一見すると小料理屋のように見える2階建ての建物がズラリ。
現地にあった地図はこんな感じ。実際にはここに名前が書かれているより多くのお店が営業を行っています。
周辺にはどう見てもパチンコ屋にしか見えないことで有名な激安スーパーマーケット「玉出」もあります。
たこ焼き屋なども営業中。
この地で営業するお店を束ねる「飛田料理組合」の建物。
「飛田新地料理組合」の看板。
さらに進んでいくと、一帯には以下のようにズラリと「ちょんの間」スタイルの店が軒を連ねており、仕事帰りと見られるサラリーマンふうの男たちなどが前を歩いています。
仕事帰りのOLや買い物にいくおばちゃんなども普通に歩いています。
よく見るとあちこちに「ホステスさん急募集」の看板。
さらに今度は「お運びさん募集」の看板。「お運び」とは料亭で料理を運ぶ仲居さんのことですが、この場所では「お客と自由恋愛を行う仲居」という意味だそうです。
お店の外観はこんな感じ。
室内にはまぶしいくらいの明かりがつけられており、普段はこの中にサービスを行う若い女性と客引きや勘定などを行う年配の女性がいます。
18歳未満は入店禁止。
別のお店はこんな感じ。
軒先にはちょうちんが下げられています。
どこのお店でも実際にサービスが行われるのは2階の部屋のようです。
1階の内部はこうなっています。
20歳未満は飲酒禁止、という張り紙がしてありました。
店の中に客がいてサービスが行われている時はこのようにして店内は空席となるようです。
客が入っていない時はサービスを行う女性が室内に座っています。
客引きはもう1人の年配の女性が行う場合がほとんど。
こんな感じで「お兄さん寄ってって」「かわいいコいるよ」と声をかけられます。
どこのお店もつくりはほとんど同じで、入り口の左右に店名が書かれており、のれんの奥に女性たちが座っているという運営スタイル。
このスタイルがどの店も徹底して貫かれており、以下のようにどの店も同じような雰囲気になっています。これが今も当時の風景と文化が色濃く残り続ける理由の一つであることは疑いようがありません。
この地区を10年以上取材し続けていたというフリーライターで「さいごの色街 飛田」などの本を執筆した井上理津子さんが筑摩書房のサイトで書いているところによると「約四百メートル四方の土地に、約百六十軒の「料亭」がずらりと並び、「にいちゃんにいちゃん」と呼び込む曳き子がいる。上がり框に、赤い電気に照らされ、微笑む若い女性がちょこんと座っている。客となった男が、二階の部屋でビールかジュースを飲み、女性と話すうちに、恋愛関係に陥る。表向きには、そういうことになっていて、公然と性的サービスが行われている」といった場所であるとのこと。
また、Wikipediaの「飛田遊廓」の項目にも同様にして「1958年の売春防止法施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も当時の雰囲気を伝えている。ほとんどの「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。表向き料亭に転向することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである」と書かれており、ウォール・ストリート・ジャーナルの「飛田新地の幽玄 - Japan Real Time」という記事には「1958年に売春防止法が施行されてから、それらの店は“料亭”に姿を変えた。だが外観にだまされてはいけない」「20年程度での建て替えが当たり前の日本で、飛田新地は、建築物の保存状態の良さで大阪でも特異な存在だ。建物の多くは終戦直後に建てられた。飛田新地の不思議な魅力となっている木造建築には、玄関ホールの木彫りの彫刻のように、かつての繁栄が刻まれている」「ここが21世紀の日本であることを忘れないようにあらかじめお伝えしておこう。「料亭」の入り口に座っている女性は女子高生や看護師の制服を着ていることが多い。“ママさん”は顧客を手招きし、交渉を持ちかける」と書かれています。
このようにしてありとあらゆる現代まで続く「矛盾」が凝縮されているような場所となっているため、一体いつまでこの状態を続けることができるのかはまったくわかりませんが、とにもかくにも非常に不思議な場所であることだけは確かです。
なお、この飛田新地の一角で営業している料亭「鯛よし百番」は国の登録有形文化財の建物を使用しているだけのことはあって本当にホンモノの料亭なので、ある意味、注意が必要です。