いろんなことを知りすぎて「人生」や「生きる意味」がわからなくなった時の考え方「楽観的なニヒリズム」
科学の発展により、人間は身の回りの出来事の仕組みについて物理的な理解を深めてきました。事象の根源的な理由を知ることは正しいことと言えますが、しかしその一方で、知れば知るほど「人間って何だ」「人生の意味って本当にあるのだろうか」といった疑問に直面するのは自然な帰結といえ、自分を単なる物質として捉えてしまうことで「生きる意味」を見失ってしまう落とし穴に陥っている人も世の中には少なくないはず。科学系アニメーションムービーを次々に提供しているKurzgesagt – In a Nutshellは、そんな状態に陥った人に向けるように「楽観的なニヒリズム」という概念を挙げ、「知ってしまった人」がどのように考えれば良いのかを解説しています。
Optimistic Nihilism - YouTube
人間の存在とは、よくわからなくて恐ろしいものといえます。何十万年も前、「意識」を持つに至った人類は、自分たちが妙な場所に生きていることを認識し始めました。
世の中には人間以外の生き物がいて……
生き物はお互いを殺して食べることで生きながらえています。
世界には「水」があり、これが命の源になっています。
昼間には太陽が昇り、人類や地球に「暖かさ」を与えてくれます。
夜には月や星が空に浮かび、美しい風景を作り出します。
そして「この世には私たちを見ている『誰か』がいる」という考え方を持つことで、人類は自分の居場所を認識し、希望を持つことで、恐怖を取り除いて混乱なく生きることができました。
しかし、科学により宇宙の仕組みが少しずつわかってくると、その考えは徐々に否定されるようになります。もはや、夜空の星は人間のために輝いているのではなく、ただ「存在しているだけ」の物質となり、人類が宇宙の中心に存在しているのではない、と気付いてきました。
そして、人類は微生物が進化してきたものだと知るようになります。
地球は、中くらいの大きさを持つ明るい星のまわりを輝いていることがわかり……
我々は、大きな銀河のごく一部でしかなかったことに気がつかされます。
その銀河でさえも、実は大きな銀河団の一部であり、宇宙にはこのような銀河団が何億個も存在していることが明らかにされてきました。
そして宇宙にはそんな銀河団が集まる「超銀河団」がいくつも存在しています。しかし、そんなとてつもない超銀河団でさえも、人間が知ることができる限界「観測可能な宇宙」の中に存在しているだけのものでしかありません。もはや、宇宙にどれほどの星があるのか、それはもう人間の認識の限界を超えています。つまり、宇宙は理解できないほど大きなものであるというわけです。
さらに人々の認識を惑わすのが「時間」の概念です。
もし100歳まで生きることができるとすると、その人生の時間は「5200週間」と言い換えることができます。
もし今の年齢が25歳だとすると、残されたのは3900週間。また、もし70歳で人生を終えると仮定すると、残されたのは2350週間だけです。
人生最後の時が訪れると、人間は文字どおり「機能停止」の状態となり、あとは自然に還るだけ。
しかし、宇宙の時間の流れからすると、一人の人生の時間はほんの一瞬であることがわかります。
そんな宇宙でさえも、最後には熱的死を向かえ、宇宙のエントロピーが最大となることで一切の光を発さない状態になって完全な「死」を迎えるものと考えられています。
このようなことがわかってくると、「人間や世界は単なる物質的存在でしかない、そこには意味がない」という恐怖に駆られてしまうようになります。これは哲学用語で「実存的恐怖」と呼ばれるもの。
そこで、Kurzgesagtが提言する考え方が非科学的で主観的な見方、もしくは「Kurzgesagtの哲学」ともいえるもの。実存的恐怖に立ち向かう考え方、それが「楽観的なニヒリズム」です。
その考え方は、まず世界に数え切れないほどある星は、実際に人間のために作られたものではないことを受け止め……
我々が生きている時間は宇宙の時間で見ればごくわずかであると認識して受け入れてしまうと言うもの。つまり、「宇宙は人間のために存在しているのではない」ということを知覚するために人類は意識を持ってしまった」という悪い冗談を受け入れるということになります。
人生がたった一度きりであるということは恐ろしいものですが、同時に「自由である」ことを教えてくれるものでもあります。
宇宙が熱的死を迎えて終了するのであれば、今自分が悩んでいる人間関係は、ほんのささいな出来事であるといえます。
そういう意味では、人生で冒してしまった過ちも最後には消えてなくなるものといえます。
人生がすなわち「経験」であるとすれば、たとえ宇宙そのものに「原則」が存在していなくても、自分でそれを見つければ良いだけ。「目的」が見つからなくても、自分で生きる目的を決めれば良いだけのこと。
食べ物や本、夕日が沈むこと、そして他の人と一緒に暮らすことを経験して知れば良い、というだけのことといえます。そもそも、そのことを考えることができるという事実の時点で、すでに奇跡的であるということもできるわけです。
自分が独りぼっちであると感じたとしても、広い目線、宇宙サイズの目線で見ればそれが間違いであることがわかります。
人間は、なぜ宇宙の法則がそうなっているのか、その理由はよくわかりません。
また、いかにして生命が誕生したのか、そして人生とは何なのか、その本当の理由を知ることはできません。
そして、意識とは何か、宇宙の中で独りぼっちなのか、いろいろわからないことだらけですが、それらを知ろうという意志を持つことはできます。
人間は他の星を目指したり、病気の治療方法を見つけたり、幸せな気持ちになることができます。ゲームのクリアを目指すことも、それらと同じ目的の1つと考えることもできます。つまり、人生にはやらなければいけないことがたくさん残されています。
時間を持て余して生きる意味を見失っている人もいるかもしれません。
しかし、人生が一度きりであることを考えると、楽しまない手はありません。そしてできる限りたくさんの幸せをもらって生きるべきといえます。
しかも、それで他の人をも幸せにできたり……
人類の宇宙時代を築くことができたりすると、それはさらに幸せなことといえます。
自分の意志でやりたいことを見つけること、それが自分の人生の意味を決めることにつながります。
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