の未来感のある見た目はインパクト十分でタイムマシンにぴったり。映画を見た人にも大きな衝撃を与え、瞬く間にDMC-12の知名度は急上昇しました。


ジョン・デロリアンが立ち上げたデロリアン・モーター・カンパニーは既に解散してしまいましたが、DMC-12のパーツ生産・修理は有志によって続けられていました。DMC-12の修理業を営んでいたスティーブン・ウィン氏は、アメリカ・テキサス州に工場を建築して新しくDMC-12のパーツを生産しています。わずか2年で8500台ほどしか生産されなかったDMC-12は、映画をきっかけとして多くのファンが生まれ、今もなお根強い人気を誇ります。


なお、ウィン氏は新生「デロリアン・モーター・カンパニー」を立ち上げていて、DMC-12を再生産しています。

DeLorean Motor Company | The Best Source for your DeLorean
https://www.delorean.com/

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in 乗り物,   動画, Posted by log1i_yk

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